16 ~ここは新世界~
雑然とした店内、油と煙草の匂いにまみれた一角で、ハアトとテツヤは和気あいあいと食事をしていた。左手にビールの入ったジョッキを持つハアトは陽気な顔で笑い声をあげていたが、突如現れたエイジアを見つけ、一気に冷めたように口と目を見開いた。エイジアはこの表情を知っている。遊んでいる最中に不意に滝つぼへ落ちるときの男の顔、もしくは学校の屋上でパラペットから足を滑らせ落ちてしまった子どもの顔だ。
狭い店内、立ち止まったエイジアの横を邪魔くさそうな視線を投げ通り抜ける男たち。彼女はそんな視線を気にもせず、テツヤの背後で仁王立ちを決めていた。ハアトの目が自身の背後に集中していることに気がついたテツヤは、不審がり振りかえる。
「わあっ――――な、なんですか?」
振り向いたテツヤの鼻先わずかのところに、見知らぬ黒服の女――エイジア――の胸があったのだ。さぞ驚いたことだろう。
「ずいぶん楽しそうですね。私も混ぜてくださいよ」
エイジアは胸もとにいるテツヤに目もくれず、冷たい瞳をハアトに向けながら言った。ハアトとエイジアの間には場に不釣り合いな緊張感が流れているが、どちらかというとハアトが劣勢のようだ。テツヤは一度のどを鳴らし、二人の目線を遮るように立ち上がった。
「ハアトさんの知り合いですか? 僕テツヤっていいます。良かったらここ座ってください」
そう言ってテツヤはてきぱきと空いている隣の席へと案内し始めた。エイジアの言葉を額面通り受け取ったのか、それとも気をつかってピエロになっているのか、二人にはまだわからない。ただひとつ間違いないのは、慌てて席を用意している際、となりの席のメニュー表を落としてしまったのは天然の賜物だった。
エイジアは大人しく与えられた席――テツヤの隣――に腰をおろし、そそくさとやって来た店員にウーロン茶を注文した。そして斜向かいに座るハアトをじっと睨みつける。先ほどまで机の上にあったハアトの両手が、今では彼の膝の上で澄まし顔をしているようだ。
「いつ……というより、どうしてこちらへ?」
恐る恐る質問をするハアトの背筋は伸びている。一方、エイジアは表情を緩め、つぼみが開いたような温かみのある笑顔でこう答えた。
「言わないとわかりませんか?」
さすがのテツヤも唇が切れるような空気を肌で感じとったのか、ビールに向けて伸ばしていた手を引っ込めてしまった。今に至っては存在感すら引っ込めようとしている。
相方のハアトも「いや……そうですね……」と目を泳がせながら、数日分の冷や汗を流していた。彼は日本に来てから楽しいことが続いていたが、ここにきて酔いの代わりにツケが回ってきたようだ。
「僕を迎えにきたんですね……でもどうしてわざわざエイジアが? 現世に来るだけなら案内係でなくても良いはずなのに」
エイジアは隣に座る男を一目確認し、ハアトへと向き直る。
「イレギュラー対応です。彼の対処には私が適任だとアイビイが判断しました。まったくもって面倒くさい話です」
「まさかテツヤさんを? 今この場から?」
その言葉を聞いたハアトは何かに感づいた様子で、思わず断片的な形式で質問を繰り返してしまう。エイジアは店員から受け取ったウーロン茶を口にし、深くため息をついていた。まるで彼女の愚痴を聞くために開かれた会食のようだ。
「私だって波風立てずに事を運びたいのです。しかし、あなたたちは仲良くなりすぎました。元に戻すしかありません。アイビイでなくても、私だってそう思います」
具体的な単語が次々と出てくるものの、いまいち線がつながらない会話に挟まれていたテツヤが、ようやく存在の輪郭を取り戻し始めた。
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