モノローグ
遊佐は激怒した。
いや、“激怒”という言葉には語弊があるかもしれない。
激怒というよりは、失望。
自分に、大人に、子供に、周りの人間に。
人間という生き物の関わり合いに疲弊し、辟易し、あきらめていた。
社会一般的な“普通”を演じる事に、自分を捨てる事に、何の疑問も持たずに日々を生きていた。
この物語の主人公、遊佐奏太は、ちょっぴり大人な考え方を持った中学生である。
しかも、中学二年生。
人間が生まれ死にゆく過程を歩む中で、最もチンパンジーに近づく時期と言われている中学二年生である。
小学生のような純粋さは消え、高校生のような分別はまだ身についていない。
そんなバカ達の楽園、バカである事が“普通”で“正しい”中学校と言う名の動物園の中で、遊佐奏太もまた、バカの一人を、“普通”である事を演じていた。
ソシャゲに大量の小遣いをつぎ込み、流行りのアイドルを推し、一日の時間の大半をSNSに費やした。
しかし、それは、それらの行為は、彼の本心ではなかった。
彼は“バカ”である事を演じていたのだ。
本心では娯楽や衣類、おいしいものを食べるためにお金を使いたいと思っている。
本心ではアイドルになんて全く興味もなく、推すとかいう偶像崇拝にも近いその行為を煩わしいとさえ思っている。
本心では家の中でくらいは誰かとの繋がりを断ちたいと思っている。
けれど、彼はその本心を決して表に出そうとしなかった。
なぜなら、そう思う事は“異常”であり、それらを求める事こそが“普通”であるからだ。
学校という狭い世界の中で、“異常”であるという事は、それすなわち“死”を意味する。
だから、彼は“自分”を捨て、“普通”になろうとするのだろう。
遊佐奏太には“自分”と呼べるものがまるでない。
自分の意思にはそぐわない時だって、世間や社会がそれを正しいとするのであれば抗う事はしない。
自分の目には白に見えるものでも、周りが黒だと言うのなら自分も黒だと主張を変える。
なぜなら、それが“普通”であり“正しい”から。
“正常”であり“正解”であるから。
だから、彼は“普通”を演じるのだろう。
遊佐奏太には“自分”がない。
だから、遊佐奏太には“普通”を演じる事ができたのだろう。
この物語は、そんな“普通”の少年である遊佐奏太が、「図書室の幽霊」と呼ばれる根暗少女、秋月文乃と出会い、変わっていく物語である。
どこかそっくりで、やっぱり正反対で。
ちょっぴり大人で、やっぱり子供で。
そんな二人の日常を、是非お楽しみ頂きたい。
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