第7話
へポコが捕まった。
ネズミがもたらした報告を聞き、ジスタたちは目を見開いた。
「本当にそう言ってるのか」
「そうともさ」
ババロッタは声の調子を変えずに答えた。
「東側から向かったリストリア軍は、ガレンダウロ軍に包囲されて全員が戦わずして投降した。そしてその一団は、今、城への帰り道を急いでいる。この子はそう言っているよ」
ババロッタは手のひらの上ででネズミをあやしながら、そう言った。
イルティモが顔をしかめる。
「まずいわね」
「そんなこと言われなくてもわかってる。へポコを助けないと」
「そう。それはその通り。だけど、へポコを救出するのはおそらく無理よ」
「無理って、どうして!」
焦るジスタをイルティモはなだめる。
「落ち着いて考えなさい。へポコの部隊は全員が投降してるのよ。あのへポコでさえ戦意喪失するほどの戦力差があったってことでしょ。あたしたち二人だけで、助けられるかしら」
「でも、そんなこと言ったって。どうすればいいんだよ」
ジスタはうつむき、唇をかみしめる。
「やばい状況になっちまったってのはオレもわかる。へポコは心配だ、だがそれだけじゃねえ。へポコは王女だ。リストリアの王女を捕虜にしたガレンダウロが、どんどん強気に出てくるのは目に見えてる。へポコの親父さんは親バカだから、へポコを見殺しにはできねえ。もう終わりそうだった戦いは、まだ続いちまう。」
ジスタはイルティモにすがりつく。
「リストリアが負けるのも嫌だ、へポコが死ぬのも嫌だ。へポコはオレの家族なんだ」
ジスタは五歳のときに、実の家族を失った。孤児となったジスタに手を差し伸べたのが、リストリア王女へポコだった。へポコもまた当時五歳であり、同年代の友人が欲しかっただけだったのだろうと思ったこともあった。だが、実際にリストリア王家はジスタを庇護し、育ててくれた。ガレンダウロとの戦争が始まり、ジスタは悩んだが、最終的には戦士として戦うことを決意した。自分を守ってくれた王家と、そしてなによりもへポコのために立ち上がったのだ。
なのに、今。
ガレンダウロは土壇場になって冴えを取り戻しつつある。
指をくわえて見ているだけでは、やがて取り戻しのつかない事態になる。
ジスタがこれまで積み上げてきたものが、目の前で崩れ去ろうとしている。
ババロッタと目が合った。
まさか。
なぜ、作戦がうまくいかないのか。なぜ、へポコが捕らえられたのか。
ババロッタをにらむ目つきが険しくなる。
まさか、ババロッタが。
そのとき。
「ジスタ」
イルティモがジスタを後ろから抱き留めた。
「きみは勇者だよ。ねえ、なんで今あたしたちがここにいるかわかる? それはこれまでの活躍を、みんなが認めてくれたからだよ。十年前にガレンダウロとの戦いが始まってから、リストリアは負けっぱなしだった。でも、五年前、ジスタとへポコが立ち上がってから、戦局は変わり始めた。まだ十五歳だった小さな戦士たちが、みんなに勇気を与えたんだよ」
頭をなでる手は、優しい。
「あたしもそう。みんな、ジスタを信じてる。ジスタならやってくれるって、信じてる。だから最後の鍵を渡されたんだよ」
そっ、と手が離れる。密着していた体が、離れる。
「どうするのかは、ジスタが決めて」
イルティモはババロッタに向き直り、
「あたし、ちょっと様子を見てくる」
と言い残し、外に向かって走って行った。
洞窟の広間に残された二人の間に、沈黙が降りる。
ババロッタは相変わらず石像のように動かない。
「ほんとのこと言うと」
しばらくして、ジスタがぽつりと呟いた。
「ばあさんのこと、疑ってた。ついさっきまで」
ババロッタの目が細く開く。
「いや、まだ疑ってるかもしれない。なんだか、よくわかんねえ。ばあさん、ネズミやコウモリと話ができるって言ってたろ」
「それが嘘だってのかい」
ジスタは首を横に振る。
「いや、話ができるのは嘘だと思わない。ここに来た最初の夜、オレはそれなりに気を張ってた。少なくとも、部屋の扉の向こう側で聞き耳を立てられてたら気づいた。あと、イルティモとグルだって可能性もなくはないと初めは思ったが、イルティモに隠し事をされてる感じはしなかった」
ジスタは唇の端をゆがめる。
「根拠はないけど、まあ、勘だな。オレはイルティモを信じてる。だから、ネズミが盗み聞きしてたってのは、そうかもしれないって思った。じゃなきゃ、部屋での会話まで再現できるはずがない」
「じゃあ、何を疑ってるんだい」
「内通だよ」
じろり。
ジスタはババロッタを見据える。
「初めから疑うべきだったんだ。こんなところに宿屋だなんて、おあつらえ向きが過ぎる。さらにはネズミやコウモリかと会話できる能力だろ? イルティモはまるで怪しまなかったが、オレは怪しむべきだった。オレたちから得た情報を、ガレンダウロに垂れ流しているんじゃないかって」
じろり。
