ペドロとマダムマリー

「じゃあマダム、これはここでいいかい?」


ペドロの店で約束の品を手に入れたフード姿の女性は、ペドロと共に自宅へと戻っていた。


本来であればこの家から三つほど先にある街にあったはずのキジマ魔法堂とペドロの店であったが、『女性に重たい荷物を持たせるのは性に合わない』と言ったペドロが、自分の店で商品を買ってくれたお礼にと魔法で家まで送り届けてくれた。


その魔法はペドロが差し出した手を掴んだ途端に辺りが一瞬で紫色の煙に包まれ、気がついた頃には自分の家のリビングにいたといった具合だったのだが、彼女自身も一体なぜここに自分が戻って来ているのか正直な所、今でもなかなか理解が出来ずにいた。


…これもきっと何かの魔法道具による効果なのだろう…


女性は相変わらずペドロの使ったこの移動方法について不思議に思っていたが、それよりもその移動方法があまりにも素晴らしかったので、今から自分が彼に与えてもらう魔法道具の効果もきっとものすごいものだろうと、その方に期待で胸が膨らんでしまっていた。


「…私の名前はマリーよ。マリー・シュタイン。」


ここに来てやっと彼女はペドロに対して自己紹介を済ませる事が出来た。


「それではマダムマリー、これはここに置いておくよ。」


そう言ってペドロはリビングのロッキングチェアのそばに大きな鉢植えをそっと置いた。


「…綺麗な花ね。」


ペドロが床へと置いた鉢植えにそっと瞳を落としたマリーはポツリとそう呟いた。


ペドロが置いたその鉢植えには水色の小さな花が満開に咲き誇っている。


…こんな風に素直に花を綺麗だと思えたのはいつぶりだろうか…


彼女の頭の中を、そっとそんな言葉が横切った。


「この花の名前はワスレソウ。文字通り忘れたい事を忘れさせてくれるよ。」


ペドロのそんな言葉に、マリーは腰を低くするとその花が匂いを実際に嗅いでみた。


ワスレソウの匂いは甘く、そしてその香りを少し嗅ぐだけで本当に心がすっと晴れ渡っていくような気がした。


「あまり直接匂いを嗅ぐのはオススメしないね。その花の匂いを嗅ぎすぎると色々ぶっ飛んじゃうからね。…忘れたくないモノも含めて、ね。」


そう言って自分の指をまるで銃のような形にして自分のこめかみの横で構えて見せるペドロ。


その際にニヤリと笑った彼の笑顔はどこか冷たくて、そしてそのあどけない表情の中にもどこかずる賢さが強く見え隠れしていた。


「ところで…マダムマリーは一体、何をそんなに忘れたいと思っているの?」


ペドロのその言葉に、マリーは少し遠い目をしながらこう答えた。


「…忘れたいのはそうね、ここにある全てよ。」


そう言って部屋の中央で両手を広げて見せるマリー。


一見優しく微笑んだようにみえる彼女の表情もまた、その瞳に深い憂いが残されれていた。


「…ふぅん、全てねぇ〜…嫌な事は全て忘れちゃいたいっていう口かな?じゃあもう一個置いておくよ。二株あれば大抵の事は忘れられるからね。」


そう言ってペドロは自分の被っていたシルクハットを手に取ると、その帽子の中からもう一つの鉢植えを取り出した。


「…とりあえずワスレソウをここに置いておけば一番根強く残っている記憶から順番に消えていくよ。人の一番浅い部分に根強く残っているのは大体怒りの感情に連結する記憶だからね。人間というのはとかく今自分に与えられている幸せよりも、近くにある怒りに左右されやすい生き物だからね。ワスレソウはまずそういった記憶から順番に消し去ってくれる。」


そう言って二株目の鉢植えも、ロッキングチェアの横へと並べたペドロは一株目と同じく満開となっているワスレソウの小さな花に優しく触れながら言葉を続けた。


「だけどこれを使うに当たっては、いくつかの注意点がある。一つは定期的に換気をすること。マダムマリーももう気がついてる頃だと思うけど、なんせこの匂いだからね。この匂いをずっと部屋に充満させてると、忘れたくはない別の大切な記憶まで消し飛んじゃう。」


