第62話 六原屋
「ねぇ、おじちゃん。さっきのはなんだったの?」
三納屋を後にしてすぐ、ハハルが尋ねてきた。
ハハルが不思議そうにおれたちのやり取りを見ていたのは気がついていた。表情を隠せないのは減点だが、状況や空気を読むことは満点。さすがである。
「あれは、おれたちの暮らしをよくするための布石だ」
「布石?」
不思議そうに首を傾げた。
「おれ一人だけなら傭兵に戻って、魔物を倒せばそれなりに裕福に暮らせる。だが、お前らと暮らすために仕事は必要だ。誰に憚ることなく、後ろ指さされない真っ当な仕事を、な」
兵士も傭兵もこの時代には必要だ。なくては人の世は維持できない。だが、人を殺し、魔物を殺し、血にまみれる生き方は真っ当とは言えない。誇らしいとも思えない。心を腐らせていくだけだ。
「まあ、真っ当に生きるのも、それはそれで大変なものだ。人はすぐ妬み、憎み、騙そうとする。お前ならわかるだろう?」
人を見て、人の心を察し、出ることもなく引っ込むこともなく、厳しいときは無害を装い、必要なときはそれとなく自分を主張する。
器用と言えば器用だが、そんな生き方をしたいかと言われれば嫌だと答えるだろうな。
「……うん……」
「商売も同じでな、あれもこれもと欲を出すと、周りから妬まれたり憎まれたりする。同じ商売をしようとしたら殺し合いにまで発展することだってある。望まれたから、人助けだからでも同じだ。生意気だ、偽善だと、人は人のものを羨むからな」
面倒だとは思うが、人である以上は避けられない。逃げ切ることもできない。人の中で生きている以上はな。
「おれは幸せになりたい。ハハルはどうだ?」
「……あたしも幸せになりたい……」
「俯くな。それは誰憚ることのない、人ならば誰でも願うことなんだから。だが、それを言うことは控えろ。妬むバカにつけ込まれるからよ」
幸せも不幸も隠すことは完全に隠すことはできない。それは自然と出るものだから。
「生きるためには力がいる。それはわかるな?」
「う、うん」
「じゃあ、その力がなんなのか説明できるか?」
との問いにハハルは押し黙った。
「まあ、その力は千差万別。これがあれば大丈夫ってものはない。人に合わせ、状況に合わせ、世に合わせてなくちゃならん。ハハルならなんとなくわかるだろう?」
「う、うん。本当になんとなくだけど」
「そのなんとなく、ってのが大事なんだよ。それは教えられるものじゃない。お前が小さい頃から学んできたことなんだから」
生まれ持ったセンスもあるだろうが、それは鍛えなければ磨かれない。人や状況、世に合わせて対応できない。
「だがな、そればかりだけでもダメだ。人の中で生きるには見える力も必要だ。金であり武力であり権力でもある。それなくして自分の幸せを求めることはできない」
もちろん、それらも使い方次第。無闇に使えば身を滅ぼす。バランスが大事だ。
「お前がこれから持って欲しい力は金だ。商売をし、仕事を作り、人を育て、人を使い、押し寄せる人の悪意を金で跳ね返せ。途中、失敗しても恐れるな。お前の後ろにはおれがいる。武力がある。三賀町程度の権力なら押し潰せる。この国一番の女商人になれ」
「……あ、あたしが、国一番……?」
壮大過ぎてピンとこないだろうが、今は田舎の小娘でいい。嫌でもおれが国一番にしてやるんだからな。
ハハルが混乱したまま
三賀町でも上位に入り、いくつもの支店を持ち、都にもあるとか言われている。まあ、付き合いがなかったので噂程度の知識しかないがな。
「昔に見たとは言え、改めて見るとそのデカさがよくわかるな」
今さらだが、この国は木造建築がほとんどで、日本てより昔の中国の感じだ。ただ、東の国の文化も入ってきてるので日本家屋っぽいものもある。
六原屋も日本家屋っぽい造りで、店先には荷馬車が並び、たぶん、置くにある倉庫に入れようとしてるのだろう。
六原屋の体制がどうなっているかわからないが、人は年齢や服で偉さがわかるもの。ましてやデカい店なら上役になるほど身嗜みに気をつける。
となると、見えている範囲で三人。どれもが四十代で番頭クラスに見える服と身嗜みだ。
一人は荷馬車の監督。一人は荷の検品。一人は全体を見て、なにか帳面を手にしている。
外番組、って感じかな?
全体を見ている者が、三十代の男と一緒にいるところを見ると、この男が外番組の代表だろう。
傭兵所の出張所にいたミゲルさんは、本店には話を通しておくとは言っていたが、こんなデカい店で、部署を超えて話は通じるものなのか?
外の動きを観察しながらそんなことを考えていると、全体を見ていた男がこちらに気がつき、営業スマイルを浮かべながらこちらに向かってきた。
「いらっしゃいませ、
「あ、ああ。どうも。よくわかりましたね?」
見た瞬間、おれを認識し、確実におれとわかって声をかけてきた。
「はい。昔、都から来るときお世話になりましたからね。あのときは助かりました」
都から? まあ、護衛もやったことはあるが、六原屋の依頼など受けたことはないぞ。
「申し訳ない。六原屋さんと商売したことがあっただろうか……?」
六原屋ともなれば専属の傭兵団と契約しているし、おれがいた傭兵団は流れの傭兵団だ。由緒正しい六原屋が依頼などしないだろう。もしかして、隠して依頼したのか?
「いえ。あのときは知り合いの行商隊に世話になり、三賀町を目指していました。あ、名はサイロと申します」
まあ、個人で旅をする者もいなくはないが、大抵は行商隊にお願いして同行するものだ。そのときのことか?
「そうですか。おれはタカオサ。まあ、
なんてこと言うと、なぜか驚かれた。なにか?
「……失礼しました。あの頃とは違って、随分と落ち着かれたように見えましたので……」
いつ会ったかわからんが、傭兵時代は殺伐していて尖っていた記憶がある。引退して、前世の記憶が蘇る経験もすれば人が変わったように見えるだろうよ。
「まあ、人生いろいろありますからな」
そうとしか言いようがないと、苦笑いを見せた。
「そうですね。いろいろあるものです」
サイロさんもいろいろあったのだろう、重みを感じる苦笑を浮かべた。
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