「作戦は完璧のはずだった。東側を攻めたへポコがゼボ砦を落とし、北側の本隊がドザーヌ砦を落とす。近頃のガレンダウロ軍の動き方からすれば成功はまず間違いなしで、あとはどれだけ早く実現できるかの、時間との闘いだった。だからオレたちも急いでここに来た。ガレンダウロ城を背後から狙えるこの位置に」
じろり。
「だが、作戦は失敗し、へポコは捕まった。そこでオレは思い出したんだ、ばあさんが初めてネズミとしゃべってたときのことを。あのときばあさんはこう言った、『リストリアの兵士が大勢、北の砦に向かっている』と。東のゼボ砦のことはまだ知らなかったんだ」
じろり。
「なのにオレたちはばあさんの能力にはしゃいじまって、戦況を把握するために東側のゼボ砦付近の情報も欲しがった。そこで別働隊の存在に気づいたばあさんは、ガレンダウロに向けて何らかの情報を発信した。そしてガレンダウロは罠を仕掛け、へポコは見事に捕まった」
じろり。
「そう考えると、つじつまが合うような気がしたんだ」
沈黙が降りる。
「おまえさん」
ババロッタの口が開く。
「儂がガレンダウロに情報を流してると言ったね」
「ああ」
「どうやってやるんだい。儂はネズミやコウモリとしゃべれても、あの子たちはヒトの言葉をしゃべれないよ」
「ばあさんと同じような能力を持つ存在がいれば、できる」
「魔法使いってやつかい」
「いいや違う。ネズミやコウモリと会話できる魔法なんて、オレは聞いたことがない。少なくとも、へポコはできないと、前に言ってた」
「じゃあ、なんだってんだい」
「龍だよ」
じろり。
「ばあさんと同じさ。龍なら、できるかもしれない」
ババロッタはため息をついた。
蛇のように細長い体を揺るがせて、石の椅子に座り直した。その体は鱗で覆われている。
「龍にだって、得意不得意はあるさ。動物と話ができる龍なんて、そうそういないよ」
「そうなのか?」
「儂以外には、できるやつなんて見たことないよ。龍の中でも、はぐれものなのさ」
ババロッタは寂しげに呟いた。
ジスタは肩をすくめた。
「ほら、それじゃやっぱりだめだ。内通なんて、できなかったんだ」
「どういうことだい」
「オレはさっき言っただろ、『さっきまで疑ってた』って。もう疑ってないんだよ」
「なんだ、そうだったのかい。でもまだわからないよ。儂が嘘をついているかもしれない」
じろり。
「儂の他に、ネズミやコウモリと話ができる龍がいるかもしれない。ガレンダウロにね」
「ああ、確かにそうかもしれない。その可能性は捨てきれない。だけど」
ジスタは微笑む。
「もうばあさんを疑っても、仕方ないって気づいたんだ。ようやくね」
「仕方ない、かい」
「ばあさんから聞かされた話、おそらく本当なんだろう。ゼボ砦を攻めた別働隊は罠にはまってへポコは捕まり、北のドザーヌ砦はまだ落とせていない。こんな嘘をついて、いいことがあるか? 何のことはない、オレたちがめんどくさがらずに偵察すれば、嘘か本当かなんてすぐにわかりそうなもんだ。オレは、嘘をついていないと思ってる」
にこり。
「ばあさんはオレたちから得た情報をガレンダウロに流してなんかない。へポコたちの動きがばれたのも、相手の斥候がいい仕事をしただけだろう。それか、優秀な指揮官がいるかだ」
ジスタの目には輝きが戻っている。
「ネズミたちから聞いた話を、せっかく教えてくれたんだ。オレは信じる。そうと決まれば、行かなくちゃな」
ババロッタが首をもたげる。
「行くって、どこへだい」
そこに、イルティモが外から戻ってきた。
「ジスタ!」
「どうだった?」
「ガレンダウロ城から東の方に、軍勢が見えたわ。あれがきっと、ババロッタさんが言ってたやつよ」
「軍勢の規模は」
「中規模程度」
「距離はどれくらい離れてる?」
「一刻もあれば、城に帰還されても文句は言えないわ」
「よし」
ジスタは頷く。
その表情を見て、イルティモは微笑む。
「勇者の顔ね」
ジスタはババロッタを振り返る。
「ばあさんの話とイルティモの話を合わせて考えれば、敵はおそらく別働隊を迎え討つために城から相当な兵力を割いているはずだ。もしそうなら今、城はほとんどもぬけの殻だ。兵が城に帰ってくる前に、オレたちはガレンダウロ城に攻め込む。そしてガルゴンを倒し、戦を終わらせる。オレたちが勝つには、へポコを助けるには、それしかない」
ジスタは道具袋の中をあさる。
「ばあさん、世話になった。行ってくるよ。洞窟の中にいたって、外のことは何にも見えないからな」
袋から取り出した金貨を、しかしババロッタはやんわりと押し戻した。
「初めに言ったはずだよ。後払いだって。戦いを終わらせてから、また来ておくれ」
ジスタは苦笑し、
「そいつは確かに、後払いだな」
と言った。
ババロッタに別れを告げ、ジスタとイルティモは洞穴を抜け出た。
降り注ぐ日の光に目を細め、ジスタは槍を握る手に力が入る。
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