第2話

 ババロッタの宿屋から東に、ガレンダウロ城はそびえ立つ。

 重々しげな城壁の内には街があり、兵舎があり、そして王が住まう宮殿がある。

 宮殿の最奥部、王座の間に一人の将校が飛び込んできた。

「ガルゴン様! ヨヴァ砦が陥落し、我が前線はまたも後退を余儀なくされました!」

 将校は年若く精悍だが、戦塵に汚れ、疲れが見える。だが、目にはまだ輝きが失せてはおらず、戦意十分を物語っている。

 将校の目は広間の奥に注がれている。

 大きな一匹の黒龍が、王座の前で首をもたげている。

 ガルゴンと呼ばれたこの龍こそが、ガレンダウロ帝国を統べる王者であった。

「アニスよ」

 低く、重い声が空気を揺るがす。

「慌てるでない。ヨヴァ砦は所詮、捨て駒に過ぎぬ。難攻不落のドザーヌ砦を守りさえすれば、転機はやがて訪れる。時間を稼ぐのだ」

「ですが、ガルゴン様」

 アニスと呼ばれた将校は食い下がる。

「なぜ龍騎兵を使わないのですか」

 ガルゴンはじろりとにらむ。

「使っているだろう」

「数騎に過ぎません。なぜですか? 龍騎兵はガレンダウロの誇りだったはずです。出し惜しみをしている場合ではありません」

「軍龍たちは今、疲れておる。それに焦らずとも、あと数日で幼龍たちの訓練が完了し、実戦に投入できる。その間、兵士たちで足止めをすればよいだけであろう」

「僭越ながら、ガルゴン様」

 アニスは拳を握り込む。

「ガレンダウロがかつて吸収した中小の国々はみな、敵国リストリアの手に落ちました。リストリア軍は、十年前の弱小軍ではもはやありません。あなどっては、なりません」

 アニスの弁は熱を帯びてくる。

「敵国も、龍を擁している可能性は否定できません。龍騎兵を動かさねば、兵力は大きく劣ります。訓練中の軍龍たちも動員すればよいのです。十分に戦力になるはずです。龍騎兵を最大限に活用しさえすれば、あるいは……」

「黙れ!」

 ガルゴンが吠える。

「弱音を吐くな。あと数日だ、数日持てばよい、それがなぜできぬ?」

 その視線は鋭い。

「龍の価値は稀少だ。俺のように言葉を操れる龍は、みな戦火を恐れて人の前から姿を消した。残っているのは軍龍ばかりだ。軍龍をこき使って死なせて、俺を孤独にしたいのか!」

「滅相もありません」

 ふ、と息をつく。

「アニス、おまえはよくやっている。若年ながらも実力は我が国一の将校だ。俺は認めている。おまえは俺の寄る辺だ。だからやってみせろ」

 アニスは唇を引き結び、最敬礼をする。

「御意」

 その目はまだ、輝きを失ってはいない。




 暗がりの中で、ジスタはイルティモの腕に抱かれて目を閉じている。

 耳元でイルティモがささやく。

「ねえ。怖い?」

 ジスタはうっすらと目を開く。

「まさか」

「嘘」

「嘘じゃない」

「素直じゃないんだから」

 くすくすとイルティモが笑う。

「なんだかこうしてるとね、昔、家族が一緒だった頃を思い出すわ」

「……家族か」

「そう。家族。ジスタはあたしの兄者に似てる。子どものころ、喧嘩してべそかいて帰ってきた兄者は、いつもお母さんにこうやってあやされてたわ。……こうしていると、なんだか弟ができたみたい」

「なんだよ、弟って」

「あら。嫌だった?」

「別に、嫌じゃねえけど」

 くすくす。

「オレは……もう、忘れちまったから、家族……家族なんて」

「そんなこと言わないで。あたしたちがいるよ」

「……うん」

「あたしも、怖い。ほんとは」

 イルティモの色白い腕に力が入る。

「この先、兄者と戦わなくちゃいけない。そんな気がするの」

 イルティモは呟く。

「あたしが倒さなくちゃ。あたしが……」

「イルティモ」

 ジスタが向き直る。

「オレがいる。困難は、力を合わせて乗り越えればいい」

 くすくす。

「頼もしいわ」

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