第十話
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「ゆ、遊佐君!? 大丈夫ですか!? 遊佐君!? 遊佐君!?」
薄暗く、湿り気のある空間に、僕の叫び声が響く。
どうしてこんな事になってしまったのか。
僕はその原因をずっと考えていた。
あの時、素直に打ち明けられていたらこんな事にはならなかったと思う。
秋月さんに情けない姿を見られる事もなかったと思う。
後悔が、とめどなく全身に広がっていく。
あぁ、見栄なんて張らなければよかった……
× × × × × × × ×
【10月23日 金曜日】
「週末、デートしてこいよ」
「デート?」
文化祭が来週に迫り、学校全体がそわそわし出した頃。
秋月さんとの歪な繋がりが生まれてから、約二週間が経った金曜日の昼休み。
突然、弓野がそんな事を言い出した。
「そろそろありきたりなのも飽きてきたからな」
弓野がつまらなそうにそう言う。
僕が秋月さんに勉強を教えてもらっている事、一緒に帰っている事を弓野達は知っている。
そんな日常が、ここ数日毎日続いていた。
だから、弓野達も飽きてしまったんだろう。
からかいがいのなくなったおもちゃに新しい刺激を求めて、難易度の高い要求をしてきたんだと思う。
「……分かった」
「お、なんだよ。まんざらでもなさそうじゃん」
「本当に付き合ってんじゃねーのか?」
「別に、そんなんじゃ……」
そんな弓野の要求を、僕は抵抗せずに受け入れた。
すると、根本と大森が笑いながら僕にそう言った。
すかさず僕は否定する。
別に、そんなんじゃないと。
断ると面倒だから。
弓野に逆らうわけにはいかないから。
だから、嫌々引き受けて……とは言い切れなかった。
正直、根本の言う通り、秋月さんと出かけるのはまんざらでもなかった。
きっと楽しいと、心の中でそう思っていた。
弓野達には死んでも言えないけど。
「「フハハハハハ」」
「………………」
僕をからかって笑う根本と大森。
けれど、弓野だけは、つまらなそうな顔をして僕を見つめていた。
× × × × × × × ×
【10月25日 日曜日】
「ごめん秋月さん、待った?」
「いえ、今着いたばかりです」
少し肌寒い、10月後半の日曜日。
僕達は、お互いの家から一番近い地下鉄の駅前で待ち合わせをしていた。
時刻は9時45分。
待ち合わせ時間は10時で、余裕をもって家を出てきたはずなのに、それでも秋月さんを待たせる形になってしまった。
15分前で勝てないって、秋月さんは一体何時にここに来たんだろう。
そんな疑問が頭の中に降って湧いて、秋月さんの様子を注意深く窺った。
息が乱れた様子はない。
それに、髪や服も綺麗に整っている。
乱れているどころか、髪は普段の癖のあるウェーブ状態よりもストレート気味に整えられていて、服も大きめの栗色のカーディガンにバーバリーチェックのスカート、ショートブーツと秋らしいアイテムで統一、一目でおしゃれをしてきたのが分かった。
僕は安い黒スキニーとスポーツブランドのスウェットだったので、もっとちゃんとした格好をしてきた方が良かったかなと少し後悔する。
秋月さんはこんなに可愛いのに、僕がこんなみすぼらしい恰好で隣を歩いてもいいのか……
……か、可愛い?
