8 ~I'll be back~

 二人は状況がのみ込めずにいた。燦々と照りつける太陽も、意地悪く吹いていた風も、なにもかもが――――先ほどまで当たり前のようにあった何もかもが無くなったのだ。代わりに視界を占めたのは、つかみどころのない中途半端な色相の世界だった。


 そして、ブラックスーツを着た大勢の人。突如現れた二人に、皆も混乱している様子だった。周囲がざわめく中、胸もとに金色のチェーンを、そして目もとには眼鏡を光らせた男が二人のもとへ近づいていく。


「日本人ですね? 係はだれですか?」


 突然の疑問符。いまだ状況を理解できていない二人は答えられない。


 この男が現れたことで何かが変わったのか、周囲はざわめきながらも先ほどとは色合いが違うようだ。二人を見つけた驚きから日常の喧噪へと、彼らの通常運転を取り戻したようである。


「誰に案内されてやってきたのかと訊いています」


 男がもう一歩近づき、ようやくダイチは意識を覚ます。


「サヤカ、離れるなよ」


 ダイチは脚を震わせながらサヤカを引き寄せる。サヤカも怯えきった様子で、彼の腕をつかむ指先が白く染まっている。


「おや?」


 男は足もとに落ちているものを拾う。それは二人が持っていた懐中時計だった。


「これは……」


 拾い上げた懐中時計を造作もなく開く。なにをどうしても真の姿を見せなかった時計が、この男の手によっていとも簡単に開けられた。二人は今も男の挙動から目を離すことができないままだ。


「ハアトのものですね。どうしてここに? ん?」


 男はもう一度二人に目をやり、なにか違和感を覚え、胸もとから懐中時計を取り出す。ダイチが持っていたものと同じデザイン。傍から見る分には違いがまったく分からない。


 そして男は自身の時計を開き、それが光を放つと、突然の来訪者である二人の姿を観察するように見た。


「……あなたたちは死亡してここに来たわけではありませんね」


 どうして今この状況になっているのかも、ここがどこで自分たちがどうなったのかも解らない二人にとって、男の発言は許容量を超えるに十分だった。


「それ以上、近づかないでください」


 サヤカがダイチに隠れながら全身を絞って出した声量は、残念ながら蚊の羽音程度だった。それはこの状況では無理もないことだった。


「こ、ここは何なんですか?」


 ダイチもなんとか頭を整理しようと、震えながらも男に語りかける。


「まず私の質問に答えてください。ご心配なさらず、なにも危害を加えません。そんなことをして仕事が増えるのは我々なのです」


 男は自身の懐中時計を胸にしまい、二人と話のしやすい距離まで歩み寄る。その手にはハアトの時計が握られたままだ。


「初めに、ここはルート機関です。そして私は入国案内係をしているアイビイと申します」


 先ほどよりかはある程度の穏やかさを含ませた男の声色で、冷水に浸かったようだった二人の体温が上昇していく。


「ルート機関って――――

「質問をするのは私です」


 ルートについて、機関について質問をしようとしたダイチだったが、とげが抜けた代わりに切れ味の増した男――改めアイビイ――の雰囲気に気圧されてしまった。


「さて、この時計をどこで手に入れましたか? 持ち主は?」


 二人の日曜日は、奇妙なかたちで幕をあけた。

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