第一話

【10月9日 金曜日】


「遊佐! 決めろ!」




 怒号と共に、白と黒の六角形が疎らに張り付けられた球体が僕の足元に蹴り飛ばされた。


 転がってくるそれに必死に追いついて、ゴールに標準を合わせて思いっきり蹴る。


 球体は弧を描き、ゆっくりと、吸い寄せられるようにゴールポストへと向かっていく。


 ガコンッ! と鈍い音を立てて、サッカーボールは所在なさげに校庭の隅に転がった。




「ブハハ! 遊佐だっせー!」


「この距離でミスるとか下手くそかよ」


「おい、しっかりしろよ」


「あちゃー」




 キーパーをしていた大森が腹を抱えて笑い、ディフエンスをしていた根本が悪態をつき、僕にパスを出した弓野が呆れている。


 僕は頭を抑えて、弓野にゴメンとジェスチャーを送った。




「よっしゃ! 攻守交替! 俺がハットトリック決めてやんよ!」


「ワンプレーで攻守交替なんだから無理だろ」


「絶対に決めさせねー。遊佐、キーパーやって」


「うん」




 攻守を変え、第二セットが始まる。


 お昼休みにサッカーをするのが、僕たちのグループの定番の過ごし方だ。


 今時の中学生は休み時間にサッカーなんてやらないし、現に僕達以外の生徒が校庭で遊んでいる姿はどこを探しても見当たらない。


 正直、心の中ではおかしいと思っているし、子供っぽいなとも思っていた。


 けど、みんなはそれが逆にカッコいいんだと言って聞かないから、渋々僕もそれに従うしかなかった。


 それに、サッカーをやろうと言い出したのはたしか弓野だったはず。


 弓野は僕らのリーダー的な存在なので、弓野の言う事には極力逆らわない方がいい。


 弓野の発言は、僕たちのグループの中では絶対だった。


 だから、本当はサッカーなんて得意じゃないし、好きでもないだなんて口が裂けても言えなかった。


 中学生の交友関係は恐ろしいほどに繊細で淡泊だ。


 余計な口出しをして目の敵にされたらたまったもんじゃない。


 主張はせず、これも付き合いの内だと割り切るしかないんだ。


 しょうがない。


 そう、しょうがないんだ。




「うぉぉぉ! 超ロングシュート!」




 遠くから、大森の野太い声が聞こえてくる。


 視線を向けると、そこにはすでにボールを蹴り終えた大森と、こちらを見ている弓野と根本の姿があった。


 …………ヤバい! 気を抜いてたらボールを見失った!


 焦って周囲を見渡して、ボールがどこに向かったのかを探してみる。


 けれど、どこにも見当たらずに、慌てて正面に向き直る。


 すると、ボールが目の前にあった。


 あぁ、こんなところにあったんだと思う束の間、ボールは鈍い音を立てて、僕の顔面にゴールインされた。




「ゴォォォォォォル!」


「うわ……だっせ……」


「おぉ、遊佐、ナイスキープ」


「痛った……」




 大森が喜び、根本が悪態をつき、弓野がほくそ笑んでいる。


 三人の多様な反応を受けながら、僕は顔を抑えてしゃがみ込んだ。


 ヒリヒリと痛む部分をさすっていると、手のひらに生暖かい感覚が広がってくる。




「……やば、鼻血出てきた……」




 真っ赤に染め上げられた手を見て僕がそう言うと、三人が悲鳴を上げた。




「血出てんぞ!?」


「うわっ、汚っね!」


「何やってんだよ……」




 ポタポタと地面に落ちる赤い斑点を見つめて、どうしようかと考えていると、遠くから、次の授業の始まりを知らせる予鈴の音が鳴り響いた。




「お? チャイム鳴ってんじゃん?」


「たしか、次全校集会だったよな?」


「あー……」




 そわそわしている三人に構わず、血を止めるために鼻の筋を強く抑えていると、弓野が僕の前に立って、間延びした声で言った。




「遊佐? 俺ら先に体育館に行ってるから、お前は保健室行けよ、な?」


「あー……ごめん、そうする。先行ってて」


「よし」




 空気が通っていない甲高い声でそう返すと、三人は僕に背を向けて校舎側へと歩き出した。


 ポケットからティッシュを取り出して、半分に千切って丸く固める。


 それを血が出ている方の鼻に詰め、もう一度鼻の筋を強くつかんだ。


 下を向きながら血が止まるのを待っていると、体育館に向かったはずの弓野の声が数十歩先から聞こえてくる。




「おーい! 遊佐ー!」




 声が鳴る方向に振り向くと、弓野がボールを持ってこちらに手を振っている姿が目に入った。


 手を振り返すと、弓野はボールを地面に置き、僕に向かって思いっきり蹴り上げる。


 コロコロと転がってくるボールを掴むと、弓野が叫んだ。




「ついでにそれ、片づけておいてくれー!」




 数秒のタイムラグがあった後、僕はゆっくりと重い首を縦に振った。


 後ろに振り返って歩いていく三人の笑い声が校庭に広がっていく。


 その声から、その姿から目を逸らすために……いや、鼻血を止めるために、僕は上を向いて空を見上げた。


 10月の、澄み切った高い秋の空が目に映る。


 その美しい光景を見て、僕は何故か、とても虚しい気持ちになった。

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