30 ~口から生まれた男~

「ダイチのお姉さんと会ったことはないんですけど、たしかシズエって名前でした。結婚はしていなかったので、苗字は堂森のままです」


 そう聞いた瞬間のハアトの表情はなんとも形容しがたいものだった。その後徐々に破顔し、やがて息を吐き出すように笑い声を漏らし出した。


「……堂森シズエさん。なんと。なんとなんと――――こんな偶然があるなんて」


 ダイチの姉――シズエ――の情報を控えようと用意していた手帳を再び胸にしまい、いまだ止まない笑みと滲みだした涙をぬぐっている。


「ああ、それでエイジアは……なるほど」


 そして一旦落ち着いて、事情を把握しかねているサヤカにようやく向き直る。


「ずっと引っかかっていたんですよ。エイジアの性格と力なら、万が一にも失敗は起こりえないのです。なのに何故彼女はダイチさんを門の外に出してしまったのか。でも、シズエさんとの関係を知って納得しました……」


 シズエさん――――サヤカは彼の口からその名を呼びなれた印象を受け、初めて目の前の男が持つ様々な情報の一端を垣間見た。


「お姉さんを知っているんですか?」


 うんうんと嬉しそうに頷き、ハアトは天に向けて深く息を吐いた。それは彼の肺を窒息させるほどに深くふかく。


「知っているも何も、僕はシズエさんの担当ですよ。まだ案内係になってまもなくの頃でしたね。いやぁ懐かしいです。まあ日本に向かう前に挨拶したばかりですけど」


 前制度において判決官に従事していたハアトが入国案内係になったばかりの頃、若く、状況が呑み込めずに泣きじゃくっていたシズエを迎えたのが彼だった。シズエの容姿が変わることはないものの、その頃に比べて随分とルートに馴染んだものである――。


「ダイチの姉がシズエさんだということは知らなかったんですね。なんでも知ってるって言ったのに」


「ああ、さっきのは嘘ですよ。エイジアに聞いていただけです。空飛ぶフグがいる暗い海底でね。……あなたの相方の姉だとは聞かされていませんでしたが」


 ――馴染むどころか、最近に至っては機関内に押し入ろうとするほどだ。


 現世で現を抜かしていた間にルートで起きた一連の流れをつなげようと、しばし活動を停止させたハアトをしり目に、サヤカは今まさに付近で起きている光景に釘付けだった。


「遅かったな。俺はどっちだ? 早く教えろ」

「判決は機関内で、機関長の口から伝えます。ご同行願います」


 日本人の男が悪態をつきながら、サヤカたちとは反対方向――機関がある方――へと連れられていった。彼女にはその光景が刑事ドラマのクライマックスシーンさながらに思え、ひどく気分が悪かった。


「気になりますか?」


 いつの間に肩口に近づき、ささやくハアト。驚きながらも、黒づくめに連れられて歩く男の背中をじっと見つめていた。


「彼は機関長の審査が終わった者ですね。成仏通知が掲示されなかったということは、懲役に科されるということです。――――あ、これ言っちゃいけない仕組みでした」


 ハアトはそっと明後日を向き「聞かなかったことにしてください」と逃げの一手を打った。だがもう遅い。

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