第6話 満ちない時間

 満流は笑顔で瑛美を迎えた。

「今日は来てくれてありがとう、忙しいのに」

「いや別に、時間の使い方は大学院時代と特に変わらないから」


 瑛美の話はこうだった。

 結局博士号を取得しても大学での講師のポストが見つからず、彼女は在宅で研究を続けることにしたのだった。図書館だけを使わせてもらえる大学に登録して、そこで昼間は論文執筆のための準備をしながら、夜はカフェで働く。そのような生活を毎日送っているのだそうだ。


「また大学に行きたいとは思わないの?」

「留学したいとは思ってる…何か、国際法を扱っている割には留学経験が乏しいから」

「そうか」

「でも今の生活だとお金が貯まらなくて」

「それは…そうだろうな」


 しばしの沈黙が二人を包み込む。

 クーラーが利きすぎているので温かいコーヒーを頼んだ2人。コーヒーの表面を見つめながら、ただぼんやりと時を過ごしていた。

「あのさ」

「何?」

「今って彼氏いるの?」


 何を唐突に聞いてしまったんだろうか、と思う。

 きっと先程の瑛美の印象が良過ぎて思わず聞いてしまったのだろうけど、いきなり聞いて迂闊な気もした。答えてくれるだろうか。嫌な気分にさせていないだろうか。

「いないよ、長らくいない。論文の執筆に夢中だったから」

「そうなんだ…」


「恋愛もそんなに得意じゃないの、可愛げがないからかもしれないけど」

「いや、そんなことないよ。自然体の平野さんを好きになってくれる人を探せばよいんじゃない?」

「いるかな、そんな人」

「いるよ。どこかには」

「そうね、そういう奇特な人もいるかもしれないね」


 瑛美の返事はやや感情を欠いていた。

 それでも満流は普通に返事をしてくれたことをありがたく思った。セクハラと言われても仕方ない質問だったかもしれないから。


「そういう有沢君は誰か特別な人いないの?鞠子とはあれっきりなの」

「ああ…鞠子とはあれっきりだねぇ」

「別れてから一度も会っていないの?」

「会ってない」

「ふーん、そういうものかぁ」

「そういうものだった、俺達2人に関して言えば」


 瑛美がコーヒーを口に運ぶ。

 紙コップに薄ピンク色の口紅がついている。ああ、口紅をしていたのか。もっとそういうところ、見ておこうかな。

 満流はこの時間の中で自覚し始めていた。

 自分が今、色々満たされない生活をしていることを。

 潤いのない生活、愛のない、殺伐とした生活―――。


 それを瑛美が満たしてくれる保証があるわけではないのに、どこかで期待している自分がいた。そして今、また何かが突き動かしてくる感じを覚えていた。




 

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