第二話 鬼灯老人の歓迎
「着いたぞ」
船長さんがぶっきらぼうに呟き、船を港へといれた。
いや、港というよりは船着き場。
船着き場というよりは、粗末な桟橋という方が正しいような場所だった。
「ここ以外に、本土のモンが船ば係留できる場所はなか」
彼はそう言いながら、船を桟橋に寄せる。
ぼくらがおっかなびっくり降りると、船は急にけたたましいエンジンの音を響かせた。
驚いて見遣れば、先ほどまでよりよほど険しい表情になった船長さんが、係留用のロープを投げ捨てるところだった。
「あ、まだお礼を!」
「いらん。気味が悪か。反吐が出る。電話は通じるけん、帰るときだけ呼び出せばよか。それ以外は、絶対に迎いに来んけんな!」
彼はなにかを厭うように大声を張り上げ、あっという間に港から出て行ってしまった。
陸に上がり、しばし呆然としていると、突然地面が揺れた。
「……っ」
「せ、先生!?」
抱きついてくる萌花くんを支えながら、ぼく自身も倒れないように踏ん張る。
幸い、揺れはすぐに去っていった。
「な、なんだったんだ……?」
「──ただの地震やけん、気にせんちゃよかよ。この島では、よくあることやけん」
背後から、突然声をかけられ、ぼくらは再び吃驚を覚えた。
振りかえれば、そこには和装の老爺が立っていた。
「あんたがたが、本土のお偉い教授先生一行さまか?」
「は、はぁ。一応、ぼくは学者の端くれですが……あなたは?」
問えば、老人はにこやかに──好々爺然として、微笑んだ。
「そうかそうか、歓迎するばい! わしは
「あ、はい。そうなんです。私の論文の調査が目的でして」
「お嬢さんが電話ば寄越しよったひとたいね。ん? ひょっとして
「え? はぁ、そうですけど……」
戸惑うように頷く萌花くんに、老爺はクシャリと顔をほころばせる。
彼はとても嬉しそうになって、手を叩いて見せた。
その両手には、この陽気であるにもかかわらず、真っ黒な手袋が嵌まっていた。
「やっぱいか! 話ば聞いたときからそうじゃなかかと思っとったが、そりゃよかった。おお、久方ぶりの帰郷ば、歓迎すっぞ」
「えっと、その……じつは私、この島で暮らしていたときのことを、あんまり覚えていなくてですね」
「よかよか。そげんことは時期が来れば思い出すけん。そいよか、長旅で疲れちょろう? 儂の家に来なっせ。生憎こがん島じゃけん、民宿もなくてのう。我が家に泊まれるように、執りはかっちょる! もちろん食事も、この島におる間の用立ても、全て任せんしゃい!」
これはなんとも、至れり尽くせりだ。
感謝の旨を伝えると、彼は「なんてことなか。客人を歓迎すっとはなににも勝る喜びたい」と首を振り、
「ところで、そっちの娘どんは……」
と、いぶかしそうに、思慕くんを見た。
「あー」
ぼくは言葉に迷う。
最初の話では、二人連れで来ると告げていたのだから、老爺の反応は当然だろう。
都合のいい言い訳を探してみたが、見つかるより早く歩き巫女が口を開いていた。
「邪魔ァはしねェよ。おれはちょっぴり、古馴染みを拝みに来ただけさ」
「…………」
沈黙する老爺と、いやらしく笑う少女。
どう考えても言葉足らずな会話だ。なんとか弁明しようとあたふたしているうちに、思わぬ角度から助け船が入った。
「鬼灯のおじいちゃん。その方々は学者さまよ。もてなすのならば、井戸端の戯れ言を聞かせるより、早急に調査をさせてあげるべきじゃないかしら?」
響いたのは、鈴のような声音。
そこには、巫女がいた。
歩き巫女などという邪念の象徴ではなく、どこまでも正しい姿の、美しい巫女が──
§§
俗っぽさが全身からにじみ出ている妣根思慕とは相反する、隔世の佇まいを見せる彼女は、自らを
ちょうど、萌花くんと同じぐらいの年ごろだろうか。
「ようこそ、伊賦夜の島に。わたしは菊璃。この島唯一の神社、赫千神社で巫女を生業にしているの。歓迎するわ、貝木教授。そして教え子の──」
「あ、額月萌花です。今回は私の研究に協力して下さると言うことで、たいへん頭の下がる思いでして」
「……そう。そういうことね……ふふ。いいのよ。こちらも悪くない……いえ、渡りに舟のような話だったのだから」
「……?」
言葉の意味を計りかねたのか、萌花くんは首を傾げてしまう。
しかし……こんなときになんだが、ぼくにはまったく関係ない部分が気になって仕方がなかった。
黙っていることも出来ず、思わず訊ねる。
「ところで、鬼灯翁」
「親造で十分じゃ」
では、あらためて親造さん。
「ひょっとして、御二方はご親戚か何かだったりしますか」
「ほう。なぜじゃ?」
「何故も何も、赫千──
額月という名も、鬼灯を示す古語の類いだ。
他にも、跪き、額をこすりつけて祈るというような意味もあるが……
「伊賦夜の島民は」
親造さんが、真剣な表情で言った。
「島民は、百と八人。戸数は四十ぐらいで、誰も彼も、古くからの付き合いばやっちょる。顔ぶれは、いつも変わらん。そいけんか」
老爺はやにわに破顔し、言葉を続ける。
「みな、古くからの親戚同士のようなものじゃ。身内なんじゃ、ここでは。じゃけん、仲間が帰郷することほど嬉しかことはなか。おまけに郷土のことば調べちょると言う。だったら、協力してやらんばねと、そがん思っただけじゃ」
萌花くんを見る老人の視線は、とても柔らかく──逆に言えば、異様に距離感が近いようにも思えた。
「さあ、立ち話もなんだわ。言ったでしょう、おじいちゃん。学者さんに井戸端会議はよろしくないって」
「おお、そがんやったぁ。では、お客どんば案内すっか」
そんなこんなで。いろいろ違和感はあったものの。
結局ぼくらは、老爺のあとに続いて歩き出したのだった。
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