第八話
秋月さんとの勉強を終え、僕は一人、放課後の廊下をとぼとぼと歩いていた。
秋月さんと一緒に帰ろうと思っていたけれど、秋月さんが職員室に用事があったために中止になった。
けど、この放課後の時間でだいぶ打ち解けられたように思う。
色々な事を話したし、明日の放課後も一緒に課題をする事になった。
秋月さんと過ごす時間は意外と楽しく、居心地が良い。
中学に入学してからはじめて誰かと一緒にいる時間を楽しいと思ったかもしれない。
これが本当の友達というヤツなのだろうか。
本当の友達がいた事ないから分からないや……
下駄箱の前で上履きを脱ぎ、スニーカーを地面に落とす。
靴を履き替えようとすると、ズボンのポケットにしまっていたスマホが震えた。
『進展は?笑』
画面を確認すると、弓野の名前が表示されていた。
四人のグループに、弓野がそうメッセージを送ってきたのだ。
はぁ、と溜息が出る。
夢のような時間が覚め、一瞬で現実に引き戻された気分だ。
返信しようか、無視しようか。
迷った末に、返信する事にした。
無視すると後で面倒だ。
ごめん、秋月さんと心の中で謝りながら、僕はスマホの文字キーをスライドした。
「放課後、図書室で一緒に勉強した」
そうメッセージを送ると、一分もしないうちに三人からの反応が返ってくる。
「まじかよwやるじゃんw」
「ウケるw」
「ヒューヒュー!」
三人のメッセージを見て、僕はまた溜息をついた。
どうしてこんな事やってんだろ……
秋月さんの事をより詳しく知ってしまった分、感じる罪悪感は倍以上に膨れ上がってしまう。
自分の不甲斐なさに嫌気がさした僕は、三人に返信しないでスマホの画面を閉じる事で、精一杯の抵抗を試みた。
× × × × ×
夕食を食べた後、僕は彩姉もとい姉からのゲームの誘いを断って、夜道を歩いていた。
嫌な事があった日は、こうして夜中に家を抜け出して、とある場所へと足を運ぶ。
手には茶色の丸い物体。
たまにそれをコンクリートの上で弾ませながら、住宅街の狭い道をダラダラと歩いた。
しばらく歩き、目的の場所へと到着する。
街灯に、緑とオレンジ色の地面が照らされている。
……ここは、僕の家の近所にある公園だ。
バスケットゴールが設置されていて、普通に試合や練習ができる環境。
学校が終わる時間帯は高校生や大学生のたまり場になる事が多いけれど、こうして夜になると、誰もいなくなって、僕だけが独占できるスペースに早変わり。
だから、嫌な事があった日には、こうして一人でバスケをしながら体を動かし、汗と一緒に後ろ暗い気持ちを自分の体の中から流すようにしている。
実を言うと、僕はバスケが大好きなのだ。
NBAはもちろん、Bリーグ、大学生、高校生、中学生の試合もテレビやネットで見るくらいにバスケが好きだった。
それならどうしてバスケ部に入らないのかと不思議に思われるかもしれない。
どうしてバスケ部に入らないのか。
それは…………世の中には自分の力ではどうしようもない、どうすることもできない事象が存在しているからだ。
身長とか……身長とか……あと……身長とか。
……まぁ、僕には誰もいないこの場所で、一人で寂しくバスケをやるのがお似合いなのだろう。
難しい事は考えずに、僕はボールをシュートした。
カランカランとバスケットリングの上を回り、ゴールに吸い込まれていく土星のような球体。
よし、と小さくガッツポーズをして、続けてドリブルをしてみた。
しばらく遊んでいると、誰かがフェンスの扉を開けてコートの中に入ってきた。
こんな時間に誰だろう。
そう思って、目を細めながらその人影を見つめる。
見覚えのあるジャージ。
確か、あれは北中バスケ部のチームジャージ。
そして、縦に長い筋肉質な肉体。
多分、アイツは……
アイツは、大西太一だ。
「「あっ」」
大西と目が合い、思わず声を挙げた。
大西も僕の存在に気づいていなかったようで、ほんの少しだけ声を挙げて驚いていた。
どうしてここに大西が?
バスケなんて部活で死ぬほどやっているはずなのに、どうしてこんな公園に……
いや、もしかしたら、大西は三度の飯よりバスケが大好きな人間なのかもしれない。
あり得ない話じゃない。
県内でもトップクラスのプレイヤーだ。
寝ている時間以外はずっとバスケをしていたとしてもおかしくはない。
それくらいに、大西太一という才能は規格外なのだ。
……まぁ、なんでもいい。
とにかく、大西の邪魔にならないように僕は帰ろう。
ちょうど心のモヤモヤも振り切れたところだし、動き回って少し疲れてきた。
それに、大西はコート一面を使うのだろう。
だったら、僕はこのままお暇して……
「なぁ」
そう思って、ボールを抱えて出口に向かおうとすると、不意に大西が声を掛けてきた。
まともに話をした事がなかったので、僕は驚いてしまう。
「お前、三組の奴だよな? 帰んの? バスケやってたんじゃないのか?」
「……あぁ、いや、ちょっと遊んでただけだから。それに、練習の邪魔しちゃ悪いし……」
「いや、俺が後から来たんだから気遣わなくていいぞ? それに、俺も練習じゃなくて遊びに来ただけだし」
大西にそう言われて、僕はその場に立ち尽くしてしまう。
えっと……じゃあ、どうすればいいの……
このまま別々にバスケするのもなんか変だし……
僕が困った顔でボールを見つめていると、大西が両手をパンと叩き、「いい事思いつきました」みたいな顔をして僕に言った。
「バスケ、一緒にやろうぜ!」
満面の笑みでそう言う大西に、僕は戦慄した。
一緒に……バスケ?
