第11話

 十五年前、ジスタとアニスは両親が残した小さな家に住み、アニスは近所の炭焼き工房の手伝いをしてわずかな日銭を稼いでいた。

 十歳だったアニスは、幼い妹のために頑張って働いていたのだが、まだ五歳のジスタからすれば全然遊んでくれない兄に対する不満がくすぶっていた。いや、ジスタとて、幼いながらも頭では理解していた。兄は自分のために頑張ってくれているのだと。だが、理屈と感情の折り合いがつけられる年齢ではなかったジスタは、兄が遊んでくれない鬱憤を持て余していた。

 その日はたまたま広場に足が向いた。

 いつもはジスタと同じくらいの子どもたちが走り回っている空き地だが、この日に限ってなぜか子どもがいなかった。

 代わりに、黒い龍がうずくまっていた。

 まだ当時は龍が人の前に姿を現すのも珍しくなく、ジスタもとりわけ何の感慨も持たなかった。

 むしゃくしゃしていたジスタは、足下の小石を蹴っ飛ばした。

 すると小石は軌道が狂い、龍の方へと曲がって飛んでしまった。

 かつん、と小石は龍の堅い皮膚に当たる。それきり何も起こらない。

 つまんないの。

 ジスタは再び小石を蹴る。かつん。蹴る。かつん。

 何度目かのことだった。

 龍にしても、子どもに石を蹴られたくらいではどうということはない。

 だが、ジスタが蹴っ飛ばした何個目かの石が体に当たったとき、その龍は吠えた。

 天に向かって泣いていた。

 別に、痛がったわけではない。龍が泣く瞬間と石が当たる瞬間が重なっただけだ。

 ジスタは怖くなった。怖くなったジスタは、その場から逃げ出した。

 広場に人気がなかったのは、龍の様子がなんだかおかしかったからかもしれない、と後になって思った。

 龍はもともとおかしくなってしまっていたのだ。

 直後、龍は猛り狂った。

 八つ当たりのように暴れ回り、街を破壊した。

 ジスタとアニスの家が潰されるのを、遠目に見てしまった後のことはよく覚えていない。大混乱の騒ぎの中、どこをどう走ったのかもわからない。気がついたらリストリア王家の馬車に保護されていた。

『わたしはへポコ。あなたはお名前、なんていうの』

 そう言って手を差し出したへポコの手の感触を未だに覚えている。

 わたしは大変なことをしてしまった。こんなわたしに手を差し伸べてくれるなんて。

 ジスタは泣きながらその手を取った。

 

 あれから十五年が経った。

 昨日の戦いの後、イルティモは憔悴していた。彼女も彼女なりに、ガルゴンに思うところはあったのだろう。ジスタとイルティモは兄の話をぽつぽつと交わした。その会話の中で、街で暴れたあの龍がガルゴンだったことに初めてジスタは気がついた。