突如、自分の心の中に現れた不思議な感情。
その感情に驚いてしまい、僕は慌ててそれを振り払うように秋月さんに声を掛けた。
「えっと……それじゃあ、行こっか」
「はい!」
僕がそう言うと、秋月さんは元気に返事をしてくれた。
二人で切符を買い、ホームで地下鉄が来るのを無言で待つ。
……しまった……さっき褒めておけばよかった……
けれど、すぐにまた、僕は後悔してしまうハメになる。
服装とか、髪形とか、それらの外見を褒めるタイミングを完全に逃してしまったからだ。
駅の前で落ち合った時に褒めておくべきだった。
それなのに、変に意識してしまって、慌てて切符を買いに……
ここまで来たら、もう下手に服装や髪形については触れない方がいいのだろうか。
でも、彩姉はいつも僕に「女の子のオシャレを褒めてあげれない男はダメ」と言ってくる。
うーん……やっぱり、褒めたほうがいいんじゃ……
「あの……秋月さん」
「はい?」
迷った末に、僕は秋月さんを褒める事を、素直に可愛いと伝える事を決めた。
「えっと……今日の服とか髪とか、かわい……」
可愛いと、そう伝えようとしたその時。
地下鉄の到着アナウンスが、大音量でホームに鳴り響いた。
そのまま、ホームの南側から警笛をあげて到着する列車。
ドアが開いて、僕達が乗り込むのを静かに待っている。
「ごめんなさい遊佐君、今、何て言いました?」
「……ううん、何でもない」
何も言わずに地下鉄に乗り込み、二人並んでシートに腰を下ろす。
うぅ…なんてタイミングの悪い……
恥ずかしさに顔を真っ赤にしていると、秋月さんが声を掛けてきた。
「遊佐君、顔赤いですけど大丈夫ですか? 体調、悪くないですか?」
「い、いや、大丈夫! ほら、地下鉄の暖房って結構強めに効いてるから! 多分それだと思う! うん!」
「そうですか……それならいいんですが……」
秋月さんのちょっとした指摘に、心臓が飛び跳ねた。
自分が思っている以上に、僕は女の子と二人で出かける事に緊張していたのかもしれない。
隣にいる秋月さんを見る。
私服の秋月さんは、いつもより1・5倍増で可愛いく見えた。
それに、密着して座っていたせいか、秋月さんの匂いがいつもより繊細に香ってくる。
フルーティーなシャンプーの匂いが鼻腔をくすぐる。
ヤ、ヤバい……余計褒めづらくなってきた。
で、でも、秋月さんも頑張って用意してきたはずだから、ちゃんと褒めてあげないと……
葛藤しながら、言い出すタイミングを見計らっていた。
こんなに嫌な鼓動が全身に広がったのは初めてだった。
秋月さんに告白する時ですら、こんなに緊張しなかっ……
……やっぱり、褒めるのはやめておこう。
どうして、突然そう思ったのか。
それは、自分に秋月さんを褒める資格なんてないと、そう思ったからだ。
僕は何を浮かれていたんだろう。
何をしたって、何を想ったって、僕達は嘘で作られた関係でしか繋がれていないのに。
やり直す勇気を振り絞らなければ、この現状は変わらないのに。
このデートだって、結局は弓野の指示に従っただけじゃないか。
そこに僕の意思なんてものは存在しない。
あぁもう……何やってんだよ……
先の見えない悩みに、終わりの見えない暗闇に、僕の心は支配されそうになっていた。
× × × × × × × ×
「はぁー遊んだ遊んだ。秋月さん、疲れてない?」
「大丈夫です。すごく楽しかったです」
「よかった」
午後1時、僕達は遊園地のレストランで遅めのお昼ご飯を食べていた。
午前中には定番のアトラクション、メリーゴーランドやコーヒーカップ、ジェットコースターに乗り、遊園地を存分に楽しんだ。
そもそもどうして遊園地に遊びに来たのかと言うと、学校で遊びに行こうと誘った時に、秋月さんの方からそう要望があったからだ。
イマドキの女の子ならタピオカ(古い)とかイン〇タ映えとかがいいのかなと思っていたけれど、秋月さんが素朴というか、純粋な要望を出すので思わず笑ってしまったくらいだ。
「午後はどうする? 定番のはあらかた回ったけど」
「そうですね……」
ハンバーガーを頬張り、遊園地のマップを見ながら秋月さんに話しかける。
秋月さんは手にもっていた飲み物を置き、僕が見ていたマップを一緒に覗き込んだ。
ジェットコースター、コーヒーカップ、メリーゴーランドには乗った。
残っている目ぼしいアトラクションと言えば、ゴーカートと観覧車、それに……
「ひっ……」
「……どうかしました?」
「……いや、何でもない」
見つけてしまったそのアトラクションに、僕は思わず息を飲んだ。
油断していた。
地方都市の廃れた遊園地に、こんなクオリティの高そうな“アレ”があるなんて……