僕が……県内トッププレイヤーの大西と……バスケ?
無理だ、絶対に無理だ。
大西のドリブルに巻き込まれたら絶対に死ぬ。
ミキサーに入れられたイチゴみたいに擦り潰される。
それに、僕の下手くそなプレーを大西に見られるのも嫌だった。
とにかく、ここは角が立たないようにお断りして……
「な、やろうぜ!」
しかし、いつの間にか、大西は満面の笑みを浮かべたまま出口の前に立っていた。
ま、回り込まれた……。
ゴゴゴ……と、大西の気迫が具現化して見えるような、そんな気がした。
絶対に僕を逃がすつもりはないらしい。
やばい……死ぬかも……
× × × × ×
「「アハハハハハハハハ」」
夜空の下に、僕と大西の笑い声が響く。
近所迷惑にならないか、警察に通報されないか、それが怖くなって、我に返って大西にしぃとジェスチャーを送った。
「奏太、お前レイアップ外すとかありえねーよ」
「こっちは素人なんだよ! ていうか、素人相手にダンク決めるって鬼か!? しかもそのまま僕の方に落ちてくるし……死ぬかと思ったわ!」
「あぁ、お前ちっちゃいもんな……なんかすまん……」
「憐れむな!」
「ブハハ!」
「うぅ……ま、まぁ? スリーポイント対決は僕が勝ったし?」
「……ぐ……ちくしょう……スリー苦手なんだよな……し、素人が調子乗んなよ!?」
「へへーん」
アスファルトでできたコートの上で、夜空を見上げながら大西と悪態を付き合う。
こんなにもスポーツを楽しいと思ったのは生まれて初めてだった。
普段、体育の授業でも、遊びでも、僕は必ず誰かに気を遣っている。
空気を読まずに点数を入れたら雰囲気が悪くなるんじゃないかとか。
変な風に思われるんじゃないかとか。
色々な事を考えて、手を抜いて、全力でプレーした事がなかった。
けれど、今日は違った。
全くと言っていいほど大西に追いつけなかったけど、対等とは言えないけど、素人の僕相手にも手を抜かず、僕を吹き飛ばしながらゴールを決めるような大西だけど、それでも、大西と一緒にするバスケは、誰にも気を遣わない、全力でぶつかり合えるスポーツは死ぬほど楽しかった。
「やべ、もう10時半だ。そろそろ帰ろうぜ、奏太」
「え、ほんと? やば、お母さんに怒られる」
大西のその一言に、僕は慌てふためき、そんな僕を見て大西は笑っていた。
大西が自転車を押し、僕はその隣を歩く。
「大西の家はここから近いの?」
「まぁ、チャリで10分くらいだな。あと、太一でいいぞ」
「え……あ、うん……た、太一」
「なに照れてんだよW」
「う、うるさい!」
「しかし、ドリブルとかシュートはド素人だけど、スリーは普通に上手いな、奏太は」
「え、そ、そう?」
大西……いや、太一が不意にそんな事を言った。
その言葉が、僕にはたまらなく嬉しかった。
自分が好きなバスケの、同じ世代の有力選手に褒められたら、誰だって嬉しくないわけがない。
「どうしてバスケ部に入らないんだ?」
太一のその一言に、僕は思わず吹き出してしまう。
「この身長じゃ、バスケなんて無理だよ」
「何でだよ」
「スリーが打てたとしても、それ以外がダメじゃん? 体格に恵まれてる人達に勝てるわけがない。それに、うちのバスケ部はエリート揃いだから、補欠のまま終わるに決まってる」
「やってみなきゃ分からないだろ」
「無理無理。僕は太一みたいに体格に恵まれて、才能があって、それが“普通”なわけじゃないから……」
そう口にしてから、自分の失言に気がついた。
太一を見る。
すごく悲しそうな、納得できないような表情をして、視線を地面に落としている。
「別に、俺だって最初っから上手かったわけじゃないんだけどな……」
ボソッと、太一がそんな事を言った。
それを聞いてしまった僕は、何も言えずにその場に立ち止まってしまう。
「……やべ、もう11時になるじゃん! 遅くなると親が心配するから俺行くわ。今日はありがとな! またバスケやろうぜ! じゃ!」
沈黙を振り払うように笑顔でそう言うと、太一は自転車に跨って、そのまま夜の闇の中に消えていった。
太一の背中を見送りながら、まずい事を言ったかなと自分の発言を後悔した。
太一にだって、苦労がなかったわけじゃない。
上には必ず上がいて、その壁を乗り越えるために毎日練習して、努力して。
僕が“普通”を演じているように、太一もまた“普通”を勝ち取るために頑張っていたのかもしれない。
今日だって、こんな夜中に一人で練習しにきていたし。
それなのに、何も知らずに僕は……
嫌な事を忘れようと家を出たのに、結局嫌な気持ちを拭いきれないまま、僕は帰路についた。
家に帰ると、スウェット姿の彩姉が、寝ぼけ眼を擦りながら出迎えてくれた。
「ただいま……」
「おかえり奏ちゃん、遅かったね。……ん、どうした? 元気ない? 何かあった?」
「ううん、別に、何もないよ」
「そ、ならいいんだけど……あのね、奏ちゃん」
「なに、彩姉」
「……お母さん、滅茶苦茶怒ってるよ」
「えっ……」
このあと滅茶苦茶説教された。
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