3-7

〔訊いてはいけないことだったか?〕

〔さあ、どうでしょう。ただ事ではないのは確かな様子ですが……〕


「……そうですね、いつかは訊かれるだろうとは思ってはいましたが、この国の人間には決して持ち得ない瞳ですからね」


 気分を落ち着けるためだろうか、それとも意を決するのに必要だったのか。

 依夜は手元にあったお茶を一飲みすると、静かだが、それでいて何かを耐えるかのように語りだした。


「この〝紅い眼〟は元々、わたしの眼ではないのです」


 ルアーハは何も言わない。ただじっと依夜を見つめている。

 それは慈愛とも呼べる眼差しだと詞御は感じた。


「本当なら、今わたしは〝この光景〟を見れていないんです。三年前になります。長年、それこそわたしが生まれる前から、月読王国と国家間の交流があるサーゼリア王国に、友好国樹立記念日として、お母様とお父様とわたしが来賓として招かれました。そして、大きな道路を封鎖しての大々的なパレードがとり行われたのです」


 依夜は訥々と当時の事を語り始めた。

 二頭の馬が引く大きな天蓋つきの、騎手を除けば二人乗り馬車三台。

 それぞれには、互いの国王、女王同士が乗車。そして三台目の馬車には、小さいころからの親友であるキョウコ・サーゼリア第一皇女と依夜が乗ったという事。


「もちろん、万が一に備えて警備体制は万全でした。今振り返っても、穴はなかったです。一つの馬車に中位・丙型の方が十人。また最前列と最後尾には中位・乙型の二人の倶纏使い、合計三十二人のサーゼリア国最強護衛隊がわたしたちを守りながらいましたので。しかし――」


 ――その万が一が、起こってしまったのだ。


 〝その者〟は沿道に集まった多くの人混みの中から突如として現れ、物凄い速度で飛び出てきたのだ。そして、依夜たちが乗っている馬車目掛けて走ってきた、凶行をおこすべく。

 護衛の方々が動こうとしたが、倶纏を顕現させる前に〝その者〟から瞬く間に首をはねられ絶命。その勢いのまま、馬車を引く騎手も殺し、依夜たちに攻撃をしかけたのだ。

 そう語る彼女の表情は、とても苦しげだった。


「今でもわたしかキョウコ、どちらが狙いだったのかは分かりません。わたしはその時は皇女の立場ゆえ、武術の訓練などしておらず、当然、倶纏の扱いも習得していませんでした。故に、わたしは動けずにいた。が、〝その者〟の視線がキョウコに向いたとき、わたしは咄嗟に彼女の前に出たのです。結果、わたしは訳の分からないまま、両瞳を切り裂かれ光を失いその痛みで気絶。そして次に気が付いたときは、病室のベッドで横たわっていました。

 眼を開けると、光を失ったはずの両眼に、病室の天井が映ったのです。わたしは不思議に思いました。気絶する前の事を思い出して。確かに、瞳を切り裂かれ、光を失ったはずなのに、と。訳が分からないままでいると、わたしが起きた事に気付いた看護師が、お父様とお母様、そしてキョウコの両親を呼んだのです。そして、事の顛末を聞かされました」


 依夜はぎゅっと、手に持った湯呑を握り締め視線を落とす。その表情は正面からは分からないが一層青ざめて、とても普通の状態から程遠いことは詞御でも分かった。


「わたしがキョウコをかばって両瞳を切り裂かれた後、キョウコはお腹を手刀で貫かれた、と。ですが、それ以上の凶行は阻止されたそうです。後方に待機していた、中位・乙型の近衛騎士が駆けつけてくれたお陰で。〝その者〟はすぐさま人混みの雑踏に紛れ込むと姿をくらましたそうです。当然、パレードは中止になり、わたしたちはすぐさま王室御用達の特別な病院へ緊急搬送されました。不幸中の幸いか、わたしは瞳を切り裂かれた自体以外は目立った外傷はなく、命そのものには問題なかったのです。

