美少女とモブ

「新太! 目を閉じて!!」

「え、そ、そんな急に言われても」

「いいから早く! キス顔見られるの恥ずかしいの!!」

「……わかったよ美月……」


 ドシン__頭が床に衝突して、脳が揺れる。


「イッテェー!!__夢か」


 昨日の放課後、早坂と過ごした無言ながらも心地良ここちよい時間の余韻よいんに浸りながら眠った昨夜の夢は死ぬほど恥ずかしい内容だった。


 やべ、軽く死ねるわコレ。

 最近のアニメや漫画の流行はやり、異世界無双やらチート無双やら、とりあえず主人公が最強のテンプレ傾向にある。

 俺でも『夢想むそう』くらいなら出来んだけどな……。


 朝から悪夢? を見た俺は、毎朝の日課である町内一周のランニングに出かける。

 家から町内一周は大体2キロの距離があり、途中にある河川敷の土手どてに座りながら朝日を見るのは小学生の頃からのルーティーンである。


 程度の良い向かい風が、心地いい具合に体に吹き付け朝を感じさせる。土手に着くと一休みのため腰を下ろす。


 スゥー、ハァー、とため息ではなく、深い深呼吸を何度も繰り返し呼吸を整え、川に反射しながら顔をあらわにする太陽に元気よく挨拶して、家に戻った。


「新太! 朝ごはん出来てるから早く食べなさい!」

「シャワー浴びたら食べるから、机に置いといて」


 家は2階建ての一軒家。見栄えは良いが、築35年と結構古びた家で部屋の数は6室。

 それでもローンが後30年もあるらしい。頑張ってくれ親父!!


 シャワーを急いで済ませダイニングテーブルで朝食をとる。


「おはよう」

「おう、おはよう新太」


 コーヒーを片手に朝刊を読む無精髭ぶしょうひげの親父は、強面(こわもて)ではあるが、常に優しく、たまに厳しさも出る、父親の鏡みたいな人。

 母はのんびりして温厚おんこうだが、怒らせると親父よりもずっと怖い。

 

「もう2週間経つが学校はどうだ? 慣れたか?」

「あ、ああ。友達も出来たし楽しいよ」


 ここまで育ててもらって、学校で『ぼっち』です、なんて言えるはずもなく、俺は親父に嘘をついた。


「じゃあ行ってきます」

「気をつけてね!」

「わかってるって」


 もう高校生だと言うのに、母は毎日俺を心配している。何を心配してくれているのかは知らないが、もう少し息子を信用しろっての。


 バッグを右肩に掛けながら、イヤホンを耳につけて、最近ハマっている曲を聴きながら登校する。学校に着くまでの30分が、俺の高校生活唯一の楽しみなのかもしれない。


 やばい、まじで泣けてきちゃう。あ、聞いてる曲の話だよ? 本当だからね? 


 歌詞の内容は全く理解不能な洋楽のリズミカルな音楽を聴きながら、歩き続ける。

 ちなみに洋楽で泣いたことなど一切ない。だって歌詞わかんないもん。


 しばらく歩いているとイヤホンが耳から外れた。慌てて下を向いてもイヤホンは落ちていない。

 キョロキョロと焦っていると女性の声がした。綺麗で大人びた声。


「おはよう高宮君」


 慌てて後ろを振り向くと、俺のイヤホンを右手に持つ早坂が立っていた。


 ……おいおい、これは何の冗談だ。あれかっ!!__クラスで目立たない奴に声かけて見ようぜ、って言うイジメの一歩手前のやつか!?


 どこかで友達が動画撮ってんだろ? どこだ!? 

 

 挙動不審きょどうふしんな動きで俺は周りを見渡すが誰もいない。


「……俺?」


 挨拶されてから数秒の間を置いて、右人差し指を自分に向ける形で、早坂に聞いた。


「周りには高宮君以外、見えないのだけれど……」

「いや、びっくりしてさ! おはよう」


 昨日の夜、夢に出てきた人物と早くも出会うなんて、これは正夢まさゆめになるのでは……。


「じゃ」


 そんな事、起こりうる訳もなく、早坂はクールに俺の前をスタスタと早歩きで歩いて行った。


「歩くの早ぇー。競歩のオリンピック選手かよ」


 会話は一言で終わってしまったが、気分は悪くない。むしろ良い。


 だって学園1の美女に『おはよう』って挨拶されたんだぜ? 気分が悪くなる男はいないはずだ。


 ルンルン気分で高校に行ったが、それ以降は特に変わりない日常。誰とも話せず、時間だけが過ぎて行った。

 

 例のごとく昼休み、また俺は寝たふりをかましていると、何やら教室が騒然としている。

 ここで興味本位きょうみほんいに起きてしまっては、寝たふりをしている意味がない。


 しかし、直ぐに教室の騒ぎの原因が、俺と関係している事に気付く。

 前日のようにまた、俺の肩をチョンチョンと叩く感触を感じたからである。

 