そう言ってその言葉に合わせながら右手の人差し指を立てたペドロは、今度は中指も広げながら言葉を続けた。


「二つ目は夜になったら必ず上からこの袋をかぶせておく事。それは寝ている時に匂いが充満するのを防ぐのと、このワスレソウは月の光に当てるとちょっとマズイ。」


「マズいっていうのは…?」


ペドロのその言葉に、思わずマリーが眉をひそめる。


「このワスレソウは月の光で成長するんだ。だから夜は必ず袋をかぶせておかなきゃならない。もし可能であればカーテンも閉めておいた方がいいね。これ以上花が満開になってしまったら、それこそ自分が自分でなくなってしまう。」


そう言って着ているスーツの胸元からペドロが取り出したのは、紺色の布だった。


「あと、必ず鉢植えからは絶対に抜いたりしない事。もし処分したい時は僕に言うか鉢ごと燃やすさないといけないよ。このワスレソウっていう植物はすぐ根付いてしまうからね。この家の庭みたいな土壌のいい土なら尚更だ。だから決して土に植えたりしてはいけない。そんな事をしてしまったら、あっという間に増えて、手がつけられなくなっちゃう。」


そう言って窓の外を眺めるペドロ。

窓の外には、マリーが育てたであろう植物が畑いっぱいに広がっていた。


「…まぁそれらの事に気をつけて使ってくれればなんの問題もないよ。薬だってそうだろ?用法・用量はきちんと守ってね、って。…あ、そうだ。はいこれ。」


そう言ってペドロは自分の服の胸元から一枚の封筒を取り出した。


「さっきオーリーンから突然僕宛にことづけが来てね。これをあなたに渡してってさ。」


そう言ってペドロが手渡してきた封筒の中には三枚の赤い葉っぱが入っていた。


その乾いた赤い葉っぱはどれもピンっと伸ばされていたが、その葉の表面はとても脆く、少しでも力を込めて握ってしまえばすぐにでも粉々になってしまいそうなほどだった。


「…なるほどね。それはワスレズの葉っぱだよ。もし忘れてしまった事でもこれを手ですり潰して口の中に含んでしまえば、全て思い出すことができる。それ、最近ではあまり採れない貴重なものなんだけどね。それを三枚もよこすだなんて…太っ腹な事をするもんだね、オーリーンも。…じゃあ僕はそろそろ行くよ。それではマダムマリー、良い夢を。」


