3 ~現物調査の本音と建前~

 ハアトは胸ポケットから小さな手帳を取り出し、目を輝かせていた。


「え、なんだって……?」


 対照に眉をひそめ、信じられないといったシズエの表情は渋いものだった。


「ですから、日本への現物調査が決まったんですよ。イエイイエイ」


「……」


「あれ? シズエさん? 興味深くないですか? 故郷の近況が知れますよ。何年かぶりですよ」


 ハアトは半ば放心状態のシズエを置きざり、手帳のページをめくりながら「渋谷、池袋、上野……」と調査地のおさらいをしている。彼の目的地は東京都らしい。


「それって……現物調査って、マーキングのことでしょ?」


「んん? ややこしいですね。せっかく日本語で会話をしているのに、どうして横文字を加えてくるんですか? まあ、そういった面もありますけど」


 機関が定期的に行う現物調査とは、様々な目的があるが、概ねは老衰を除く死期が近い人物や服役者として優れた仕事をしてくれるであろう人材に、あらかじめ目星をつけておくものである。


 たとえば「死刑囚」や「病に伏している若者」たちが主な対象だ。


 この取り組みも比較的新しいもので、目的は入国者の生前調査を事前にしておいて審査を簡略化するというのが建前だ。しかし、実態はどうだろう。現物調査の名目のもと現世で遊びまわり、目星をつけていた人物が実はまだまだ長生きしたなんてことも多々ある。それに、結局は機関長が審査をし、判決を下すことに変わりはないため、目星をつけていた人物がたまたま入国した際にほんの少し審査が速くなった程度だった。


「何度か行ってますが、僕は日本が好きなんですよね。四季折々の風景を演出する気概、指揮者でもいるかのように足並みをそろえた人々の動線。この国も少しは見習ってほしいものです」


 殺風景な空のした、アイボリー調の国を見まわしながら言うハアトは、どこか恍惚としている。その言葉は本音だろうけど、なにか皮肉を隠しているような言い方だった。


「それになんといっても和食が美味しいです。僕はあれが食べたいがために毎回、調査申請書に日本を第一に書いているんですよ――――聞いてます?」


 心は戻ってきたようだが、いまだ浮かない顔をしているシズエ。何のことを考えているかが判別しづらい様子だ。


「……聞いてたけど。やっぱり人が死ぬって辛いんだよね。ましてや日本人だなんて。仕方がないことだけど、もやもやするんだよね」


「その気持ちはよくわかります。僕だって元々は生きていた人間ですからね。今だってこの立場を除けばシズエさんと何も変わりませんよ」


 誰もが忘れそうな事実だが、機関で働く人も程度の差はあれど元は悪人。生前の事情により懲役を科され機関にいるのだ。悪人が悪人を裁く世界……これもまた皮肉な話だ。


「で? いついくの? あんたがいない間のニュースを先行配信しておきなよ。私が退屈しないように」


 ハアトが面白い顔をしている。眉をよせた額からすぼめた口もとにかけて、顔全体でひし形を描いている。ニュースの先行配信をせがまれるとは思っていなかったようだ。


「まことに恐れ入りますが……これから出発です。シズエさんには報告しておこうと思い、声をかけたんです。あ、ちなみに現地時間で四十八時間滞在の予定です」


 言うやいなや、ハアトに――いや、彼の胸もとに温かな光が灯る。その瞬間「では、時間です」とだけ言い残し、忽然と姿を消してしまった。


「あっ――――ちょっと」


 シズエの声は……おそらく彼の耳には届いていないだろう。


 ハアトは胸の高まりを携え、特別な想いをよせる日本へと旅立った。

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