Sister Dragoon
凍日
第1話
夕日が緑を朱に染め上げていた。山を越え、森を越え、先を急ぐ。
山岳地帯をようやく抜けたところに、件の宿屋は実在した。
宿屋、と聞いていた。
だが目の前の岩場には、薄暗い洞穴がぽっかりと口を開けているだけである。
ジスタは肩越しに、驚きともあきれともつかぬ顔を後ろに向けた。
「まさか、これか?」
「そ」
相棒のイルティモは涼しげに首をかしげる。
「穴場でしょ」
ジスタはがしがしと後ろ頭をかく。
「こういうことじゃないだろ」
「日が暮れる前に着けてよかったわ」
イルティモは非難の視線をさらりとかわし、背後を振り返った。
東に広がる平野部に視線を注ぐ。つられてジスタもそちらを見る。
大きな城がそびえ立っていた。
何も言わずに眺めていたイルティモの表情がふっと緩み、
「さ、早く入りましょ」
ジスタをずいずいっと洞穴に押し込んだ。
どのみち泊まるしかないのだ。ジスタは諦めてイルティモに身を任せる。なぜか上機嫌のイルティモに対して、ジスタは落ち着かない気分である。
◇
かつて世界は龍と人とが共存していた。
十年前、ガレンダウロ帝国は国王ガルゴンの指示のもと、周辺諸国に攻め込んだ。大戦が始まり、大陸の勢力は北のリストリアと南のガレンダウロに二分された。当初リストリアは劣勢に追い込まれたが、勇者とよばれる勇敢な戦士たちの活躍により、徐々に戦況を盛り返し、ついにはガレンダウロ帝国に攻め込むまでに逆転した。
その大戦の最終盤。
ガレンダウロの軍事拠点は、本拠地たるガレンダウロ城と、それに至る道を守る北と東の二つの砦を残すのみとなった。
だが、砦は堅く、正面突破だけでは難しい。そこでリストリア側は奇襲部隊をガレンダウロの奥地まで送り込んだ。
それがジスタとイルティモである。
ジスタとイルティモは忘れ去られた山奥の宿屋に拠点を構え、ガレンダウロ城に攻め込む機会をうかがっていた。しかし、ガレンダウロの若き将校アニスの巧妙な策略により、リストリア側は砦をうまく突破できない。ついにはリストリア王女が罠にはまって生け捕られ、リストリア側はかつてない危機を迎えた。
行くなら、今だ。
ガレンダウロ城の守備が手薄な今しかない。
ガルゴンを討ち取り、戦を終わらせるしか、手段はない。
ジスタとイルティモは意を決し、敵のただ中に果敢に飛び込んだのだった。
◇
ジスタは槍を担ぎ直し、イルティモの言うところの宿屋、その入り口をくぐった。
宿屋といっても、要は洞窟をそのまま使っているだけのようだ。
「誰が使うんだこんな宿屋」
「そりゃ、人目を忍ぶ誰かでしょうよ」
イルティモはいたずらっ子のように笑う。
「あたしたちみたいに」
歩き始めると、外界の明かりはすぐに届かなくなった。岩ばかりと思ったがどうやらそれは入り口付近のことだけで、そのうち堅い土を踏む感触に切り替わった。ひんやりとした、湿り気のある空気が頬をなでる。
やがて足下がおぼつかなくなり、いいかげん袋から携帯用の火打ち石を取り出そうと足を緩めたとき、視界の右側にいきなり火が燃えた。
「うおっ!?」
袋を取り落としたジスタに、イルティモは腰に手を当て、ため息をつく。
「なにやってんの、もう。情けないわね」
「だって、そりゃ」
「よく見なさい。灯りがついただけでしょ」
言われるままに見てみると、松明が赤々と燃えている。
「だけって、言われてもな」
火の明かりが洞窟の内部を暖かく照らす。細い通路を抜けて、開けた場所に出たことがわかる。
灯りのそばに石の机と椅子があり、洞穴の主が鎮座していた。
「空いてるよ」
じとりとした目をジスタとイルティモに向け、しわがれた声を発した。
椅子の上に、ひょろ長い体を器用に乗っけている。おそらく老齢だろうが、では何年生きているのかというと、ジスタには見当がつかない。
「一部屋しか、ないけどね」
先ほどの、空いてる、というのは部屋の空きのことを指したらしい。
イルティモが主に問う。
「こんばんは。あなたが、ババロッタさん?」
主の目がぬっとつり上がる。
「その名で呼ばれたのは久しぶりだねえ」
「噂には聞いてたけど、よかった。本当にあって」
「若いのにこんな場所、よく知ってたねえ」
「古い知り合いから聞いて、ちょっと、ね」
「そうかい。昔はそれなりに賑わったんだけどねえ」
じろり、と向けられる視線が粘つく。
「訳ありの客なんかで」
洞窟の主は、名をババロッタといった。ババロッタは大儀そうに体の向きを変え、ジスタとイルティモを順に眺める。
「すまないね。客を眺め回すのは御法度なんだけど」
そう前置きしつつ、じろじろとなめ回すように見る。
「何年、いや、十何年ぶりくらいの客だからね。ちょっと気になっちまうのさ」
ジスタと視線が合う。
「珍しいからね」
イルティモがジスタを小突く。
「なに緊張してんの」
「い、いや」
「まったく。勇者が聞いてあきれるわ」
「勇者、っつーのはただの呼び方だろ。要は戦士だ」
「指折りの戦士を勇者と呼ぶのよ。そして、作戦の成否はきみに懸かっている」
イルティモはジスタの鼻先を爪で軽くはじき、ジスタはそっぽを向く。
「オレたち、だろ」
「そういうのは部屋でやってくんな」
ババロッタはそう言って再び石机に向き直った。そしてそのまま目を閉じる。
宿代を尋ねようと口を開きかけたジスタに先んじて、
「ウチは後払いだかんね」
と、首を動かさずに答えた。
ジスタとイルティモは互いに見合わせ、肩をすくめた。
「それじゃ、お借りします。さ、休も休も」
イルティモはジスタを引っ張り、そそくさと奥へと進んでいった。
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