2 ~ハアトステイション~

「あ、ハアト。こんにちは。……こんばんはかな」


 彼女――改めシズエ――は声の主である華奢な男を確認し、曖昧な挨拶を返していた。


 ハアトはいつも通りブラックスーツに身を包み、懐中時計を取り出す。


「シズエさんの故郷でいうとですね……えーっと、今は夜ですね。午後十一時です」


 シズエだけでなく、誰に対してもまず時間を知らせるようにしている。たとえ一時的な時間の教示でも、この国に滞在する人々にとっては大事な習慣だった。


 時間の概念が無いこの国では、皆が生前の故郷に体内時計を合わせている。しかし、あまりにも長い時間をルートで過ごしていることにより、時間の感覚が無くなってしまう者が後を絶たない。服役者も同様である。


 だからこうして、機関の入国案内係である彼らが、逐一こえを掛けながら時間を知らせている。とはいえ毎日ではないうえに、本音のところはコミュニケーションをとりたいだけとも取れる。


 今、シズエの故郷――日本――は真夜中だそうだ。シズエには見ることが叶わないが、夜空から見るとさぞ煌びやかに輪郭を縁取っていることだろう。


「それにしても働き者ですね。シズエさんの故郷の人たちは」


 会話もほどほどに、シズエは方々に目を配り、どこで暇をつぶそうかと次の店を探している。酔いも回らなければ、腹もすかない。最初は生前の癖で規則的に眠りに落ちていたが、慣れてしまった今では眠気がくることもない。


 そのかわりにやることもないのだ。懲役を科されているわけでもないシズエは、ただただ成仏通知を待つだけの不毛な朴念仁である。来世で生を謳歌するはずが、服役者に娯楽を与えられているなんて皮肉な話だ。


「この人たちが機関に入ってくれたら僕たちも楽になりそうだな。あ、逆かな。相対的に僕たちがサボってるって思われる恐れがありますね」


「実際サボってんじゃん」


 図星をつかれたハアトは、パチンと不思議な懐中時計をたたみながら、苦い顔をする。


「……それって今の僕の状況を言ってます? それとも通知の遅れ?」


「まあ、どっちもね」


 成仏通知――――というより、判決自体が遅れていることに対する人々の不満は、当然機関にも伝わっている。ただでさえ生真面目な機関長は不満へのストレスを抱えながらも、一向に手を抜くことなく各入国者の審査を進めている。


 機関長は決して仕事が遅いわけではない。いかんせん老衰以外の入国者が増えていることが原因の一つだ。とくにシズエの故郷である日本では不合理な理由での死者が増えている。


 現在ハアトは入国案内係に従事しているが、機関長が手を抜いても構わないと考えている。機関長に負けず劣らずに真面目な彼がそう思うほど、大量の保留者が生まれているのだ。というのも、大量の保留者が国に蔓延ることによる二次的な問題があった。


 それは、犯罪者が懲役を科されずに、成仏を待つ人に混ざって生活をしていることである。


 これは実際にあった話で、以前シズエ以外の保留者からハアトにひとつの相談があった。やはり真っ当に生き、不運にも事故死をしてしまった人にすれば、元犯罪者と共に生活をするというのは、たとえ死ぬ心配が無くても気持ちは良くないらしい。


 その相談事を誰かに聞かれてしまったのか、後日、相談者が複数人に暴行を受ける事件が発生した。この国で生活をする以上、どちらにも傷一つ付かないわけだが、被害者の精神的な苦痛までは拭い去ることができなかった。結局、加害者集団には機関での裏方業務を科し、被害者は特例で成仏通知を発行後、速やかに転生してもらった。


 ハアトは悔いていた。


 たとえ元犯罪者で、判決の結果懲役を科されることになろうとも、この国で生活をしている間は一個人として真っ当に生活をしてもらいたい。そのためには、日頃からコミュニケーションをとることが、彼らに寄り添う第一歩だったんじゃないかと。


 それからである。保留者とこうして慣れ慣れしさも漂うような間柄を築きだした。


「――――ねえ、聞いてる?」


「……っ、すみません。少し考え事を」


「いいけど、で? 今日はどんなニュースがあるの?」


 シズエは日頃からハアトのニュースを楽しみにしている。この国において、新しい情報ほど胸が躍ることはないからだ。


「それなんですけどね。なんと、シズエさんの故郷へ現物調査に行くことが決まりました」

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