第3話

あるいは、オットーが威風ある父の相貌をよく受け継いだ金髪碧眼であったこともその傾向を助長したのかもしれない。ジギスムントが帝位継承者第一位であるのは疑いのないところだが、皇位継承権のあるオットーの周囲には一定の貴族サークルが出来上がり、宮廷内に毎年のはじめに「今年こそが君が年」などと挨拶をするような異分子が形成された。ジギスムントが気にしていたことに、長年の知己を除いては、宮廷内の自身の勢力が自分を推挙した司法尚書と宮内尚書のみであり、軍の支持はオットーのほうに傾いていた。ジギスムントはパレードに列席するたび、その場にはヒョロヒョロとしたわが身よりもオットーの偉丈夫の方がよほど似合っていることがなんともわびしく思われたし、文芸に凝って軍の人気取りをしてこなかったことを後悔したのである。


ジギスムントは先帝の喪に服している間は、自らの私邸をしばらくは公務の場としていた。カーテンを厚く閉じた自室で昼も夜もジギスムントは公文書の処理―といっても既に尚書たちが決定したものに署名するだけだが―と、自らの周囲にいる人間の人相見を始めた。その間、ジギスムントが入室を許したのは、3階級特進させた近衛師団次長ヘッツェンと、文書一切をとりしきる宮内尚書ヘッケラー、そして女官アンのみである。そのうちヘッケラーは術数に長けた人物で、役人との駆け引きに長けていたが、ヘッツェンは42歳の少壮士官であり、アンも経験の浅い女官でしかなかった


やれやれ、とジギスムントは癖になったため息で、いかに自分の境遇が心もとないか実感した。まだ国家の基礎はならず、強大な軍は自分の手の内にない。自分はまず仲間を集めるところから始めねばならない。ジギスムントは、一日の始めに常にそうするように、アンがポットにいれていた紅茶をすすり、時にその黒髪をかきあげた。


―オットーは、自分を尋常でなく敵視している。いや、あれは憎悪なのかもしれない。


ジギスムントはやがて血なまぐさいことは避けられぬかもしれない、と少し身震いした。オットーの傲慢な程の精力と剛性は、ジギスムントを下に立つ自分に我慢していられるほどやわなものではない。彼がその岩のような体躯で鬨の声を上げれば、師団の一つや二つはすぐオットーを支持して行動するだろう。


「味方は近くにおくべし、しかし敵はもっと近くに置いておかなくてはいけない。」


そう呟くとジギスムントは壁にかけてあるベルを引っ張った。これで階下にいるアンに伝わり、紅茶のお替りを持ってくるのだ。ジギスムントはこれまでも何度か演説の草稿などを見せたことがあるが、もしやこれからもっと話を聞くことが増えるかもしれない。もっとも、次期皇帝が女官に意見を求めるなど公にはできないが…


 アンは、徴税官の一人娘に生まれ、本来は婿でもとって家産を継ぐはずであったが、はやり病で早逝した叔父夫婦の残した男子を養子にしたことから、女官としてわずか14歳で奉公に出るようになった。この時代にはめずらしく読み書きに長け、古典教養に富んでいたアンをジギスムントの母アンネが興味深く思って、彼女を宮中に迎え入れた。ジギスムントの父ミュラーは、むしろこれを余計なこととみていたようだが、結局ジギスムントにとってはアンは古典世界や史学への案内人となった。時々ジギスムントは、政治には詳しくないはずのアンが時折見せる洞察力の深さに、舌を巻いた。もしやこの女は、ほかの男よりはるかに人間の奥底を見通しているのかもしれない。

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