 ですが、キョウコの容態は違っていました。緊急救命装置によって、意識はかろうじてあるものの、失血が多すぎたのと、またお腹を貫かれたとき、内臓をぐちゃぐちゃにされたらしく、現代の医療技術や医療用の倶纏でもっても治せない、と言う通告をキョウコと彼女の両親は医者から受けたそうです、わたしの眼の状態と共に……、うぷっ!」


 詞御が依夜の方を見れば、手を口元に持っていき、青ざめた依夜の顔があった。そして、身体がカタカタと震えている。その震え方は傍から見ても尋常では無かった。


〔フラッシュバックか!?〕

〔どうやら、そのようです。話をやめさせましょう!!〕


 依夜の異変に気付いた詞御は、話をやめさせるべく立ち上がる。だが、依夜は空いている片手を突き出し、それを阻止する。そして、片手で口元を押さえたまま、依夜はルアーハに目配せをした。それを受けてルアーハが口を開く。


「代わりに儂が続きを話そう。依夜の状態を知ったキョウコ殿は、両親との話し合いで、申し出たそうじゃ。『助からない命なら、せめて自分の角膜を依夜に移植してはくれないか、と。そうしたら依夜の見ている光景は、自分の見ている光景になるでしょう』、と。こうしてキョウコ殿の両眼の角膜は依夜に移植され、依夜は再び眼に光を取り戻したというわけじゃ。

 そして、手術の成功を聞いたキョウコ殿は、まるでそれを聞くのを待っていたかのように、静かに息を引き取ったのじゃ……。依夜の瞳が紅なのは、キョウコ殿の角膜だからじゃ。依夜たちを襲った犯人は、当時の国際捜査局から最重要に指名手配をされていた、上位・甲種級の暗殺者、ルシフェル・ゼガート」


 ピクッと、詞御とセフィアがルアーハが口に出した名前に反応する。だが、ほんの一瞬ゆえにそれには気付く事無く、ルアーハは話を続ける。


「無差別に凶行に及ぶのではなく、依頼を受けてのみ動く、プロの暗殺者。それゆえに一旦消えると消息を追うのが難しく厄介な人間。奴の倶纏はどの階位か分からぬが、これまで数多くの暗殺をこなしてきた凄腕なのは間違いないのじゃ。現に三年前のあの時も、中位級の使い手が一瞬の内に殺されたからな。

 奴の手にかかった人間はそう多くはないものの、暗殺の対象がどれも各種の要人ばかり。上位級の指名手配を受けて当然の奴じゃった。当然、この事件を受け、月読王国とサーゼリア王国は対策本部を設置し、総力を上げて奴を探した。ルシフェルの凶行はテロじゃったから」


 心なしかルアーハの言葉には覇気がなくなって、まるで空気の抜けた風船のように。


「じゃが、空しく時が過ぎるばかりで一向に奴の足取りは掴めなかった。ところがじゃ、一年半前、とある浄化屋が生け捕りにした、という報せを聞いた時は驚きを隠せなかった。生死問わずの対象を無効化して取り押さえるのは、どれほどの腕前かと。その後、裁判が執り行われる事もなく、奴は死刑をうけたそうじゃ。

 結局、どれほどの拷問に掛けようとも、過去の事件の事について、ひいては依頼主の事は頑として、一切明かさなかったそうじゃ。それゆえに、三年前の事件についても、結局の処、真相は闇の中に葬られてしまった、というわけじゃ。悲しい事じゃがな。……そろそろ、落ち着いたかや、依夜?」


 ルアーハが依夜を気遣うように言葉をかける。どうやら、依夜の体の痙攣は治まり、顔色も先ほどよりは通常近くに戻っていた。それにホッとする詞御だったが、再び視線を上げて、自分を見てくる依夜の視線をみて、ある意味、詞御の背中に戦慄がはしる。


 その視線には確かに強い意思があった。そう、あった。だが、その決意を秘めているはずの視線は、どこかうつろになっている事を、詞御は感じ取る。そして、察した。それはある種の危うさを秘めている物だという事を。

 ベクトルは違えど似ているのだ、強大な〝悪〟と呼べる物と。思想や信念を持つのは別段悪い事ではない。だが、ひとつ間違えれば、周りを巻き込みかねない善意という名を被った悪意となる。


 かつて聞いた先生の言葉が思い起こされる。

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