第66話、バロールの町へ


 かつての戦友と別れた後、ソウヤたちは浮遊バイクで東へ進路をとった。


 目指すは王国東端、海に面した港町バロール。


「海かぁ……。僕、海を見たことがないんですよ」


 セイジは、物心ついた時にはエイブルの町にいて、そこで育った。町の近くへお出かけすることはあっても、長旅の経験はないという。


「ワタシはあるわよ」


 というのはミスト。


「どこまでも広がる水平線に青い海……。本当、広かったわ」

「泳いだことはあるのかい?」


 ソウヤが聞けば、ミストはキョトンとする。


「泳ぐ? バカにしないで、ワタシは魚じゃないのよ。泳ぐわけないじゃない」


 大方、本来の姿である霧竜の姿で空から海を見下ろした程度だろう、とソウヤは見当をつけた。


「オレはガキの頃、毎年、夏になると海に行っていたなぁ」

「毎年なんですか!」

「何しに海に?」

「泳ぎにだよ」


 それ以外に何がある。漁でもすると思ったか? ソウヤはチラ、とバックミラーで見れば、ミストの呆れ顔が映る。


「あなた、魚だったの?」

「おいおい、泳ぐのは魚だけじゃないだろ!」


 ――失礼な。子供の頃、普通にプールで……って、プールないか、この世界。


 そもそもドラゴンである。せいぜい水浴びくらいか。


「セイジ、あなた泳げる?」

「いいえ。泳いだことないです……」

「ほら、ソウヤ。やっぱり人間は泳がないのよ」

「ちょっと、セイジ君! 川とかで泳いだことくらいはあるんじゃないか?」

「いや、ないです……」


 機会がないとこんなものである。ソウヤの育った日本では、プールで遊んだり学校のプール入ったりが普通にあるが、ここではそういうことなどない。


「それでソウヤ。まさかバロールの町を目指しているのは、泳ぎにいきたいから、じゃないわよね?」

「あれ、言ってなかったっけ?」


 ソウヤは首をかしげる。


「聞いてないわよ」

「商品開拓のためじゃないんですか?」


 セイジが言った。


「海の品を銀の翼商会で取り扱うつもりなのかと……」

「お、セイジ君、鋭い!」


 アイテムボックスの時間経過無視室なら、獲れたて魚を新鮮なまま内陸へ運ぶことができる。これを利用して、海の幸を忘れられない人向けに個人販売ルートを開拓するのもあるだろう。


「だが、実はもうひとつ、用があってだな。……とある調味料がどうなっているのか確認したいわけさ」

「調味料?」


 ぴくり、とミストの形のよい眉が動いたのを、ソウヤは見逃さなかった。


「おう、オレが作ったなんちゃってタレと違う、本格的なやつだ」


 とはいえ、その調味料開発は、ソウヤの勇者時代に着手されたもので、あれから十年の月日が経っている。


 にも関わらず、王都方面にもまったく音が聞こえないのは、開発に失敗したか、あるいは難航して、完成していない可能性も高い。


 ――できてればいいんだけどなぁ。


 何せ十年前だから、開発そのものが立ち消えていることも考えられる。


 物思いに沈むソウヤに、セイジが声をかけた。


「それはどんな調味料なんですか?」

「醤油というんだ。魚にはこれがまた合うんだ」

「それはとても興味深いわね」


 ミストが大変乗り気になったのが表情を見てわかる。ソウヤも思わず顔がほころんだ。


「ああ、とても楽しみではあったんだ」


 刺身を醤油でつけて食べたい。


「だが問題は、完成しているかどうかなんだよなぁ」


 でももしかしたら――というわずかながらの希望を胸に、コメット号を運転しながらソウヤたちは街道をひた走った。



  ・  ・  ・



 バロールの町は、貿易船の行き交う規模の大きな港町だった。


 大きな建物も多く、他の町などと比べると幾分か時代が進んでいるかのような印象を与える。内陸から行くと、町の建物で海が見えない。


「大きい町ですね」

「まあ、南北に長いからな。ちなみに北側が漁港サイドって呼ばれてる」


 以前、来たときより人が多い印象だが、一般人が増えたか。十年前に訪れた時は、魔王軍と戦っていた、いわば戦中だった。


「せっかく来たんだし、異国からの輸入品も見ていくか。掘り出し物があるかも」


 珍しいものを仕入れて、ここにはこれない遠方の客へ売る。まさしく行商。


 バロールの建物の中で、頭ひとつ目立つのは青い屋根の大聖堂。割とぎっしり感のある街並みは、通りとくれば人と物が溢れていた。貝や魚の海鮮料理が目を楽しませ、腹を刺激する。


 ミストが、そんな料理の香りを楽しみながら、ソウヤの服の袖を引っ張った。


「で、そのショーユとやらを使った料理はありそう?」

「いや、なさそうだな」


 醤油を使ったものは見当たらない。バターやオリーブオイルを使ったムニエルやソテーばかりだ。


「あー、美味そう」

「ちょっとちょっと、ワタシは早くショーユとやらを見たいのよ」


 食べることに関しては、少々うるさいミストが腰に手を当てる。美少女というのは、仁王立ちしても絵になる。


「この辺りにはなさそうだ。まだ完成していないのかもしれないね」


 残念だけど、と苦笑するソウヤ。しかしミストはそれで納得しない。


「でも、ソウヤ。あなた、ここの人間にショーユを作らせたんでしょ? そいつにまず会って話を聞くのが先じゃない? もしかしたら完成しているかもしれないでしょ」

「それも、そうだな」


 実にもっともらしく聞こえる。


「でも、せっかくだし、土産物を見てからでも――」

「そんなの後でいいでしょ? ワタシはお腹が空いてきたの。どうせ食事の時間なんだから、そっちを先に済ませましょうよ」


 確かに――ちょうどお昼時ではある。


「わかった。……セイジ、先に漁港サイドから回るぞ」

「え? あ、はい!」


 異国の工芸品を眺めていたセイジが戻ってくる。


 とりあえず、まずは醤油の件から片づけよう。

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