第185話、とある引きこもりの話


 ドラゴンとは孤高な生き物だ。山岳地帯や、人の侵入を拒む土地に棲み、だいたいは単独で行動している。


 自らのテリトリー内に籠もり、ゆったりと自由を満喫するのは成人してから。それまでは外の世界を覗き見て、知識を蓄えていく。上級のドラゴンは、その機会に他種族の言語を見聞きし、覚えていく。


 人間たちの語るドラゴンの伝説に時々、人語を解する個体が記されている。だが、ドラゴンが話すのは人語のみならず、他の亜人種族や魔族なども含まれる。


 ゆえに何故人間の言葉を話すことができるのか、というのは間違いで、他種族の言葉をスラスラと話せる上で、その中のひとつに人語がある、というだけのことである。


 もっとも、この言語を理解し、それでコミュニケーションが取れるか否かで、そのドラゴンが上級か下級かがわかる。


 下級のドラゴンは、種としての血を多少受け継いでいるものの、その知能は獣とさほど変わらず、他種族と言語を交わすことができない。


 人間や他の種族としばしば戦い、狩られるのは大抵、この下級のドラゴンである。そしてドラゴンという種が、野蛮なモンスターであるという認識が人間たちに広がった結果、上級のドラゴンたちにとっても、少々生きづらい世の中になっている。


 ミストこと霧竜も、人間を含めた他種族の観察によって、多数の言葉を理解し、話すことができる。


 彼女は霧と同化できる能力を利用し、世界に生きる種族を一通り見てきた。やがて年中霧が発生する谷を、自らのテリトリーと定め、他の上級ドラゴンと同様、のんびり隠居生活を過ごしていた。


 上級のドラゴンは、テリトリー内で活動するが、あまり外には出ない。種族特有の魔法の目――中には『千里眼』にまで昇華させた個体もある――で、外の様子を眺めて暇を潰しているからだ。


 よくも悪くも、引きこもりなのが上級ドラゴンだ。奥地や辺境などにいながら、妙に博識だったり世界の動きに敏いのも、そこにある。


 だが、その穏やかな隠居生活を脅かす存在がいる。他種族――とりわけ多いのが人間だ。ドラゴンの血や肉、その身体は、生命力を活性化させたり不死にも似た力を与えたりする。


 それらを求めた権力者や野心家たちが、ドラゴンの素材を求めるのは必然であり、手を出しては返り討ちにあっていた。


 小規模なうちはまだいい。だがひとたび上級ドラゴンを怒らせたら、国ひとつが滅びる災いとなる。自業自得ではあるが、それに巻き込まれる圧倒的多数の関係のない人間には迷惑な話ではある。


 幸い、ミストの逆鱗に触れるようなことはこれまではなかった。時々やってくる霧竜討伐の人間たちを軽くひねり潰すのは、時間潰しの余興のようなものだ。


 一応、ミストは遭遇する前に、呼びかけはしている。だがドラゴンを野蛮なモンスターと決めつけている浅はかな人間は聞く耳を持たない。それで襲ってくるのであれば、ミストとて遠慮はしない。


 自分を殺そうという人間など、蟻を踏むが如く蹂躙する。これもまた人間たちが自ら招いた結界なのだ。


 霧に同化できるミストに、年中霧が立ち込める谷で戦おうなど、すでに戦場選びの時点で負けている。 


 そんな中、勇者ソウヤとその一行が霧の谷にやってきた。いつものドラゴンの素材を求めた連中だと思い、巣に近づくまで観察した。


 彼らは当然の如く、霧竜の噂をある事ない事含めて話していた。だが勇者と呼ばれたソウヤは、『本当のドラゴンは頭がいいっていうぜ?』と他の、モンスター程度の知能しかないと思い込んでいる仲間たちとは違った。


『ドラゴンと話をしたり、もし許可してもらえるならその背中に乗って、空を飛んだり――』


 これには周囲の人間たちは苦笑をしていたが、霧の中で聞いていたミストは、ソウヤという男に興味を持った。


 ドラゴンに対して正しい知識を持った、今では数少ない人間。偏見を持たず、曇りのない目をした若者だった。


 ただ彼の仲間――いや、同行者というべきか。その人物のドラゴンへの偏見が凄まじく、ミストはドサクサに紛れてその男を殺してやろうかと思ったのは、今でもソウヤには内緒である。


 ともあれ、巣に近づいたソウヤ一行に、ミストはいつものように、竜の咆哮と魔力念話で『用がないなら去れ』と警告した。


 いきり立つ同行者をよそに、ソウヤは武器を収めて、やってきた事情を説明した。


 要約すると、とある人物を救うため、薬の素材にドラゴンの血を求めているという。


 ミストとしては、応じる義務もない事だ。血の気の多いドラゴンなら、何故自分が血を与えねばならないのかと憤慨し攻撃する個体もあるだろう。


 だが一蹴すれば、おそらく荒事になるだろうことは容易に想像できた。


 人間はドラゴン以上に短気で愚かだからだ。


 これについてはミストの上から目線の考えだが、ドラゴン特有の自分たち以外は下級の生き物という傲慢さ故で、彼女だけの見方ではない。


『血だけでよいのか?』


 ミストは告げた。それに対するソウヤは答えは、イエスだった。しかも指先をちょっと傷つけて出る程度のわずかな量でよいと言う。


 実に殊勝な勇者の言葉に、がぜん興味を持ったミストは、血を分け与えることにした。


 だが、ぶっ殺してやりたい同行者が『罠だ!』『ドラゴンの嘘だ!』と喚き立て、騒動に発展。結局、戦闘になりその同行者は死ぬことになるが、ソウヤの以後の立ち回りの結果、それ以上の殺し合いは回避された。


 ミストは、最後までドラゴン側の立場に立った考えを保ったソウヤを気に入り、より貴重な竜の涙をくれてやった。……ちょっぴり彼に感動して、つい涙ぐんでしまった結果というのは、口が裂けても言えない。


 ついでにミストは自分の血を、ソウヤに与えて、不死ではないが死ににくい体にしてやった。


『いつかまた会えるといいな』

『いつかまた』


 別れ際にそんな言葉を交わしたミストとソウヤ。勇者一行は魔王討伐の旅に戻り――ミストは魔法の目で、それを観戦する日々を過ごした。


 ソウヤは知らなかったが、ミストは勇者の冒険と魔王討伐の旅を見守っていたのだ。暇つぶしが、やがて贔屓のスポーツチームを応援するサポーターのようになっていた。


 だから魔王を倒し、しかしソウヤが相打ち同然で瀕死になった時は、心底落ち込んだものだ。……もっとも、ミストがソウヤにドラゴンの血を与えていなかったら、彼はそこで死んでいたかもしれない。


 十年後、昏睡していた勇者は目覚めた。そしていつかの約束を果たすために霧の谷を訪れた。


 魔族に狙われたこともあったが、ミストはソウヤの前に現れ、その旅に同行することを決めた。


 彼がかつて仲間たちに語った『ドラゴンと話をしたり、もし許可してもらえるならその背中に乗って、空を飛んだり――』という、ささやかな夢を叶えてあげるために。



  ・  ・  ・



『ソウヤ、見えてきたわよ』


 絶海の孤島。かつての魔王城があった島が、霧竜とその背中に乗ったソウヤの視界に飛び込んできた。


 十年ぶりの魔王の本拠地に、勇者は帰ってきたのだ。

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