第2話 酒
わたしは、さっきとは別の居酒屋に来ていた。
個室で先ほどより高級な居酒屋だ。
店先のカウンターで
「予約していた”橘”です。」
と一言伺い個室に案内された。
予定より20分くらい早くつき、待ち合わせの人はまだ到着していなかった。
高級そうな室内に、メニューを覗けばちょっと高値の料理。
お洒落で…普段慣れてない…、それだけでも心がぶるぶるっと震える。
吸えない煙草を吸うような感覚で、スマホを手に取り、なんでもいいからいじり始めた。
Facebookのページを開けば優しい笑顔をした”彼”―橘が顔を覗かせていた。
ふっと閉じた。スマホを。ここに来る前に何度か見たページ。
彼は、高校を卒業し、大学からバンドをしているらしい。卒業して三十路を過ぎた今も続けているようでバンド仲間とギターを抱え撮った写真がいくつもあがっていた。
お酒や煙草も好きなようで、グラス片手に仲間と写る写真もあった。
そんな彼とは対照的に高校は中退で通信制に編入したわたしの暗闇時代…。今になってやっとなんとか続けられそうな仕事につくが、持病は統合失調症…。どこまでも暗がりである…。
彼とはずっと会っていないし元々そんなに親しかったわけではない。
彼が、今更何用で?
思わず身体を固くしてかしごまっていたので足がしびれ、
「うっ」
と足を直そうと態勢をくずした時に、扉が開いて彼が顔を覗かせた。
「…久しぶり!どうしたの?」
「ごめん、いきなり。久しぶり。」
彼は少し俯き、そしてさらりと答えた。
顔をあげて目が合うと彼の頬は少し紅潮していた。
「…どうしたの?お酒飲んできたの?」
一瞬聞くのを躊躇ったが、彼を心配した。
「別に…。」
彼は席に着き、メニュを広げて眺め始めた。
お酒を選んでいるらしい。
「ねぇ、突然手紙が家に届いてびっくりしたよ!住所以外連絡先書いてないし、携帯番号もわかんないから連絡できなかったんだけど…。返信した手紙にはわたしの番号、アドレス書いといたのに、連絡くれなかったね、どうしたの?」
わたしはバッグから彼からもらった手紙を取り出し広げて見せた。
彼はその手紙文を隠すように片手をのばして手紙を覆って、そして言った。
「花蓮(わたし)、それよりさ、さっきどこに行ってたの?」
唐突に聞かれてわたしは驚き、さっきの彼の台詞に言葉を乗せるように
「別に」
と言った。
彼は少し目を細めて早口に言った。
「親戚だったけ?親戚のお兄さん?学生時代から仲いいよね。
前は地元に住んでてよく二人で会ってるのを見たよ。
今は東京に引っ越したんだっけ?長期休みの度に会ってるとか?
もう二人、いい歳じゃん?どういう関係なわけ?」
わたしは頭がポカンとした。
自分でも親戚の兄と会っているのは恥ずかしいと思う。だけど、高校の時に母を亡くし、父は単身赴任で会うこともなく、何かあったときに頼れるのは幼い頃からの馴染みの親戚の兄だけだった。
「親戚の兄とは、ただの親戚関係だよ笑。兄、もてないから彼女いないのかな笑。
それより橘さんは彼女いるんでしょ?怒られないの?」
彼は、目を開いて、また下を俯き、
「さぁ?」
とボソボソと呟いた。
「前に、わたしがショッピングモールでバイトしてた時、
ショッピングモールの隅のベンチで、
女の子と寄り添ってじゃれてたの見ちゃった。
あの時のいたずらっぽいあなたの笑顔ずっと印象に残ってる。
わたしたちは学生の時も大して会話もしなかったよね。」
彼は否定もせずに目を少し曇らせて聞いていた。
「注文しようか?」
濁った空気をお互いに是正せずにしばし沈黙し、それから飲み物の注文をすることにした。
彼は生ビールを頼み、わたしはハイボールを注文した。
個室の部屋に届けられたハイボールはグラスの隅から中央に、上にむかってパチパチと炭酸の泡が上がり、柔らかいゴールド色に輝いていた。
彼はシュワッと白い泡が上るビールを半分一気飲みした。
串焼きにおぼろ豆腐、旬野菜のサラダ、そしてお刺身の盛り合わせを注文した。
テーブルに置かれたお刺身は、お祝いのような華やかさで、二人の再会を祝福しているようだった。
元々お酒を飲んできた疑いのある彼が、生ビールを二杯、焼酎のロックを3杯呑んでしまいくらくらっと目が微睡んでいた。
「そんなに飲んで大丈夫?」
お酒の弱いわたしには凄く量が多く感じて、現に彼は顔が赤くなっている…。
ふらふらっとしている彼の押し黙っていた唇がゆらゆらっと動いた。
「本当は電話番号も教えなかったら絶対変だと思われて
手紙も返信ないと思ってた。
でも、電話番号書いたら、即断りの電話が来るんじゃないかって…。
そうでなくても、
一度O.K.してもらったってドタキャンされちゃうんじゃなかって…。
それに、花蓮は親戚の兄が好きなんでしょう?」
わたしは少し驚いて目を見開き、否あまりに驚いて口が半開きのまま止まってしまった。
(え?え??つまり、彼はわたしが好きだと?)