「残ってるのはゴーカートとか観覧車とか……あと、この“閉鎖病棟”って言うお化け屋敷くらいですね」
「…………」
秋月さんの口から発せられたその言葉に、僕はビクリと身を震わせた。
お化け屋敷……閉鎖病棟……ゴクリ。
……実を言うと、僕はその類、オカルト系全般が大の苦手なのだ。
ホラー映画はもちろんの事、心霊スポット、心霊番組、ホラー小説ですら自分の周りに近づけたくない。
家族が見ていた心霊番組をうっかり目にしてしまった日には、夜中にトイレに行けなくなってしまうくらいにホラーが苦手。
お化け屋敷になんて入ったら、出るまでに三回気絶する自信があった。
「ふふ……」
「……秋月さん、どうしたの?」
「あ、いえ……その……」
僕が恐怖に慄いているのとは対称的に、何故か上機嫌な秋月さん。
不思議に思って聞いてみると、秋月さんは躊躇いがちに口を開いた。
「実は私、こういうの大好きで……」
「こういうのって?」
「心霊スポットとか、お化け屋敷とか、ホラー系が……」
「え……」
………………え。
………………………………え。
…………………………………………………え。
……ど、どうしよう。
秋月さん、ホラー好きなのか……
あっ……すごい行きたそうな顔してる。
お化け屋敷が今日の一番の楽しみ! みたいな顔してる。
……ど、どうしよう。
僕は秋月さんを喜ばせたい。
せめてもの罪滅ぼしのために、不甲斐ない、弱くて嘘つきな自分に付き合ってもらっているせめてものお返しに、秋月さんの休日を目一杯楽しいものにしてあげたい。
そんな思いで、僕は今日この遊園地の敷居を跨いだ。
だから、秋月さんが好きなものには何であっても付き合ってあげたいと、そう思う。
……でも……でも。
どれだけ覚悟を決めた事でも、捻じ曲げられない信念であっても。
お化け屋敷だけは……厳しいかも……
「そ、そっか……じゃ、じゃあ、次はこのお化け屋敷に行こっか」
「えっと……本当にいいんでしょうか……」
「うん?」
「遊佐君、お化け屋敷の話になってからずっと顔色が悪いような……」
「えっ!? そ、そんな事ないよ! 大丈夫大丈夫! 行こっ!」
「は、はい……」
心配そうにこちらを見る秋月さんに、僕は思わず嘘をついてしまった。
また、嘘をついた。
見栄をはってしまった。
ホラーが苦手なんて男らしくない。
秋月さんにかっこ悪いところを見せたくない。
そんな気持ちから、思わず見栄をはり、嘘を重ねてしまった。
本当は、付き添うどころか、気絶しないでお化け屋敷から出て来れるかも怪しいのに。
嘘を重ねた天罰なのか、さっきから足の震えと悪寒が止まらない。
はたして、こんな本格的なお化け屋敷に入って、僕の体と心は無事に戻ってこられるのだろうか……
× × × × × × × ×
「遊佐君、本当に大丈夫ですか? すごい汗ですけど……もしかして、こういうの苦手なんじゃ……わ、私に合わせて無理しなくてもいいですからね?」
「い、いや、大丈夫」
薄暗く、湿り気のある空間に、僕と秋月さんの声が響く。
お化け屋敷「閉鎖病棟」に入場して数歩歩いた状態の今、すでに体は悲鳴を上げ、全身から嫌な汗が吹き出し、脳がここにいてはダメだという危険信号を発信している。
落ち着こう? うん? いや、落ち着こう。
まだ、僕達を驚かすような何かしらの仕掛けは発動していない。
もしかしたら、このお化け屋敷は僕が思っている程恐ろしいものではないのかもしれない。
そうだ、そうに違いない……そうだと思う……そうだといいなぁ……
しばらく歩くと、手術室のような部屋にたどり着いた。
部屋の中央には手術台があり、手術台の上には何かが乗っかっている。
おそらく、あれが突然動きだして、僕達が驚かされるのだろう。
……え、あれが動くの?
え……いや……あれが動かれたら……ちょっと……
「遊佐君、本当に無理な時は非常口があるので言ってくださ……ぴゃっ!」
無意識の内に、僕は秋月さんの手を握っていた。
「ゆ、遊佐君!? え、ちょ、こ、困ります……」
「ちょっとだけ……ちょっとだけから……」
秋月さんの言葉は僕には届かず、僕はただ、脈打つ心臓の鼓動を抑えようと必死になっていた。
大丈夫……大丈夫……動くのは手術台の上にいるヤツだけだ……分かっていれば怖くない……大丈夫だ……
そう自分に言い聞かせながら、来るべき時に備えていた。
手術台に近づくと、勝手に手術室のドアが閉まった。
ドアが閉まる音にビクッと体を弾ませると、それを合図にしたように、手術台の上に乗っていた何かが動き出した。
来た……来た来た来た!
