21 ~アイビイ降臨~

 たった今、意を決して立ち向かおうとしていた相手が突然現れたのだ。ハアトはいつもの厭らしい笑みを浮かべながらも、内心は揺れに揺れていることだろう。正直なところ、その愛想の良い化粧も剥がれ落ちる寸前だった。


「おやまあ、アイビイじゃありませんか。お疲れ様です。現物調査から戻ってまいりました」


「お疲れ様です」


 ハアトがひょうきんな敬礼ポーズを見せたものの、意に介さない様子で返されてしまった。アイビイの虫の居所がわからないのも今に限った話ではない。ハアトは場の空気を図りかねていた。


「えっとですね。これからそちらに伺うつもりでしたが、どうしてわざわざこちらに?」


 アイビイは鼻梁の鎮座する眼鏡に指を添えながら手もとを見やる。彼の足はそのままの姿勢でハアトへと一歩ずつ近づいていた。


「あなたたちが戻ってきたようでしたので失礼ながら覗かせてもらいました。もっとも、エイジアは私に気づいていたようですがね」


 よく見ると彼の手には開かれたままの懐中時計が握られている。


「……そうでしたか。まんまと彼女に置いていかれたわけですね」


「それと」


 いよいよ人ふたり分の距離まで詰め寄ったとき、アイビイは懐からもう一つの懐中時計を取り出した。それはいつか落としたハアトのものだった。


「あなたの目的はこちらでしょう? どうぞ」


「おお、それは間違いなく僕の相棒です。心配していましたよ。どうもありがとうございました」


 受け取ったハアトは早速相棒の体を開き発光させ、その小さな中身を食い入るように見つめていた。


「……機関の中に私服の人物がいますね。判決待ちというわけでもなさそうですし、僕が不在の間になにかあったんですか?」


 自身が日本へ出向いていた間のことなど露とも知らないハアトは、時計の中に映る光景への疑問を能天気に口にしてしまった。それを聞いたアイビイは当然だが眉間に幾重もの深い皺を刻み、細く鋭い目をハアトに向ける。


「その女性とお連れの男性が、あなたの時計と一緒に機関にやってきました。これがどういう意味か、一から説明する必要がありますか?」


 ハアトはみぞおちを一突きされるような言葉を聞き、数秒の逡巡を終え何度も首をふった。


「あと、先ほどのエイジアとの会話内容も聞こえていましたが……軽々しく他人に時計の中身を教えないように。あなたの時計は特別なのですから」


「……そうですね。軽率でした。ちなみに今回の調査で不可解なことがありまして、話の流れで報告しても良いですか?」


 ハアトは今回起こった出来事を順番に話し始めた。座標を合わせたはずが大阪府に到着してしまったこと。その時には時計を紛失していたこと。この二点を聞いたアイビイは怒りを納め、神妙な面持ちで相槌をうっていた。ここで報告を終われば良いものを、その後の水族館や遊園地での楽しい思い出も垂れ流してしまい、アイビイの顔に再び皺が、ハアトのこめかみには赤いげんこつの跡が刻まれてしまった。


「――――とにかく、時計の不具合については前例を探ってみます。あなたはそうですね……迂闊なことはせず通常業務に戻ってください」


 カツン、カツンと靴底と床が出会う音を鳴らし、アイビイはその場を立ち去ってしまった。残されたハアトは、先ほど遊園地の話の途中で殴られた頭をさすっている。たんこぶにはなっていないようだ。


「もうすぐチュロスの感想を言うところだったのに」


 ハアトは一人愚痴を漏らしながら、時計を拾ってくれた恩人のもとへと向かった。「通常業務に戻れ」「迂闊なことをするな」と言われた過去――つい先ほど――はもう忘れたらしい。

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