第二話 神秘を肯定する者 疑う者

 もちろん、不名誉を恥じる心は持っているし、恥だって知っている。

 けれども。


「そう、けれどもこのぼくには夢がある。諦めきれない理念がある!」


 地球温暖化に端を発した天変地異や異常気象の類い。

 はては現代にいたって疫病までもが蔓延したこの世界では、次に何が起こるかわかったものではない。

 それでも予測を立てるならば、過去や歴史というものに目を向ける必要がある。


 地震も、津波も、疫病も。

 どれも民俗史を紐解けば、確かに足跡があるものばかり。

 この世のあらゆるものには前例がある。

 そして、前例は、必ず実在を伴うのだ。


 街談巷説がいだんこうせつ、民間伝承、神話に民話、怪奇譚──そのルーツには、怪異が実在していなければ説明のつかないことが山とある。


「知っているかね、萌花くん? 真実を最小単位まで解剖したとき、はじめて事実というのは顔を現す。それがことの始まりだ。そう、だからこの世には、確かな神秘が実在して──!」


「そんなオカルト、ありえません」


 ぼくの教え子。

 数少ないゼミ生。

 冷静なる萌花くんは。

 酷く冷たい声で、ぼくの熱情を全否定した。


「そんなだから、プロフェッサー怪奇学って呼ばれるんじゃないですか」

「きょ……教授と呼びたまえ、せめて教授と!」

「じゃあ先生で。とにかくですね、矛盾していますよ先生は」


 彼女は唇をとがらせて、なんだか不満そうにこちらを指差す。

 もう少し正確に言うのなら、ぼくの手の中にある赤子──猿の木乃伊を。


「先生は酷い渾名で呼ばれていて、その上で怪異を信じているとうそぶきます。ですが、これまでに遭遇した多くの現象を、あなたは理性の刃で断ち切ってきました。その木乃伊だってそうです。先生はオカルトの物品だって口では言いながら、理性的にニセモノだと断定している」

「…………」

「先生はひょっとして、心底では怪異を信じていないのではないですか? というか、私と怪異、どっちが大事なんですか!?」

「怪異に決まってるだろこのエキゾチック褐色メガネっ娘っ」

「ひゅい!?」


 あ、ごめん……少し言い過ぎた。

 あれだ、言葉が足りないな、うん。


「いいかい萌花くん。ぼくはね、誠心誠意、怪異を信じている。だからキミの問いへの答えは、否定だよ」

「……ですが」

「ああ、そうだろう。これはキミを納得させるには足りない言葉だ。でもね、結局ぼくも学徒の端くれなのさ。理性で説明できることは、現実的に証明しなくてはならないと考えている。全てを疑うべきなんだよ、萌花くん」


 この世に嘘は色濃く、多く。

 だからこそ、惑わされてはならない。

 虚偽やトリックでしかないのなら、蒙昧もうまいなペテンと断じて、ぼくには解き明かす義務がある。

 でなければ〝本物〟を、見いだすことなど適わないから。


「コギト・エルゴ・スム──我疑う故に我ありだ。ゆえに、ぼくは怪異と神秘を求める。自分の見識が及ばない、疑っても正体が露見しない本当の怪異を。きっと、心のよりどころを欲しがってね」

「…………」


 押し黙る彼女を見て、かすかにぼくは笑った。

 教え子に迷いを与えるのは教職として間違っているかもしれない。

 けれど、その迷いが柔軟な思考を産むことだってある。

 いまは、これでいいはずなんだ。


「それで萌花くん。ずっと気になっていたんだが、キミがさっきから抱えている〝それ〟は、一体何なんだい? それこそぼくの木乃伊と、大差のないもののように見えるけど?」

「あ、これですか!」


 急に彼女は声を、朗らかに跳ねさせた。

 それで、ぼくはろくでもないことなのだろうと当たりをつけることが出来た。


 額月萌花という教え子は、オカルトに傾倒しているわけでもないのに、たちの悪いモノを集めてくる性質を備えていたからだ。

 この部屋に飾られている謎の物体の数々だって、半分は彼女があちこちから集めてきたものである。


「これはですね! 今日、ちょっとした用事があって行きつけの質屋によったんですけど」

「その歳で行きつけの質屋があるのはどうかと思うよ?」

「そこでビビッと! 私のセンサーに反応しちゃって買ってきたんです、この箱。ゼッタイ先生が気に入るだろうと思って!」


 箱。

 確かにそれは、箱だった。

 一見して寄せ木細工のような──箱根細工とも言う──模様がある、両手に乗るほどの箱。

 随分と古いもののようにも、あるいは昨日作られた新品のようにも見える、不可思議なその箱を、萌花くんはガチャガチャとこねくり回す。


「これ、なにしても開かないんですよね」

「……なんだって?」

「故郷──といっても幼いころ、すぐ母に連れられて本土へ渡ってきたんですが──論文の題材でもある伊賦夜島にも、獲物を捌く機具を収納しておく眞魚木細工まなぎざいくというのがあるんです。なんだかそれと、似た雰囲気を感じて」


 それで、思わず購入してしまったと?


「そうです。質屋さんは、どうも曰く付きの危ないものだって仰ったんですけど、むしろ私は安心してしまって」

「萌花くん」

「なんですか、先生?」


 ぼくはクイッと黒眼鏡を押し上げ、とても真剣な調子でまくし立てた。


「それはきっと、怪異の実在を証明するアーティファクトに違いない! ぼくの見立てが確かなら、この箱こそ、きっと神秘を証明する欠けたピースの一枚で──」


「だから──そんなオカルトありえませんってば!」


 ズバッと。

 こちらが言い終える前に一刀両断してみせる萌花くん。

 うん、なんだろうね。

 こういうところは、ほんと研究者に向いているよね……


「……もう」


 ちょっと本気で落ち込み、しょぼんと肩を落としていると、萌花くんはあきれ果てたようにため息を吐いた。

 そうしてこちらへ歩み寄ると、彼女はぼくに箱を差し出してくる。


 え?


「触っても、いいのかい?」

「もちろんです。私はオカルトを信じていませんが──これは敬愛する先生の研究の一助になればと思って、買い求めたものですから」

「萌花くん……!」

「あと、出来ればでいいので私のことも構って欲しいなぁ──って、先生? 聞いてます?」


 後半彼女が何を言っているのかは聞き取れなかったが、ぼくは感動に打ち震えながら箱を受け取った。


「ふむ?」


 存外に軽い……

 簡単に弄ってみるが、確かに開かない。

 どうやら、いわゆる絡繰り箱のようになっていて、所定の手順で模様を触らないと開かないらしい。

 この時点で、ぼくの興味は全て、箱に移っていた。


「……〝密封〟されている?」

「なんです?」

「いや……えっと、萌花くん。この論文と箱は、ちょっと預かってもいいかね?」

「もちろんです! あ、ですが、先生。交換条件というわけではないんですけど、ひとつご提案があってですね」


 萌花くんは、少しばかり迷ったように。

 もしくははにかんだようにしながら、その提案というものを口にした。


「じつは、論文で行き詰まっているところがありまして。よろしかったらですけど、今度一緒に現地へ──伊賦夜島へ──フィールドワークに出向いてはくれませんか……?」

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