4 ~小さな島のあなたのもとへ~
「――――ふぅ。無事に到着したようですね」
目的地である日本、そしてここは東京都。
ルートとは違う狂気的な陽ざし、めまいがするほど遠く青い空。現地時間でおよそ三十年ぶりの日本に彼は降り立った。以前よりも密度を増した高々とそびえる建物たちに気圧されながら、久々の日本に目を配る。ハアトの胸はこらえきれない高揚感で満ちていた。
町行く人々は皆、軽やかな服装で、道なりに立ち並ぶ木々にはみずみずしい葉がなっていた。どうやら季節は夏らしい。ブラックスーツに身を固めたハアトは景色から浮きだって見える。
「あついですね。夏……ですね。さて、遊ぶ前に仕事をしますか――――ん?」
胸もとのポケットに手をいれたところで、ハアトの動きは急にぎこちなくなる。
「あれ?」
季節から浮き出た容姿、人波に逆らい立ち止まったままの彼は、やがて完全に動きを止めてしまった。誰の目にも留まらないパントマイマーのように。
「…………ない」
こめかみを伝う汗は夏のせいではない。なぜならその汗はとても冷たいものだったから。
「――――時計がない」
辺り一帯を手当たり次第に探してみる。落としたはずだと、到着してから動いていないのだからと……。それほど散らかっていない大通り沿い、ましてや到着早々に紛失するなんて笑い話にもならない。
地面にへばりつくようにして懐中時計を探す明るい髪色の黒ずくめを、さすがに不審がる人たちが出てきた。
「なにか落としものですか? てか、日本語通じます?」
汗をかきながら時計を探すハアトの背中に、シズエさんと同い年くらい――二十歳前後――の男性が困惑気味に声をかけた。少しだけ声が上擦っているが仕方がない。なにせ黒づくめの外国人が四つん這いになっているのだから。
「ご丁寧にありがとうございます。日本語は使えますよ。実はですね、大事な時計を落としてしまいまして、大変困っているところだったんです」
「ああ、そうですか。じゃあ一緒に探しますよ」
親切な若者が加わったことで、「なんやなんや」「あの白人さんの?」「ほなこっち探すわ」「どんなやつ? だれか聞いてや、英語できへんねん」と次々に人が集まってきた。ハアトは人々の温もりに感謝をしつつ、皆の様子に違和感を覚えずにいられない。
たまらずハアトは顔を上げ、率直な疑問を口にした。
「あの、みなさん親切にありがとうございます。とても感激しています。ちなみにですが、僕は渋谷に来たつもりなんですけど、ここは……どこですか?」
その瞬間、皆の顔が一斉にハアトへ向いた。口火をきったのは最初に声をかけてくれた若者だった。
「……ここ大阪ですよ」
すでに四つん這いだったハアトは、これ以上崩れることのないひざから崩れ落ちたような気分だった。時計を無くしただけでなく、目的地まで間違えていたのだ。
「そんな……ちゃんと東京都に合わせたはず……」
「あかんな。見つからへんわ」
「ちょっとすいません。ぼくもこれ以上は時間が……」
ぶつぶつと呪文を唱えだしたかのように放心するハアトをしり目に、一人また一人と捜索活動を打ち切ってしまった。最後まで残ってくれたのは、やはり先ほどの若い男性だった。
「すいません。どうも見つからないようですね。……大丈夫ですか?」
「――――はぁ。大丈夫です。ありがとうございました」
とはいえ、ハアトはあの時計がなければ仕事にもならない。観念したように立ち上がった。
仕事ができないことに落胆しつつも、とくに困り果てることもなかった。というのも、このまま時計が見つからず丸二日が経過すれば、自動的に時計だけがルートに帰還する。その際ハアトが不在となれば機関が彼を探し、迎えにくるはずだからだ。
「しばらくはぶらぶらしながら探します。それよりも、この辺りのことをもっと知りたいですね。良かったら案内してもらえませんか?」
・・・・・・
その頃、遠く離れた東京都では、道端にきらきらと、しかし誰の道筋も邪魔をしないようにひっそりと、真鍮のような肌を露出した懐中時計が落ちていた。
「なにこれ。かっこいい」
そんな小さな懐中時計を拾いあげたのは、学制服に身を包んだ一人の男子だった。
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