第四話 運命は御霊箱とともに

妣根ははね思慕しぼ。おれはこの街で唯一の、歩き巫女さ」


 謎の美少女は、確かにそう名乗った。

 奇妙な名前だと思ったが、それよりもずっと強く、歩き巫女という言葉が引っかかった。


「……歩き巫女は、神社から離れて祈祷だとか、縁結びだとか占いだとかを行っていたものたちが、生きていくために巫娼ふしょうへと零落──竈祓かまどはらいのついでに、遊女まがいのことをするようになったものだったと記憶している。キミは……」

「あってるさ。そういう格好しているだろ、おれ?」


 彼女、妣根くんは両手を広げると、その場でくるりと回ってみせる。

 フード付きの上着の下には、よく見ると確かに巫女装束のようなものを着込んでいる。

 しかし、それはどうにも安っぽく、水干、千早、白衣しろぎぬ、緋袴のどれにもみえない。

 おまけに、服の合わせ目が逆になっている。縁起が悪い。


「なんというか」

「忌憚なく感想を口にしろよ。そのぐらい許してやる」

「……激安サテン生地?」

「大正解」


 薄っぺらい光沢を纏った巫女装束は、コスプレの一環にしかみえず、妣根くんもこれに同意した。

 彼女はいやらしく、それこそ淫靡に笑った。


「物好きがね、こっちの方が興奮するからと贈りつけてきた代物さ。案外気に入ってな、おれは一張羅にしているが」

「しかし、驚いたな」


 もちろん驚いたのは、研究室に不法侵入されたから──ではない。

 明らかに未成年の外見をした少女が春を売っていると公言しているからでも、その物言いが男勝りだからでも、当然ない。


 ぼくは、熱烈に感動していたのだ。


「まさか、実在する歩き巫女に遭遇できるなんて! 夢のようだ、ほとんど絶滅種じゃないかっ」

「ひとを熊みたいに言うんじゃァねェよ」

「いやいや、熊よりも怖ろしいものだ。怪奇的だ。少し質問してもいいかな? その論文の感想、続きを聞きたいんだけど」

「……所感でいいのか?」


 こくりと首肯すれば、彼女は端的に一言、


「具体性に欠ける。片手オチだ」


 と、言い放った。


「血が通ってない。うわべの知識でよく調べたとは思うが、細かいディティールが壊滅的だ。祭りの様式は書かれていても、それを住民達がどう感じているかにまで考察が及んでいない。薄っぺらなのさ」

「執筆者は、乗り気じゃないと?」

「どうかね。。説話ってのは情報だ。古い時代、閉鎖的だったコミューンにとって、旅人がもたらす情報は生きる糧だった。疫病、天災、流行ごと、それら全ての解決策。情報こそが、黄金よりも価値のある時代が確かにあった。いまだってそうかも知れねーが、もっとずっとそうだったときだ」


