48 ~ハアトの懐中時計~

 エイジアの左手には光を失った彼女自身の懐中時計がひとつ。そしてもう片方の手にはハアトの時計が握りしめられていた。


「エイジア……思ったよりも早かったですね」


「やはりあなたが持っていたんですね。何かの間違いであってほしかった」


 エイジアはそう言ったあと、ハアトの時計をぎゅっと握りしめ「動くな」とささやいた。一方では今まさに動こうとしていたサクマの肩に白く細い手が置かれる。彼の背後に立っていたアイビイが、口もとで人さし指をたて、無言で制圧している。


「あなたたちも動かないでください。危険ですから」


 アイビイは私服姿の三人にも声をかけた。


「……大丈夫。はなれないで」


 ダイチが他の二人を隠すように、両うでを広げる。


「あんたこそ下がってなよ。脚ふるえてるし。てかこれなに? 状況がよくわかんないんだけど」


 今度はシズエが二人をかばうようにそっとダイチと体をいれかえた。同時に発した声に対する回答は誰からも得られない。皆この城を飾るオブジェと化して閉口していた。


 おもむろに、ハアトが懐に手をしのばせる。すでに時計が留守にしているはずの懐へ。


「だれが動いていいと――――」


「まあまあ。すごい汗ですよ」


 そして取り出したものは一枚の青いハンカチーフだった。前髪が濡れてはりついたエイジアの額を繊細な手付きでタッチしていく。エイジアは眼前で揺れる布きれを微塵も気にせず一点――ハアトの目――をにらみつけていた。


 方々に気をとられたアイビイは、肩においた手をゆるめ束の間の自由をサクマに与えた……与えてしまった。その一瞬の油断が凶をまねき、サクマのひじがアイビイのみぞおちを、続けて降りてきたこめかみをとらえる。たじろいだアイビイの足もとでは乾いた音をたてながら眼鏡が床をはねて転がっていった。


「アイビイ――――」


 ハアトは、アイビイへ目をきってしまったエイジアの髪をつかみ、彼女の脇腹にひざ蹴りをいれ、鼻先を地面にたたきつけるように拘束した。たった一秒ほどの出来事。そのわずかな間で形勢が変わってしまった。


 そして見下ろす彼女の手から、悠々と相棒を取り戻した。


「本当に詰めが甘い。あなたの時計ももらいましょう」


 ハアトが時計を開き、その身が明滅する様子を認めた。エイジアは鼻から血を流しながら再度彼らの動きを封じようと試みるも、彼女の時計が光を放つことは二度となかった。


「なんでもできる時計、ゆえに特別製だと聞いていましたが……どうやらもっと厄介な代物ですね、それは。他人の時計の機能を奪っていたのですか。だから、なんでもできると……うっ」


 エイジア同様にその場で取り押さえられているアイビイが、かろうじて顔をあげ、同時に苦悶の声をあげる。ハアトの時計におどろきを隠せないようだ。その顔はサクマの仕業か、左目のまぶたは腫れあがり、くちびるからは血が滴っていた。


「奪ったとは人聞きの悪い。返してもらったんですよ。なぜなら僕の時計は――――」


「オリジナル」


 ハアトの代わりに答えたのはエイジアだった。うつ伏せで、背にはハアトがのしかかり、右うでは踏まれ、髪を握られたまま、それでもなお目は死んでいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る