「なに?彼女はどうしたのよ?」
「そんなの昔の話じゃん。」
彼はそういうと、日本酒の瓶をグラスに注ぎ始めた。
「待って、もう控えたら?お水、いやお茶頼もうか?」
わたしはベルを押して店員さんを呼び注文した。
お茶ととりあえず、肉料理と冷やしトマトでも注文すると、彼は、
「追加でデザートのバニラアイスクリーム。ベリーソースつき、多めね。」
と、少しべろべろになった状態で言った。
「ねぇ、橘さんは明るいよね。
高校も大学も卒業して、趣味のバンドも続けているんだっけ?
仲間もたくさんいて、就職もしてる。
わたしなんて母が亡くなって学校も行けなくなって
なんとか通信制で高卒したけど、
就職もうまくいかずに転々と転職して…
友達も少ないから、相変わらず、親戚の兄に頼ってるのは本当だけど…。」
彼は押し黙って俯き、わたしの目をそーっと覗き込んだ。
一瞬時が止まり、薄暗い個室に星が降り注ぐような輝きを感じ、すーっと息を吸い込んだ。
「花蓮は、相変わらず可愛いよ。
だからクラスメートの女子も嫌煙してた。
花蓮の仕草ひとつひとつが綺麗で息を呑むくらい…。
みんな羨ましがってやきもち妬いてたんだよ。
その上、真面目。なのに不器用で頑張ってるのに空回りしてばっかで…。」
ノックの音がして店員さんがお料理とデザートを運んできた。
橘さんは、バニラアイスをとるとわたしの方へ向けた。
「ほら、バニラアイス、好きだよね?
あ、お料理と一緒で溶けちゃうかな…。」
滑るように彼の綺麗ない指先がアイスのグラスに触れ、流れるようにテーブルに置き指をひとつひとつ放した。
わたしは彼の指先に夢中になり、つい夢中にスプーンを取り運ばせたバニラアイスは口の中で、彼の発するぬるい空気と共にその甘みが広がった。
「おいしい…。」
「でしょ?…いつか花蓮ちゃんと来るかなと思って(この店を)下見してた。」
彼はアイスクリームを頬張るわたしを眺めながら続けた。
「誰でもうまくいかない時はうまくいかないよ。
あれから色々恋もしたけど、ずっと花蓮の笑顔が忘れられない。
美人だったし悲しい境遇に対する同情だったのかな?って何度も考えたけど、
僕の中で花蓮が消えなくてずっと大きくなるばかりだった。」
ずっと疎遠で久しぶりの再会、二人っきりで出会うという誘いにまさか、とは予感してたけど現実にすると本当に夢なのか誠なのか信じられない。
だけども、これから思いを寄せて彼を愛していくのは、おかしいことではない、自然な流れのように受け取れる。
今日、その覚悟も固めたいなんて期待し過ぎて、
親戚の兄の前で、恋をした貞操の潔癖な女の子を取りつくり直してた。
「親戚のお兄ちゃんとは本当、なんでもないよ!」
唇をちょっといたずらっぽく小悪魔気味にアヒル口に歪めようと思ったら、ぶるぶると震えて精一杯の笑顔になった。
それが個室のムーディーな電飾の前で滲み、二人は笑顔を重ねた。
指先と指先を触れ合い、優しく握りしめ合った。
「僕も就職も軌道に乗って貯金も少し貯まって順調だよ。
だからこれからお互い離れてた時間分、それ以上に、距離を縮めていこう。」
統合失調症になって、治療にいそしみやっとわたしの就職も落ち着いた頃、彼がわたしの人生となる新しい夏がやってきた。
煙と酒 ―恋愛的ひと思案 夏の陽炎 @midukikaede
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