26 ~彼女を忘れてはいけません~
ルートのおよそ中央に位置するここに、独りぽつんと座っているサヤカがいた。共にいたアイビイはひと通り話を終え、その後どこへともなく歩き去ってしまった。彼女はその無言の圧力を発する背中をただ見送ることしかできず、手持ち無沙汰にひたすら天の色を眺めていることしかできなかった。
「こんにちは。案内係のハアトです。あなたが時計を拾ってくださった方ですね?」
代わりに彼女のもとにやって来た人物は、アイビイと同じくブラックスーツを着こなしていて、道化の仮面をかぶったような笑顔を貼りつけていた。そしてその手もとには、座っている相手の目線に差し出された懐中時計。
サヤカにはこの懐中時計がダイチが拾った懐中時計と同じものか判別がつかなかったが、恐らくそういうことだろうと確信も半ばに頷いた。
「この度はありがとうございます。それに大変なご迷惑をおかけしてしまいました。どうお詫びすれば良いやら……少し考えます」
ハアトはそう言って、サヤカから一つ分の席を開け腰を下ろした。両肘をつき、両手の指を絡め合わせた手に額を乗せ、唸り声をあげている。
一方のサヤカは大人しく座り、時折横目でハアトを見ている。彼女がこの国に来て出会う三人目――当人の記憶上は二人目――の案内係。彼らはみな個性が違えど、どこにいてもマイペースというか、自分本位なところは同じらしい。
そんな隣の男は微動だにせず何か独り言を繰り返しているが、サヤカの耳まで届かない。代わりに周囲に蔓延する乾いた空気を伝い、機関の人たちの会話から聞きなれた単語を耳が掴んだ。
「アイビイが門の前にいましたよ」
「なんの用でしょうね」
「さすがにそこまでは。エイジアも帰っていましたし、なんだか慌ただしいですね」
サヤカの胸をうつ心拍数が上がった。何に反応したのか本人にもわかっていないが、アイビイの名を聞いたせいだと思い込む。が、どうにも腑に落ちない。もう一人の名に聞き覚えがあったせいだ。
「あの……エイジアって――――」
「そうだ。僕が直接、日本への調査申請書に機関長印を押しましょう。事情を話せば機関長も許してくれますよ。簡単なことです」
彫刻のように頑なだった姿勢から、何の予兆もなく勢いよく立ち上がったため、サヤカの口から小さな悲鳴がはみ出した。彼のきらきらした目と語気の強さに、先ほどの疑問はどこかへ飛ばされてしまった。それにサヤカには、今しがたの提案を素直に受け入れることができない事情もあった。
「いや……まだ駄目なんです。私と一緒に来た人が門の外に出ちゃったみたいで。その人を待ってるんです……」
「じゃあ、その人を連れ帰りましょう」
けろっと言い放つハアトと、出来っこないと言わんばかりに首を振るサヤカ。
「ずっとここにいるつもりですか? 僕は時計を失くしたとき、とても心配しました。あなたもそうでしょ? 大切なご友人が心配では?」
「……んん、でもアイビイが……」
「大丈夫ですよ、そんなの。いざとなったら僕が追い払いますから」
シュッシュッと威勢よくシャドウボクシングを始め、その場にいないアイビイの鼻っ柱を執拗に殴りにかかる。しかしそのとき彼の脳裏をよぎったものは、ことごとく空を切る両の拳と、代わりに襲い来るこめかみへのげんこつだった。
妄想のリングにタオルを投げ込んだハアトは、気をとりなおしてサヤカに目を合わせる。
「……とにかく、アイビイは面倒ごとが嫌いなだけです。門の外で困ったことが起きたときは僕がなんとかしますよ。相棒の恩人ですから」
ハアトは胸もとを二度叩き、サヤカの腕を引いて歩き始めた。
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