そう言ってシルクハットを脱いだペドロはマリーに向かって深くお辞儀をすると、再び煙の中へと包まれて行ったのだった。


その夜、ベッドの中で眠りから覚めたマリーはふとワスレソウの鉢植えに目を向けた。


ベッド横の窓からは、青白い月の光が部屋の中へと差し込んで来ている。


ベッドの上で身を起こしたマリーはふと窓の

外の大きな満月に目を向けると、そのまま布団の中を静かに抜け出し、そしてゆっくりとワスレソウの鉢植えの方へと移動した。


二株のワスレソウの鉢植えには、きちんとペドロに言われた通り例の紺色の布袋が被せられている。


マリーはしばらくその鉢植えを静かに眺めていたが、突然その表情を険しいものへと変えると、そのまま勢いよくワスレソウの上の袋を外したのだった。


      ◇◇◇


『…コルク…ナカナカ帰ッテ来ないネ…』


カウンターの中にある止まり木に止まったまま、自分の自慢の羽を嘴で丁寧に整えながらポトフがそう呟いた。


羽根を整い終えたポトフの視線の先には、例の少女の姿が映っている。


少女は相変わらず、いつものソファーの上で両腕を組みながらまだ見ぬコルクの帰りを

待っていた。


『…アノ子もスゴイヨネ。チャント毎日コノ店に通って来テサ。アレカラモウ1週間以上モ経つってイウノニ。』


ポトフのそんな言葉に、オーナーも思わずイザベラの方へと目を向ける。


当のイザベラは、相変わらず両腕を胸元で組んだまま、じっと店の入り口の方を凝視していた。


彼女は初めてこの店を訪れたあの日から、近くの宿屋に連日泊まり込み、毎日このキジマ魔法堂に通って来ては、朝から日没までをここで過ごしていた。


「…毎日ここに通って来るのは大変じゃないかい?コルクは仕事の都合でいつ帰って来れるか分からないから、良かったら別の魔法商人がいる店を紹介するけど…?」


オーナーはそんなイザベラの元へと紅茶の入ったカップを運びながらそう声をかけた。


オーナーの骨ばった…というよりも骨だけで形成されたその細長い指元から離れたカップは、机の上に置かれると同時に赤橙色の液体をゆっくりと揺らしていた。


オーナーのその言葉に、イライザは少し俯きながらこう答えた。


「…じゃあ私にも…あのペドロって人を紹介して下さい。」


俯きながらそう言ったイライザの膝の上で、強く握られた両手が微かに震えている。


「…それは…出来ないな。」


イライザの言葉に、オーナーは困った様子で自分の頭蓋骨を掻きむしりながらそう答えた。


「…どうしてですか!そもそも私とあの女性ヒトとでは何が違うんですか!覚悟違うって…一体どういう意味なんですか!?私だって…私だって本当に困ってるのに…!」


そう言ってテーブルを強く叩いてからその場に立ち上がったイザベラは、そのまま涙ぐみながらオーナーの元へと詰め寄って行った。


「…知ってる。」


そんな彼女の強い気迫に、オーナーの口からはそう小さな言葉が溢れ落ちた。


「…え?」


オーナーの意外な反応に、思わずイザベラの動きが止まる。


「君は君で相当悩んでる。それはもちろん分かっているんだ。じゃなきゃそもそもこの店になんて辿り着いていないよ。」


そう言って羽織っている白衣の胸ポケットからタバコを取り出したオーナーは、小さな石を打ち鳴らして火をつけると自分の口元へと運んだ。


タバコの煙がガイコツであるオーナーの目のくぼみや鼻から絶え間なくモクモクと溢れだしては宙に浮かんでいる。


イザベラは風に揺られて舞い上がるその煙を眺めながらこう答えた。


「…だったら…どうして私よりもあの人の事を優先したんですか。」


その言葉を吐き出すと同時にイザベラの表情が再び微かに歪んだ。


「…じゃあ逆に聞くけど、君はそもそもこの店の事を一体どうやって知ったんだい?」


そんなイザベラの様子に気づいたオーナーが近くの棚にもたれかかりながら彼女に優しく目を向ける。


オーナーから突然投げかけられたその質問に、イザベラは少しずつ自分の思いを語りはじめた。


「この店自体のことは知りませんでした。でも昔この世界には魔法商人という職業があって、困った人の事を助けてくれるって本で読んだ事があったんです。それを思い出したから…いても経ってもいられなくなって、そのまま飛び出して来たんです。もちろん、途中で色んな人にこのお店の情報を聞いたりもしましたが…」


そう言ってゆっくりと周りを見渡すイザベラ。


この店の光景はまさに、イザベラが読んだ本の描写にとてもそっくりだった。


「君のいう通り、昔に比べて確かに魔法商人の数はかなり減ってはきたものの、まだまだこの世の中には沢山の魔法商人や魔法道具を扱う店が存在しているんだ。…この店に来る途中に小さな路地があっただろ?もしかすると普段の君だったら、あんな小さな路地、気にも留めずに通りすぎていたかもしれない。でも、ここにちゃんと辿りつけたって事は、本当に君が心から困っていて、そしてこの店に縁があったっていう事なんだ。それと同じようにあのマダムはペドロと縁が繋がっていた。ただそれだけの事だよ。」


そこまで話すと、オーナーはテーブルの上にあったカエルの置物の口を開いた。


カエルの口の中には既に沢山のタバコの吸い殻が入っていて、オーナーはその中に自分が今まで吸っていたはずのタバコを静かに押しつけた。


ずっと小物入れだと思っていたそれは、どうやらオーナーの灰皿であったらしい。


オーナーが口を閉じたカエルの置物の美しさに思わず目が止まる。


「…君はきっとこの店に来た事で何かが得られる。その為に君はここに来たんだ。俺はそう思うけどね。」


そう言ってオーナーは、先程まで自分がもたれかかっていた本棚から一冊の本を取り出すと、そのままイザベラへと手渡した。


「…この本…!」


手渡されたその本を手にした瞬間、思わずイザベラの口から小さな声が溢れた。


タイトルも何も記載されていない古びたその本は、驚くべき事にイザベラの家にあった本と全く同じ代物であったのだ。


その本を懐かしそうな表情でゆっくりとめくってゆくイザベラの事を眺めながら、オーナーはさらに言葉を続けた。


「…でもこの連日、ここで待っている君の姿を見てるとなんだかいたたまれなくってね。だからコルクの代わりにペドロとは違う魔法商人を紹介してあげようかと思ってたんだけど…」


