20 ~ハアトの懐中時計とは~

「ところで……。こうしてお迎えがあったということは、僕の時計は先に帰還しているということですよね。今どちらに?」


「あなたの時計ならアイビイが持っていますよ。こってりしぼられてきてください」


 その返事を聞いた途端、ハアトの顔はこれ以上ないほどに青ざめていった。


「よりにもよって、どうして彼のもとに……」


 今にも泣きそうな声を出しているが、こればかりはどうしようもない。エイジアは「じゃあ、がんばってください」とだけ残し、その場をあとにしようとした。しかし、そうはさせまいと、背中を向ける彼女の肩に手を置き、ハアトはまだ食い下がる。


「我々の仲じゃないですか。ここはひとつ相談を聞いてもらえませんか?」


 どうせ良からぬことだと決めつけるエイジアの目は、大阪の空を泳いでいたフグの目よりも暗く、一切の希望も寄せ付けない色をしている。


「一応、聞きましょうか」


 エイジアは肩に置かれた手を払い、心底面倒くさいことだと言わんばかりの態度で耳だけを向ける。


「こんな方法はどうでしょう。エイジアの時計でアイビイを――――」

「断ります」


 大方予想どおりの相談内容にカウンターを合わせるのは容易いことだった。


「嗚呼、せめて現世へ行く前の僕に戻れたら……。現世を経由してしまった今の自分が憎くてなりません」


 エイジアの時計をもってしても世界の壁は越えられない。そんな芸当が可能であれば、ダイチとサヤカがルートに潜り込んだ時点で、アイビイは真っ先に彼女を呼んでいたことだろう。越えられるのは神様の贈り物といわれる懐中時計とその付属の人物だけであり、しかも現世での制限時間付きだ。


 それに、仮にルート内で時計を落としたとしても、だれかの私利私欲のために働くようなエイジアではない。


「こんなこと言いたくありませんが、あなたの時計で対処したらどうですか? どうせ何かしらの機能がついているのでしょう?」


 機関の案内係同士でも、互いの時計の中身を知らないことは往々にしてあることだった。とくにハアトの時計を知っている者は機関の中でもごくわずか。そのわずかの中にはアイビイも含まれている。そういう意味ではアイビイが拾ったことは不幸中の幸いだったかもしれない。


「残念ながら私の時計はこんな時に使えるものでもなく……あ、知りたければ一緒に行きますか? きっと驚きますよ。あなたにとっても良いことがあるかもしれません」


 見え透いた誘い文句と含みのある言い方に嫌気がさしたのか、エイジアは左手を振りながら踵を返し、門の方向へと体を向けた。


「生憎、他人の時計の中身に興味がありません。では失礼します」


 今度こそ歩き始めたエイジアは、一度だけ立ち止まり天を見上げた。そこにある彼女の野心は、天にはどう映っているのか。神様がいたとして……死んでいながら傲慢な願いを持つ彼女をどう思うのか。


「興味がない……ですか。これは知られたら大変かもしれませんね」


 懐に重みのない状態が、今更ながら気持ち悪く感じだしたハアトは、大きく息を吐き出し、いざアイビイの待つ執務室へ向かおうとした。エイジアと反対方向へつま先を向けたとき、彼の体は足の甲を射ぬかれたように急ブレーキを踏む。なぜなら――――。


「話は終わりましたか」


 振り向いた先にアイビイが立っていたからだ。

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