大丈夫、これはアトラクションだ。
殺されるわけじゃない。
それに、隣に秋月さんだっているんだ。
情けないところは見せられないし、せっかく楽しんでいるのに水を差すような真似はしたくない。
大丈夫……大丈夫だ……うん……大丈夫。
大丈夫という言葉を心の中で唱えて、秋月さんの手を強く握る。
そうやって心の平穏を保っていると、奥のドアから、手術台に乗っていたはずの何かに似た物体が二体続けて僕達の方に近づいてきた。
…………ヴェエ!?
二体!? に、二体!? 合わせて三体!?
き、聞いてない!? そんなの聞いてない!
「ゆ、遊佐君!?」
気づいた時には、僕は秋月さんを庇うように抱き着いていた。
多分、想像以上のイレギュラーが巻き起こって、パニックになっていたんだと思う。
終わりだ、もうおしまいだ。
僕達はこいつらに食べられてしまうんだ。
惨い最後を遂げるんだ。
でも、逃げるわけにはいかない。
秋月さんを守らなきゃ。
願わくば、僕だけが食べられて、秋月さんだけでも助かれば……
そんな想いを孕みながら、僕は秋月さんを強く抱きしめた。
三体の物体が僕達に近づいてくる。
そうしてじりじりと距離を詰められ、あと三センチ程の距離まで近づいたところで、僕の意識は叫び声と共にどこか遠くに消えてしまった。
× × × × × × × ×
「あ……おはようございます、遊佐君」
「……あれ? 秋月さん? ……え? 僕、何して……」
「えっと……」
目を開くと、そこには秋月さんの顔があって、僕の頭は秋月さんの膝の上に乗っていた。
見知らぬ部屋で目覚めるという状況が理解できなくて、秋月さんに膝枕されているという状況が恥ずかしくて、僕は戸惑った。
えっと……僕は本当に何をしていたんだろうか……
「あ、お客さん! 目、覚ましましたか? いやーケガなくてよかったすっね! お化け屋敷で気ぃ失って、彼女さんが運んできたんすっよ?」
「え?」
「…………………」
秋月さんの膝の上で脱力していると、スタッフのお姉さんがカーテンを開けて僕達のいるスペースに入ってきた。
元気の良い声でそう言うお姉さん。
その言葉に、僕は耳を疑った。
そうだ、僕は今日秋月さんと遊園地に遊びに来て、お化け屋敷に入ったんだった。
それで、手術室みたいな部屋に入って、得体の知れない物体に追われて……そこからの記憶がない。
それはつまり、そういう事なんだろう。
僕は、お化け屋敷で気を失ってしまったんだ。
…………何をやってんだ、僕は。
あまりの情けなさに、思わず泣きたくなってしまった。
ゆっくりと体を起こし、寝転がっていたベンチから立ち上がった。
そして、秋月さんに謝った。
秋月さんは「そ、そんな……」と戸惑っている。
続けてお姉さんにお礼を言う。
「いえいえ~」と軽いノリで返された。
そのまま無言で秋月さんの方をぼんやりと眺める。
秋月さんは何も言わなかった。
何も言わずに、ただ申し訳なさそうに下を向いていた。
秋月さんは何も悪くないよと、そう声を掛ける事もできずに。
気まずい空気が、休憩室に充満していく。
しばらく黙っていると、背後からお姉さんの溜息が聞こえてきた。
「もー、しょーがないっすね。閉園時間っすけど、特別に、一つだけアトラクションに乗せてあげるっす。ついてきてください」
そう言うと、お姉さんは僕達二人の手を引いて休憩室を出た。
何が何だか良く分かっていない僕達は、戸惑いながらお姉さんに引きずられて行った。
数分歩くと、お姉さんが僕達の手を離した。
混乱している僕達は、ただ目の前にある建造物を眺めていた。
観覧車だ。
でも、閉園時間を迎えて動いていない。
お姉さんが別のスタッフさんと話をしている。
別のスタッフさんが笑顔でお姉さんに頷くと、再びお姉さんが僕達の手を掴み、観覧車の中に引きずりこまれた。
「楽しむっすよ!」
そう言って、ドアを閉めるお姉さん。
