第3話 密かな想い




 その後、彼が住む山小屋へと向かうため、私達は馬車に揺られている。


 久しぶりにマーキュリと色々話をすることができた。


 

 マーキュリは九歳の頃、お父様伝手の奉公でお屋敷に入り、私の専属執事として務めていた。

 彼は昔から頭が良く物覚えが早いだけでなく、とても真面目で優しい性格だった。

 いつも私の傍にいてくれる、兄のような掛け替えのない存在である。


 出会った当初、私は七歳。そう丁度あのカイルと婚約した辺りだ。

 政略結婚の意味も知る筈もなく、あの頃父親から訊かされた私はてっきりマーキュリと結婚するとばかり思い込みとても喜んでいた。


 年頃となり違うと知った時、私は酷く失望感に襲われる。

 だから自分の人生を半分以上諦め、周囲に流されるままカイルを受け入れようとしていたところも否めない。


 マーキュリが十六歳の時、徴兵制度でお屋敷を出て行った。


 私に一言も告げずに酷くショックを受ける。

 これまで家族のように、いや以上に信頼していただけに……。


 しかも彼の徴兵を手引きしたのが、参謀長であるお父様の指示だったということもあり、初めて父を恨んだ時期もあった。


 そのマーキュリが大きな負傷しながらも戦地から帰還し、こうして私の所に戻って来てくれて凄く嬉しい。


 以前と変わらない包容力と優しさに、私の絶望していた心に一筋の光が灯されたような気がする。



 ちなみにマーキュリの聞いた話だと、彼は祖国に帰還して退役した後、すぐ私のお屋敷を訪ねていたらしい。



「わたくしもこのような身形でしたので直接会うのを躊躇ためらい、せめて一目でもいいからシャオお嬢様のお姿を見たいと思って参ったのですが、お屋敷が売却されていたので驚きました」


「お父様の件は知らなかったのですか?」


「……処罰されたのは存じております。ですが、まさか奥様が自害され坊ちゃまも養子に出ておられたことは知りませんでした……そして、カイル様に婚約破棄されたシャオお嬢様の行方も……」


