第30話 妹分

「母ちゃん! ハルマ!」


 声をかけようとしたら十二歳くらいの少女が家の陰から飛び出して来た。


「大丈夫だよ」


 少年が空元気を口にして立ち上がった。


「ごめんよ、なにもできなくて」


「母ちゃんが悪いわけじゃねーよ! 謝んな!」


 そんな健気な少年に母親らしき女は、さらに申し訳なさそうな顔をする。


 なにか感動的な場面に見えなくもないが、こんな光景はそこらしこにある。記憶を辿れば数え切れないほどある。


 クソのたれな状況ではあるが、これ以上に酷い状況を何度も見ている。まだこの親子は不幸とは言えないレベルだ。


 って、そんなことはどうでもいいのだ。


 この母親の顔がおれのなにかを引きつけることが重要なのだ。


 見詰めているおれにまず少年が気がつき、続いて少女、そして、母親がこちらに目を向けた。


「……あんちゃん……」


 と、母親がおれを見てそう言った。


 そう、呼ばれるのは何年、いや、何十年振りだろうか。もう呼ばれることもないない、懐かしい呼び名。だが、その呼び名を言う者はいない。


 兄弟、年下の仲間たち、ほとんどが死んでしまったのだから。


 ……ん? ほとんど……?


 自分の言ったことに首を傾げる。


 ほとんど、と言うことは残っている者がいると言うこと。この母親が三十前後ならおれの六歳下と言うこと。六歳下なら一番下の妹と同じ歳だ。


 記憶が弾けたように昔が溢れて来た。


「──ミルテか!?」


 もう完全に女で、母親ではあるが、あの頃の面影はあった。間違いなくミルテだ!


「あんちゃん!」


 感に堪えられないと感じで抱きついてくるミルテにびっくりしたが、大切な妹分。大きい気持ちで受け入れてやる。


「……生きてたんだな……」


 いや、帰って来たときに兄貴からほとんど死んだと聞かされ、そのほとんどに疑問を感じて誰が生きてると尋ねた記憶がある。


 そのとき、ミルテの名前は出なかった。兄貴も同じ集落の子どもの名を覚えているわけじゃないからな。


「……うん……」


 そうかと、頭を撫でやる。妹とこいつはおれになついて、頭を撫でられるのを喜んでいたっけ。


「しかし、花原はなはら集落はよく通ってたんだが、まったく気がつかなかったわ」


 まあ、死んだと思ってたから、見ててもミルテと気がつかなかったかもしれんがな。


「あたしはわかってた。けど、もう忘れられてると思って声かけられなかった。もう嫁いだ身だったし」


 ってことは何度も顔を見てると言うことか。そりゃ、声はかけ辛いわな。誰でしたっけ? とか言われたらおれでもへこむわ。


 それに、結婚して他の男と親しく話すのは──って、これはさすがに不味いだろう!


 慌ててミルテを引き離す。誰かに見られてたら……って、子どもらに見られてましたね……。


「悪い悪い。人様の嫁に失礼なことしちまったな」


 おれは紳士である。女性に恥をかかせてはならないのだ。


「……旦那は死んだよ……」


 あん? 死んだ? ──あ、そう言えば、四、五年前に花原集落で働き盛りのが死んだとか聞いたな。あれ、ミルテの旦那だったのか。


 おれも田舎の事情を事細かく知っているわけじゃないが、嫁に来たと言うならミルテの旦那は長男だろう。その長男が死んだ場合は、大体が次男が継ぎ、長男の嫁も継ぐような話を聞いたことがある。


 なんかいろいろ倫理とか人情とか無視してんな! とか今生の感覚でも思うが、倫理とか情が蔑ろにされるのが田舎だ。反論するほうが非常識扱いされるだろうよ。


「じゃあ、さっきのが新しい旦那か?」


 余り夫婦には見えなかったが。


「あんなヤツとーちゃんじゃねー!」


 と、ミルテの息子が憎々しげに否定をした。


 感じからして思春期からくるものじゃなく、憎悪からくる拒否って感じだな。


 どう言うことだとミルテを見る。


「サマルさんは旦那の弟で、新たに家を継いだんだけど、あたしらが気に入らないらしく、もらってくれないんだ」


 そりゃまた、真っ正面から田舎の常識にケンカ売ったヤツだな。よく周りが許してること。


「あんなクソ野郎にもらわれなくて正解だ!」


 またミルテの息子が憎々しげに吐き捨てた。


 ある意味、こいつも田舎の常識にケンカ売ってるよな。この家の血か?


「……ハルマ……」


 思いは息子と同じだろうが、女が田舎で生きるには過酷だ。男に媚びて体を売るか、僅かな食い物を得るために乞食のように家を回るしかない。もう、いっそのこと殺してやったほうが救われることだろうよ。


 妹分とは言え、他人の家に口を出すのはご法度。下手したらこちらが悪者になる。ここは、黙って去るのが賢い選択だろう。そうしたって誰も文句はいわない。


 が、生憎と村長に反論をした男に、今さら田舎の常識などに付き合ってやる義理も義務もない。


 今のおれには前世の記憶が蘇り、田舎の常識に対抗──いや、覆すだけの力がある。なにより、これからの計画に人手は必要なんだ、まずは信頼する者で固めないといかんだろう。


「ミルテ。おれはこれから商売を始める。まだ海のものとも山のものともつかないものだ。苦労もある。戸惑うこともある。嫌なこともある。だが、今よりマシな生活は約束する。おれのところに来ないか?」


 ミルテに手を伸ばすと、息子が母親と姉の手をつかんで、おれの手を握らせた。


「母ちゃんと姉ちゃんをお願いします!」


 息子が土下座をしようとするのを襟首をつかんで阻止をする。まったく、十歳とは思えんおもいっきりのよさだな。


「お前も一緒だ、アホ」


 こんな優秀な人材を逃すわけないだろう。他に捕られてたまるかよ。

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