「気づいてなかったの?」

 イルティモは笑い顔のような、あきれ顔のような表情をしていた。

「でも、わからなくても仕方ないかもね。だって、奥さん死んじゃってから、全然変わっちゃったから」

 イルティモは在りし日の兄を思い、目を細める。

「なあ、イルティモ」

 ジスタは玉座の間の奥に目をやる。

 だが、そのまま視線を前に戻し、眼下に広がる城内の町並みを眺める。

「いや。今はいい」

 ジスタとイルティモはそうしてしばらく、戦いの余熱を風に流した。


 そして、今。

 戦いが明けたガレンダウロ城下を、ジスタ、イルティモ、へポコは王宮から眺め下ろしている。

「なあ、イルティモ」

 ジスタは昨日と同じ言葉を投げる。

「玉座の間で、調べたいことがあるんだけど」

 イルティモも頷いた。

「あたしもよ」

 三人は玉座の間に移動した。その王の座す場所、玉座を前に、ジスタが口を開く。

「玉座ってのは、王様が座る場所だ。でも龍のガルゴンは当然ながら玉座には座れない」

 へポコが笑う。

「そりゃーそうよ。龍には小さすぎるもんね」

「そうだ。だからといって特別に大きな玉座をしつらえた様子はない」

「ガルゴンってば、おっきな龍だったんでしょ? そんなの座れる玉座なんて、どんだけでかいのよ。むしろ椅子なんていらないんじゃない?」

 ジスタは頷く。

「そう、玉座なんていらない。邪魔に思って捨ててしまってもおかしくない。龍の王に、人間の玉座はいらないからな」

「んー、あれー? じゃあさ、なんでそのまま残してんの?」

 へポコは首をかしげる。

「オレの考えでは、多分」

 ジスタは玉座の下部を覆う垂れ布をめくる。

「あ!?」

「これは……!」

 イルティモが息をのむ。

 玉座の下から姿を現したのは、大きな卵だった。

 ジスタはイルティモに尋ねる。

「これは、龍の卵だな?」

「ええ、そうよ。兄者の卵ね。きっと」

 イルティモの目は優しい。

 その横で、へポコが首をかしげている。

「兄者の卵って、あれっ? 兄者さんが卵産めるの?」

「正確には、兄者の奥さんの卵、じゃないかしら」

「ええっ、兄者さんって、奥さんいたの?」

「もうずいぶん前に死んじゃったけどね。奥さんとの間にできた卵は、大事に抱えてたってことでしょう」

 ジスタは顎に手を当てる。

「ガレンダウロには秘策がある、って噂があった。そのために時間稼ぎをしているのだとも。あれはひょっとしたら、卵が孵化するのを待つガルゴンの姿勢が、曲げられて伝えられた噂だったのかもしれない」

「ええ。あるいは兄者は、もうすぐ生まれるはずだ、と信じてたのかも。その思いがいびつにゆがみ、卵が孵りさえすれすべてがうまくいく、という妄信に変わっていったのだとしたら……」

「ちょっと待ってよ」

 へポコが割って入る。

「奥さんずいぶん前に死んじゃったって、ずいぶん前って、何年くらい?」

「十五年くらいよ」

「龍の卵って、そんなに孵らないの?」

「いいえ、そんなはずはないわ。でも、たぶん」

 イルティモが呟く。

「この子も、戦いの最中に生まれて来たくはなかったのね」

 そのとき、

「あ」

「どしたの、ジスタ」

「いや、気のせいか? 卵が、動いたような」

 ジスタの言葉を受けて、イルティモが卵にそっと手をやる。

 頷く。

「生まれるかもしれないわ。もうすぐ」

「おおおー!」

 へポコが手をたたく。

「ずっと卵を温め続けていたのかもしれないわ。もしかしたら、戦いが始まる直前まで」

「ね、ね、この子は王様になるのかな?」

 イルティモは苦笑する。

「それはまだわからないわね。リストリアの上層部がどのような判断をするか、なんとも言えないわ。でもきっと、この子は王様にはなりたがらないんじゃないかしら」

「そっかー」

「生まれたら、あたしが育てるわ。森の龍の仲間たちと一緒に」

「ええっ、イルティモ、育児休業するの?」

 ジスタはあきれる。

「休業ってなんだよ」

「だって、森に行っちゃうんでしょ」

「しばらくの間はね。でも、もし昔みたいに、人と龍とが一緒に暮らせる世界になったら、他の龍たちも街に戻ってくるかもしれないわよ」

「うひゃー! 楽しみー! ね、ね、ジスタ」

 へポコはジスタの手を取る。

 まったく、へポコの明るさには助けられてばかりだな、とジスタは思う。

「この子が生まれる世界は、どんな世界になるんだろうね?」

 ガレンダウロの王宮から、ジスタは城下の町並みを見る。

 十年に及ぶ戦いがあった。大陸は大きく二分され、北のリストリアと南のガレンダウロは激しくぶつかり合った。それぞれに思惑があり、各々に人生があった。分かれて戦った兄妹もあった。

 それも昨日までのことだ。

 戦いは終わった。

 戦いが終わった街で、人々は生きている。

「それは」

ジスタは、にっ、と力強く。

「オレたちが創っていくんだ」

 笑った。


(終)

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Sister Dragoon 凍日 @stay_hungry

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