ニコニコと、満面の笑みでこちら側に手を振っている。
ガタンと、音を立てて動きだす観覧車。
多分、あのお姉さんが無理を言って、観覧車を動かしてくれるように頼んでくれたんだろう。
何気ない人の優しさに触れて、僕の心は熱くなった。
お姉さん……ごめんなさい……ありがとう……。
「えっと……ごめんね、秋月さん……せっかく遊びに来たのに……」
「い、いえ、そんな、遊佐君に無理させた私にも責任がありますし……」
「ううん、秋月さんは悪くないよ……せっかくお化け屋敷楽しみにしてたのに、僕のせいで……」
「遊佐君……」
あのお姉さんの厚意を無駄にはしまいと、秋月さんにもう一度謝って、観覧車を楽しもうと奮起した。
けれど、そう上手くはいかずに、秋月さんは申し訳なさそうに謝って、お通夜みたいな空気がまた室内に充満してしまう。
あぁ……本当に僕は何をやっているんだろう。
秋月さんに嘘をついたまま、秋月さんと向き合おうとしないまま時間だけが過ぎて、時間が経つたびに嘘を積み重ねて、見えない嘘で秋月さんを、罪悪感で自分を痛めつけて。
せめて秋月さんを喜ばそうと頑張っても、楽しみにしていたお化け屋敷も満足に回れず、気を失って他のアトラクションでも遊べず、気まで遣わせて……
自分の不甲斐なさに僕が落ち込んでいると、不意に、秋月さんが口を開いた。
「でも、嬉しかったです」
「……え?」
秋月さんのその言葉に、僕はまた耳を疑った。
う、嬉しかった?
喜ぶ要素がどこにあったんだろうか。
思わず混乱してしまう。
「遊佐君、お化け屋敷で私の事守ろうとしてくれましたよね? それに、怖いの苦手なのに私に気を遣って付き合ってくれて……なんて言うか、その気持ちが嬉しくて……」
「いや、それは……」
秋月さんのその言葉に、僕は面を食らった。
頭をポリポリと掻きながら、外の景色に目を向ける。
自分の考えがバレていたなんて、なんて言うかその……恥ずかしい……
「今日だけじゃないです。図書室で勉強している時も、授業でペアを組んだ時も、ミセドに行った時も、遊佐君、いつも私の事気遣ってくれて。ずっと……一年生の頃から優しい人だなって思ってました」
「秋月さん……」
「遊佐君のそういう人を気遣えるところ、本当に尊敬します」
「いや……そんな……」
「私、家でも学校でも一人でいる事が多いので、一人でいるのに慣れているというか、一人の方が楽かなってずっと思ってたんです。でも、最近遊佐君と一緒に過ごして気づいちゃいました。誰かと……ううん、遊佐君と一緒にいるの、楽しいって」
「…………」
「……だから、その……よかったら、これからも仲良くしていただけますか?」
「えっと……はい……あの……こちらこそよろしくお願いします……」
恥ずかしそうに、顔を真っ赤にしながら、勇気を振り絞ったようにそう頭を下げる秋月さん。
その言葉に、僕も照れながら頭を下げた。
観覧車の中に夕日の光が差し込む。
その光は、秋月さんの座っている位置にではなく、僕が座っている方向へと注がれていた。
夕日のオレンジ色が生える僕の頬。
けれど、その赤く染まった頬の色は、決して夕日のせいで赤くなっていたわけではなかったと思う。
× × × × ×
「じゃあ、また学校で」
「はい」
地下鉄の駅の前で、僕は秋月さんに手を振った。
いつもより割り増しな声量で返事をする秋月さん。
そのまま、僕とは反対方向に進んで行く秋月さんの背中を見守っていると、秋月さんは何度も何度も振り返り、ペコペコと頭を下げてくれた。
そのたびに、僕は秋月さんに手を振り返す。
お互いに少しニヤつきながら、そんなやり取りを数回繰り返した。
秋月さんを見送り、僕も帰路に就いた。
バイパス沿いの歩道を歩いていると、冷たい風が頬に吹き付けた。
最近は日が落ちるのも早くなってきたと思う。
季節は、秋から冬へと移り変わろうとしている。