「お屋敷育ちの私がまもとに働けるわけでもありませんし、身を寄せる場所としてあのようなところで過ごすしかなかったのです」


「ご察しいたします。わたくしもそう考え、ずっと『浮浪者ホームレス街』で貴方様を探しておりました故……」


「探していた? わたくしを? どうして?」


「そ、それは……シャオお嬢様がご心配でしたので……」


 頬を染め俯きながら目を反らす、マーキュリ。

 神秘的な黒瞳が泳いでいる。


 昔と変わらない素振りに、私の気持ちも温かくなる。






 山の中腹まで登り、山小屋へと辿り着いた。


 三角屋根で木製の二階建ての一軒家。

 一人で住んでいる割には意外と大きい建物だ。


 まぁ確かに、以前住んでいたお屋敷には遠く及ばないが、私としては十分だと思う。



「――わたくしの祖父が所有していた小屋です。わたくしも九歳までは、ここに住んでいたのですよ」


 マーキュリは私の鞄を持ちながらドアを開けた。


「マーキュリのお爺様は?」


「九歳の頃に亡くなりました。祖父と旦那様は古くからの知人で、身寄りのないわたくしをお屋敷へと招いて下さったのです」


 彼は言いながら、空き部屋の二階へと案内してくれる。


 ちなみに一階は居間の外に二部屋あり、二階は一部屋ある構造だ。

 かわやからお風呂場まで必要な設備は大体揃っている。


 マーキュリは早速、お風呂のお湯を沸かしてくれて、私を一番に入れてくれた。

 持ってきた鞄には昔の服が入っていたが、放置していたこともありすぐに着られる状態ではなく、彼は自分のシャツとズボンを貸してくれる。

 結構ぶかぶかだが、あのボロ雑巾のような服より相当マシだと思う。


 久しぶりのお風呂。

 とても気持ちよく、これまでの汚れが流れ落ちていく。

 くすんでいた金髪も以前の輝きを取り戻し、嬉しくてまた泣きしそうになる。


 お風呂から上がり居間へ向かう。


 丁度、マーキュリは上着と靴を脱いでいた。


 やっぱり両腕とも機械義手だ。

 肩口から鋼鉄の腕が取り付けられている。


しかし、それだけではなかった。


「……マーキュリ、両足もそうなの?」


 野暮だと思いながらも、めくられたズボンから覗く鋼鉄の両足を見つめて思わず訊いてしまう。


 彼は嫌な顔をせず、普段通りの優しい微笑みを浮かべて見せる。


「ええ、両腕両足とも機械義肢です。退役金代わりに軍が支給してくれました」


「可哀想に……不便でありませんか?」


「いえ、もう慣れましたので」


 私は「そうなの」っと頷き、それ以上言及をするのを止めにする。


 たとえどのような身形でも、彼は彼だと思ったから。

 私が知る実直で優しいマーキュリ・ヴェストには違いないからだ。


 けれど、もし彼が何かしらの不憫を感じることがあれば、私が手となり足となって支えていきたい。

 そんな淡い想いさえ芽生えつつある。


「シャオお嬢様も、すっかりお綺麗になられたようで……」


「ええ、久しぶりに汚れを落とし、さっぱりいたしました。これも貴方のおかげすよ、マーキュリ」


「いえ、そんな……それに、わたくしがお綺麗と申したのはそういう意味だけではなく……」


「はい?」


「いえ、申し訳ございません。わたくしも汚れを落として参ります」


 マーキュリは慌てながら、そそくさとお風呂場へ向かう。


 あとから聞いた余談では、あの機械義肢は軍事用なこともあり防水加工されているらしい。




 この日を境に、私の生活は一変する。


 毎日が新鮮で楽しかった。


 生まれて初めて掃除や洗濯を行う。わからないことはマーキュリがその都度丁寧に教えてくれた。


 マーキュリは普段、畑で野菜を育てたり狩猟に出たり薪を集めたりと働いている。

 時折、街へと降り育てた野菜など売ってお金に換えていた。


 あの身体なのに、なんでもそつなくこなしている。

 指先も器用なもので、スプーンやナイフなど巧みに使っていた。

 歩き姿も金属音は鳴らしてしまうも、スマートで美しい。


 私は家事全般を率先して担当し、彼の足手まとにならないよう努める。

 刺繍や料理は花嫁修業として学んでいたので活かされていたと思う。


 山暮らしなので、時折台所に野ネズミが出たりしていたが、前の『浮浪者ホームレス街』で慣れているので気にならない。

 寧ろ、あの時の方が沢山凄いのを目の当たりにしてきたからだ。


 あの場所に比べればここは遥かに天国だ。いえ比べるだけ失礼というもの。



 けど当初、マーキュリは私と食卓を並ぶことに抵抗を感じていた様子である。

 きっと執事だった彼は、令嬢だった私と同じテーブルに座り共同で何かをすることがなかったからだ。


 居候である私は「貴方と対等でありたい」と強く申し出て、最近ようやく慣れてくれた雰囲気もある。

 ただ相変わらず、私を「シャオお嬢様」と呼び畏まる態度は変わらないけど。


 そんなこともあり、マーキュリといると幼い頃の懐かしく楽しい記憶が蘇ってくる。

 よくマーキュリに心配されながら、おてんばなことを沢山してきた。


 同時に、ずっと仕舞い込んでいた彼に対する想いも……。






 共同生活も一ヶ月が過ぎようとしていた頃。


 夕食を済ませ後片付けをしている私に、マーキュリは話かけてくる。


「シャオお嬢様、明日わたくしと久しぶりに街へ行きませんか?」


「ええ、いいですね」


「そこでお嬢様に必要な物を購入いたしましょう」


「ごめんなさい……いつも貴方に気を遣わせばかり」


「いえ、お嬢様には家内のことをして頂いております。そのお礼と思って頂けば幸いです」


「マーキュリ……ありがとう」


 私は微笑み、さりげなく手を差し伸べる。

何気に彼の腕に触れようとした。


 マーキュリはさりげない仕草で躱すと、私に頭を下げて見せる。


「では、シャオお嬢様。おやすみなさいませ……」


 変わらない優しい笑顔……でもどこか切ない。


 再会を果たした時以来、マーキュリは私に触れようとしない。


 いつも一定の距離を保ちつつ、今みたいに優しく微笑んで静かに見守ってくれている。

 私に変わらず忠義を尽くしてくれている彼の信条を察すれば理解もできた。

 とても紳士的で尊敬できる男性だと思う。


 でも、少し寂しい――。


 実際、マーキュリは私のこと、どう思ってくれているの?


 あくまで仕える令嬢として?


 大切にしてくれるのは凄く嬉しい……だけど時折切ない気持ちも抱いてしまう。


 マーキュリ……私はもう令嬢ではありません。


 あくまで一人の女ですよ……。




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