 また屋上の掃除命令か? 絶対に起きねぇぞ。


 がんとして俺は起き上がらない姿勢を保った。

 それでも主は諦めずに、何度も何度も肩を叩いてくる。


 しつけぇー。そんなんだから30代になっても独身なんだよ。

 と心の中で暴言を吐くと、バシンと頭を強く叩かれた。


「いて……」

「起きてるじゃない」


 この声には聞き覚えがある。今日の朝、『おはよう』と挨拶された声だ……。


「って、早坂!?」

「私を無視するなんて随分ずいぶんなご身分ね」


 スラッとしたモデル体型を、遺憾いかん無く発揮するその立ち姿。


 腕を前に組みながら、俺を見下みおろすようにギロリ、と目を向ける早坂。


「な、何だよいきなり」

「話があるの。放課後、また屋上へ来てくれるかしら」


 無表情で淡々と話す態度は、見かけ通りの『お高い女子』ぶりである。


「どうせ『掃除』だろ!? わかったよ」


 俺は周りの目を気にして『掃除』の部分を強調した。

 もし俺みたいな『ぼっち』が学園の華と仲が良いなんて知れ渡れば、それこそ平凡な日々ではいられなくなってしまう。


 早坂のファンクラブは怖ぇんだ。

 この前も、早坂に告白した男子をリンチにしている場面を目撃した。


 だが俺は、誘いを断る事もしなかった。

 素直に早坂に反抗する気になれない事もあるが、何より放課後、2人きりで掃除できるあの時間が、悪いものでもなかったから。


「じゃ」


 朝と同じように、用件だけ伝えると早坂は早歩きで教室を出て行った。


 相変わらず速ぇ。


 教室の中は未だに騒然としている。


「おい、あいつ誰だっけ?」

「えーっと、確か……にった君!」


 いや、だから、にったって誰だよ。クラスメイトの名前くらい覚えろ! 俺は覚えてるぞ__いつ誰が話しかけて来てもいいように、クラス名簿は100回程、目を通したからな。


 やはりその後は誰とも話す事なく、無事に放課後を迎えた。

 ただ、変に注目を浴びたせいで、ずっと後ろ指を指されていた気分だった。


 昨日と同じ時間、俺は屋上のドアを開ける。


 今日の早坂は箒を持ってはいなかった。


「あれ? 掃除じゃないのか?」

「誰が掃除と言ったのかしら」

「じゃあ何の用だ?」


 少し焦り気味に聞いてしまう。


「あなたは私にびへつらわないのね」


 問題です、彼女は何を言っているのでしょうか。

 1、彼女は俺を召使いだと思っている。2、彼女は頭のネジがぶっ飛んでいる。


 正解は両方だろう。


「何言ってんのお前!?」

「ふっ、その反抗的な目、気に入ってるの。私の部活に入らない?」


 高飛車たかびしゃな態度で意味のわからない事を立て続けに言われる。


「部活って__勧誘なら無駄だぜ? 俺は部活に入らない、って決めてんの」

「あら、何部かも聞かないで断るのね」


 どこの部活だ? 早坂の見た目的に、茶道部、いや吹奏楽、いやいやダンス部も似合うな……。って、俺をそんな部活に誘ってどうする気だこいつは。


「ぜ、絶対入らなけど一応聞いてやる、何部なんだ」

「……旅行部よ!!」


 その瞬間、まるで神がタイミングを見計らって吐息を吐いたかのように、屋上に強風が吹き付けた。

 

 強風は黒の短いスカートをめくり上げ、彼女の純白パンティーが露わになる。


 早坂の威風堂々いふうどうどうたる顔つきが、一瞬にして乙女の恥ずかしがる姿へと変貌する。


 両手で必死にスカート抑え、少し涙目になりながらこちらを睨む早坂の頬は、ちょうど夕日と同じように真っ赤に染まっていた。


 俺は、そんな純白の下着を凝視した。

 誰だって目の前にお宝が突然現れれば、目を輝かせるはずだ。


「み、見た……?」

「ミテナイデス」


 俺は首をフルフルと横に振り、留学生よりカタコトな日本語で嘘をついた。


「嘘よ! 絶対見た! 入部よ! 入部決定よ!!」


 正直、俺はパンツの事に頭が一杯で、早坂が何部に勧誘してきたのか覚えていない。


「わかった、わかった入るよ!!」


 早坂のパンツ同様、真っ白になった俺の脳内は、状況判断能力がいちじるしく低下していた。

 何も考えず、適当に返事をしてしまう。


 この出来事がきっかけで、俺の高校生活は平凡からかけ離れた、いわゆる非凡ひぼんなものになるのだった。

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