死後の国 ルート

白川迷子

第一章

1 ~ここは死後の国「ルート」~

「はやく成仏したいんですけど」


 まだ若さあふれる女性がカウンターに身を預け、その身なりに不釣り合いなセリフを口にする。


「僕に言われてもね……」


 慣れた手つきでグラスを磨きながら対応する男は、手もとに目を向けたまま愛想笑いを浮かべている。彼の鼻から出るため息は、何度も繰り返された一連の流れに飽き飽きとした心を表しているようだった。


「おじいちゃんおばあちゃんはすぐに成仏してたじゃん。なんでこんなに遅いんだよ」


 いくら飲んでも酔うことがない。いくら飲んでも財布は痛まない。そもそも彼女は財布を持っていない。正確には、ここでは金銭のやり取りが行なわれていない。



 ここは死後の国ルート。


 死者が最初に目を覚ます場所。そして今後の行き先を決める中間地点。


 そんな国で今、問題が起きている。


 いまだ届かない成仏通知。



 死亡した際の記憶と魂だけが入国し、「機関」で当時の体格、服装を再構築する。通常であればそのまま機関が判決を下し、成仏し転生、もしくは残留し懲役となるはずなのだが……。


 彼女が入国した当時、制度の改定があったばかりで、「老衰以外は保留とする」という文言のみで機関長は姿を消してしまった。有り体に説明すれば「判決を下す機関長は多忙で、ややこしい変死や事故による突然死は審査に時間が掛かり面倒くさい」ということだ。現に彼女以前にも保留のまま時を待っている者がたくさんいた。


 そもそもどうして機関長は忙しいのか、彼女の不満につながるそれこそが、この国の問題である。ここで簡単な歴史を交えて説明する。




・・・・・・




 彼女が入国するずっと以前。この国はまだ『国』という体を成さず、機関も慣習にそって死因、生前の行ないを見る程度の『保安検査場』のようなものだった。前科のある者や、精神的に問題のある者には口頭注意により来世の成功を促す程度であり、半ばフリーパス状態だったのだ。


 そのような状態でどんどん死者を捌いていった結果は……説明するまでもない。


 当時の機関長は現状改善のため、四人の判決官を選定し、判決を彼らに任せ、自らは最終確認とイレギュラー対応を主な業務とすることにした。もっとも、イレギュラー対応を求められたことは長い歴史上でも数える程である。最後の事例は「妊婦が大量殺人を犯した後に自殺したが、母子一体と考えた場合、胎児の審判はどうする」だった。その時も「そんなもの母は懲役、子は転生に決まっている」と一笑に付されただけだったが。


 この時の機関長の短絡的な物言いが良くなかった。それを見た四人の判決官は、これまで生真面目に取り組んでいたにも関わらず「そこまで気負わなくても良い」と、ただ一人――後ほど機関長を継ぐ者――を除いてそう解釈してしまったのだ。


 判決官は皆、それぞれの裁量で入国者の審査に取り掛かり、勝手な根拠で判決を下していた。この状況は表立って問題になることがなく、しばらくの間は『四人の判決官とトップの機関長』という形態でルートは安定した運営を続けていた……かに思えた。


 しかし、悪意が無くとも噛み合わない歯車はやがて軋みだすものである。


 歯車を止めたのは本当に偶然だった。


 長らく務めていた機関長の退任及び成仏が決まったのだ。機関長も他の服役者同様、懲役により機関長の座に就いていただけだった。


 それにより新たな機関長に、当時四人の中でも際立って真面目で、丁寧に審査をしていた判決官が、前機関長の推薦を受けて着任した。彼は現在も機関長である。


 そして、新たな機関長と新たな判決官を迎えた新体制での最初の業務で、新機関長は腰が抜けるほどの衝撃を受けることになる。


 四人の審査に一定の基準が無いうえ、低い水準で成仏判定を下していることだった。もっと踏み込んで述べるなら、新たに加わった判決官――ハアト――以外の古参三人は、各々の好みや私見だらけの判決文を添えている始末。


 ――――いったいいつから……いつからこんな状態に。


 新機関長はひどく後悔した。現役時代の自身にも落ち度はあったかもしれない。でもこの体制になってから、手を抜くことは一度もなかったと自負していた。なのにこの立場になるまで知りもしなかった、考えてもいなかった状況。


 新機関長はその後、彼らへの指導や基準の明確化、ほか様々な試行錯誤の末、以前と同じ体制に戻そうと。『判決の一元化』へと大きく舵を切った。


 それから保留者は増え続け、従前の服役者と合わさって大きな国になったのである。


 バーで飲んだくれて愚痴を漏らす彼女が入国するのは、その少し後の話。




・・・・・・




 誰もが宵越しの銭を持たないこの国で、彼女は行き先の分からない不安と、アルコールに満足できない現状への苛立ちを募らせていた。


「どうせ他の店でも同じような愚痴を吐いてんでしょ」


「愚痴って……まあいいや」


 若い女性は、お返しと言わんばかりのため息に文句を乗せて、カウンターをあとにする。バーとしての体裁だけを保つその店は、彼女の背中を明るい笑顔で見送っていた。


「ありがとうございました。またお越しください」


「今すぐにでも消えてしまいたいんだけどね。……じゃあ、また」


 皮肉のきいた見送りに、不愛想な返事をするのもこれが初めてじゃない。彼女が玄関扉に手をかけ、ラッチが外れる音とともに、視界いっぱいに中性的な明度が覆う。


 出どころのわからない光に包まれたこの世界は、四六時中アイボリーに染まっている。もっとも四六時中なんて言ったところで、ここでは固有の時間概念もなければ、この色も気まぐれに昼光色から電球色まで様相を変える。「アイボリー」でまとめてしまうのが一番曖昧で、一番わかりやすいのだ。


 だらだらと文句を垂れる彼女以外にも、自身の行き先がわからないだけでなく、いつその時が訪れるのかもわからずにヤキモキしている人は大勢いる。


「シズエさん。おつかれさまです」


 彼女の背後から、軽やかな口調で声をかける人物がいた。

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