冬の訪れを予感するこの時期は、何だか寂しい気持ちになりやすい。
理由のない不安や焦燥が、意味もなく寒さと一緒に身を襲うからだ。
だから、僕は冬というものがあまり好きではなかった。
そんな心細い帰り道で、僕は悩んでいた。
ずっと、考えていた。
このまま、秋月さんを騙し続けてもいいのかという事を。
はじめは軽い気持ちだった。
嫌だったけど、乗り気になれなかったけど、自己の保身のために、自分勝手に、僕は秋月さんを利用した。
それで、僕が秋月さんに嫌われて全てが終わってくれたのならまだよかった。
けれど、現実はそうじゃなくて。
僕は、秋月さんとの繋がりを手に入れてしまった。
この数週間で、“同じクラスになった事がある同級生”という関係性よりも強い絆を、僕は秋月さんと結んでしまった。
僕にとって、秋月さんはもう顔見知り程度の存在じゃない。
卑しく、みっともなく、弱々しい僕を受け入れてくれた、本当に大切な存在だ。
観覧車で秋月さんの言葉を聞いていた時、僕は正直ドキドキしていた。
その胸の高鳴りにどんな意味があったのかは分からないけど、多分、僕は嬉しかったんだと思う。
誰かに尊敬しているなんて言われたのは初めてだった。
誰かに必要とされるのも、誰かに仲良くしてほしいと言われたのもだ。
僕が遠い昔にあきらめた何かを、“普通”という言い訳で塗り隠してきた何かを、秋月さんは与えてくれた。
僕にとって、秋月さんはもう可哀想な保護対象なんかじゃなかった。
対等で、特別で。
それくらい、この数週間で秋月さんの事を深く知ってしまった。
本を読むのが好きで、ドーナッツが好きで、ホラーが好きで、少し臆病なところもあるけれど、それでも、嬉しい時には笑い、好きな事には夢中になり、誰か気遣える、思いやりのある優しい女の子だと言う事を。
でも、それを知っているのなら。
大切で、特別だと思うならなおさら。
僕は、その人に嘘をついたままでもいいのだろうか。
僕は秋月さんに嘘をついた。
決してついてはいけない、人の心を傷つける類の嘘だ。
秋月さんは何も知らない。
僕が秋月さんに好意を向けているから、秋月さんもまたその好意に精一杯応えようとしてくれているんだと、そう思う。
でも、その前提が偽りだったら。
存在しない、誰かによって仕組まれた上辺だけの虚言だったら。
僕達の繋がりは、僕達が築いてきた関係性は、一体どうなってしまうのだろうか。
何も起こらないまま、誰にも気づかれないまま、この楽しい時間が続いていくのだろうか。
仮に真実がバレてしまったとしても、笑って謝れば、秋月さんは許してくれるのだろうか。
それとも……
これ以上、僕は秋月さんに嘘をつきたくなかった。
間違いから始まった何かが、正しい終着点に行きつく事なんてあり得ないと僕は思う。
秋月さんに嘘をつきたくない。
秋月さんが僕に向き合ってくれたように、僕もまた秋月さんに誠実に向き合っていたい。
それに、上辺だけの、代替の効く薄っぺらい関係性のまま時間が過ぎる事も許せなかった。
僕は秋月さんと、そして自分の弱さや醜さと向き合うべきだ。
じゃあ、どうしたらいい。
どうしたら、間違いから生まれた歪みを取り除く事ができる?
どうしたら、秋月さんと偽りのない本物の繋がりを結ぶ事ができる?
どうしたら、弱く、醜く、卑しい過去の自分と決別する事ができる?
どうしたら……どうしたら……。
車のライトが交錯する歩道の真ん中で、僕は冷たい空気を思いっきり吸い込んだ。
そうして体の中に新鮮で冷たい空気を取り込んで、中に入っていたはずの汚い空気と感情を吐き出した。
……よし、決めた。
僕は……秋月さんに……
図書室での告白は罰ゲームで、嘘だったという真実を伝える事にする。
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