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 父は、苛烈な人だった。


 風貌も佇まいも物腰も、私とはまったく似ても似つかぬ人だった。彼はその点についてはまるで頓着していなかったが、息子が自分と同じように優秀な結果を残すことについては、一貫して異常な熱意と執着を示し続けた。後に長じて理解したことだが、こうした類型の強権的な男親にとって、それは非常に珍しい気質だった。息子の言外の反抗を気に留める風すらもなく、満足げに頷くか雷のような怒声を落とすかのどちらかで、息子がどう振舞うかについては固執しなかったし、関心も持っていないようだった。


 幼年期には何人もの家庭教師を雇い入れて幼児英才教育を施し、やがて私が長じると、厳格な寮生活で知られる中等学校からの名門一貫校へと放り込んだ。莫大な費用をまるで惜しむ風もなく、寸暇を惜しむように充実した教育環境に息子を置き続けたという事実には、父の激しい気性の一端が顕著にあらわれていた。なにより父は、自身の母校たる名門校の一員に息子もまた名を連ねたという、それだけのことでは決して満足しない人だった。


 父は常に、私に「一番」であることを要求した。


 父のいう「一番」とは、たとえば定期考査で学年一位となるとか、あるいはクラブ活動でキャプテンを務めたり、弁論大会で賞を取るといった、そういったこまごまと細分化されたルールや定義の範疇での「一番」を意味していたわけではなかった。

 彼の息子として最も近いところにいた近親者である私に対して、父の求める「一番」の答えは常に明確に示されていた。


 私の父が生まれた頃、父の家庭は、裕福ではあったが目立って資産家などと呼べる程度のものではなかった。私が生まれた頃とはその資産規模は比べるべくもなかったが、現在までの地位にたった一代で我が家を押し上げたのは、少年時代から一貫した父特有のバイタリティにあった。

 せいぜい中規模な事業家の息子として生まれた父は、少年時代から自ら好んで地元社会の競争主義の渦中に身を投じた。

 はたして、父の目論見は完璧に成功を収めた。

 学業では一貫してトップの成績を収め続け、フットボール・クラブでは主将にしてエース、弁論大会などは、父が首を突っ込んでは栄誉をかっさらって行ったありとあらゆる課外活動の一個に過ぎなかった。


 長じて、大学を卒業した父は家業を継ぐとその猛然たる勢いのままに事業拡大を成功させ、更に生涯を通じて輝かしい戦歴を連ねていくことになった。父がただ一箇の所謂成金に留まらず、中央にさえ名の聞こえた地元の名士として畏敬の念を集めるようになったのは、ビジネスでの成功だけが原因ではなかった。


 同窓同学の友人を含め、自身の接する人間すべてと全人的な「一番」を競って獲得する、その異常な熱意と執着こそが、父を現在の地位に押し上げたといっていい。

ありとあらゆる競争へ参加し勝利を得ることこそは、父の信じる哲学であり唯一の関心事だった。


 であるから、後継者である己の息子にも一貫して徹底した成果主義者として接し続けたことは、全く自然だった。そして、父が獲得したあらゆる種類の栄誉や賞揚の源泉であるその猛烈な姿勢こそは、だが寧ろ、最も近しい近親者として父に接した私の胸中に嫌悪と反発の種を蒔いた原因でもあった。父の苛烈さは、有りうべき私の自画像の陰画ネガの原型として、幼い私の私の胸中に既に色濃く焼き付いていた。

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