 彼女は言う。

 来訪神とは、その名残であると。


「歓待の対価に与えられた財ってのは、ようするに危難に対する対策だったのさ。だからこそ、来訪神の起源を旅人、客人とする説が有力視されてる」


 ぼくは言葉を失った。

 彼女が口にしたのは、じつにアカデミックな、筋の通った学説だったからだ。


 前述したナマハゲは、怠け者を襲って更正させる神だ。

 それは、病気を癒やすという意味でもある。

 この役割を担うのは、同じコミュニティの者では役者不足で、恐怖と情報を等しく備える未知の存在でなければならなかった。


 即ち、来訪神。


 この少女は、その部分をよくよく理解しているらしい。


「河童」

「はン?」

「河童について、他に思うところはあるかい?」

「どーだかねェ」


 彼女は面倒そうに明後日の方向へと視線を向ける。


「さっきも言ったが、河童は陸に上がって習性を変える。ヨギホトが同じように習性を変えるなら、海のなかでは役割が違うことになる。それは、例えば──」


 そう言って、彼女はぼくの傍らに置いてあった顔のない赤ん坊の木乃伊を指差した。


「例えばそれだ。猿と人魚と河童ぐらい、違うもんだろうな。そのことを、筆者はわかってねェのよ」

「────」


 感服する、その慧眼に。


 そう、この木乃伊は猿と魚の木乃伊を接合したものだ。

 本来は人魚の木乃伊として見世物にされ、次に河童の木乃伊という名目で出展されて、経年劣化の末に顔のない赤ん坊などというトンチキに成り果てたものだ。

 彼女は、ひとめでそれを見抜いたのだ。


 ここまでくれば、ぼくも確証を掴みはじめる。

 ひょっとしてという疑念が、確信へと変わる。


「もうひとつだけ、質問させて欲しい。もしかして、その箱は──」

「うン? ああ」


 彼女は、何事もないような顔で、右手に持った箱を揺らして見せた。


「こいつはおれのものさ。枕語りに飽きて、ちょっと居眠りしてる間に客に盗まれちまってな。ようやく今日、行方を突き止めたわけだ」

「やっぱり」


 歩き巫女というのは、神社に属さない。

 その代わりに、ご神体を持ち歩く。

 それは一般的に箱の形を取っており、場合によっては狐狗狸こくり──つまり魑魅魍魎ちみもうりょうの類いを飼うという。

 ぼくの推測は当たった。

 つまり、その箱には。


「これは御霊箱みたまばこという。ある意味で地獄のような、おれの祭神さ」


 反射的に、ぼくは椅子を蹴立て、彼女ににじり寄っていた。


「お、教えてくれないか、妣根ははねくん」

思慕シボでいいよ、面倒臭い」

「ならば思慕くん! その箱の中には、まさか、まさか──」


 ぼくが何を言おうとしたのか、彼女は察したのだろう。

 あの刹那に垣間見たモノを、知っていたのだろう。

 喉の奥で泥が煮立つような不気味な笑い声を上げると、それから茶目っ気たっぷりにウインクをして見せた。


「それ以上はやめておきな。……?」

「────っ」


 蠱惑的な笑みに、ぼくは絶頂すら覚えてしまいそうだった。

 こみ上げてくる好奇心。

 現状では、〝まだ〟否定できない神秘の片鱗!


 そうだ、そうなのだ。

 やはり、そうなのだ!


「この世に、怪異はあるんだね!?」

「どうかな、いまじゃ随分となっちまったが」


 ──嗚呼。

 天を仰ぎ、両手で口元を覆えば、弧を描いているのが解った。


 まだ、何も実証は得られていない。

 それでもぼくは、彼女に感謝した思いで一杯だった。


 孤独な外つ国、辺境の地で同胞に出会ったような心強さが、ぼくの全身を充たしていた。

 これまで何度も、この腕を虚しくもすり抜けてきた神秘への手がかりが、いままさに目の前にあって──


「ところでさ」


 少女が、首を傾げながら問う。


「聞きそびれてたけど、おまえの名前は、なんて言うんだ」

稀人まれひと。ぼくは、貝木かいき稀人まれひとという。人呼んで、プロフェッサー怪奇学と──」

「まれひと」

「ん?」


 彼女は、どうしたことかぽかーんと口を開けてしまった。

 沈黙。

 思慕くんはなにかを探るようにぼくを見つめ。

 やがて、奇妙な問いかけを放った。


「まれひとってのは、まさか稀なる人と書いてまれひとって読むんじゃあねェよなァ? そんな偶然、あってたまるわけが」

「いや、合っているよ。ぼくの名前は、稀人だ」

「────」


 今度は彼女が天を仰ぐ番だった。

 ただしその美々しい顔に浮かぶのは、呪いのような色だったが。


「運命ってのは残酷で愉悦に満ちてやがるなァ……」


 ぽつりと、彼女は呟いて。


「ところで思慕くん、よかったらもっと話を聞かせてもらいたいんだ! とりあえずは、この論文についてなんだけど──じつは、その箱と似たものがこの島にはあるというんだ。もしも何か関連性があるというのなら、教えて欲しい。そうそう、じつは近日島へ直接出向く予定もあって!」

「おまえ、だいぶ面白いな」

「え?」



 ──花が、咲いたと思った。



 酷く場違いで、全然そういう場面ではなかったのに、ぼくはそう思った。

 こちらを見つめる少女の笑顔が、あまりに眩しかったから。


「いいぜ、付き合ってやるよ。とことん付き合ってやる。さあ、夜は長いぜ、何から話す?」

「じゃ、じゃあ!」


 ぼくは童貞のようなテンションで、ドギマギとしながら質問を繰り出した。


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