オーナーがそこまで言った瞬間———…


…カランカラン…


突然店の扉が開き一人の少年が中へと入って来た。


その少年は透けるような白い肌をしており、あまり見た事のない模様のターバンを頭に巻きつけていた。


年の頃ならイザベラと同じくらいだろうか。


それにしても彼のひどく疲れ切ったようなその表情がかなり気になる。


『ア!コルクが帰ッテ来タヨ!オカエリナサイ、コルク!』


その少年の姿を見つけたポトフは止まり木の上で大きく翼を羽ばたかせながら、嬉しそうな声をあげた。


…この人がコルク…


ポトフのその言葉に、イザベラは自分の横を通り過ぎてゆくその少年の姿を静かに見守っていた。


「随分と遅かったね。」


オーナーのその言葉に、コルクは相変わらず止まり木の上で嬉しそうに羽をバタつかせているポトフの喉元を、人差し指でそっと撫でながら彼の事をなだめると、肩から下げていた大きな鞄をカウンターの上に乗せながらこう答えた。


「方向音痴のリーダーが組んでいるパーティーに参加していましてね、思いのほか時間がかかってしまいました。」


「それは災難だったね。」


カウンターに置いた自分の鞄を探りながらそう話すコルクに向かって、オーナーが少し笑いながらそう答えた。


「でもおかげで…良いものが手に入りましたよ。」


そう言ってコルクが鞄の中から取り出したのは、大きな氷の塊だった。


それはどう考えてもコルクが持って帰った鞄の中にはとても収まりそうにないくらいに大きな氷であったのだが、イザベラはこの時、直感的にこれもコルクの持つ魔法道具の力なのだろうと勝手に解釈をしていた。


きっと先程の火を起こす小さな石や、このしゃべるガイコツのオーナー、そして昔無くしてしまったはずのこの本が出てきたように、この店の中にはまだまだ自分の知らない不思議な事が沢山詰まっているんだとイザベラは期待に胸を膨らませていた。


…あの氷には、一体どんな魔法が込められているんだろう…


そんな事を思ったイザベラが、ちらりとその氷に目を向けたその瞬間————…


…ひっ…


思わずイザベラの口から小さな声が漏れた。


それもそのはず…


一見普通の氷の塊のように見えてたそれだったが、よく見るとその氷の中にはオーナーの頭蓋骨と変わらないくらいの大きさの肉片が閉じ込められていた。


「…ほう…これはまた立派な…」


コルクが差し出した氷の塊を、顎に手をやりながらまじまじと眺めはじめるオーナー。


その肉片は氷で閉じ込められているというにも関わらず妙に赤々しく、心なしか定期的に脈打っているかのようにも見える。


「…この大きさにこの形状…そして動脈の配置からみて、これはきっとデビルトラゴンの心臓だね。」


そう言って相変わらず興味深そうにその氷の塊を眺めるオーナー。


「そうです。しかもこの心臓の持ち主は今では珍しい純血種のデビルドラゴンです。なるべく鮮度を保つ為にすぐに凍結石で凍らせて持って帰ってきちゃいましたが、この氷も一体いつまで持つか…」


氷の表面はすでに少しずつ溶けかけているのだろう。


ポタポタと氷の表面から滴り落ちる水滴を、コルクは近くにあった布で何度も丁寧に拭き取っていた。


「…純血種のデビルドラゴンと言えばみんなこぞってその爪や牙を欲しがるっていうのに…真っ先に心臓をえぐりとって持って帰ってくるとは…なんともコルク君らしい話だね。」


そう言ってケラケラと笑いはじめるオーナー。


その笑いに合わせて骸骨である彼の歯もカタカタと軽快に音を立てている。


「これでポトフに新鮮な増強剤が作ってあげられますからね。市販の増強剤では肉が古すぎてとにかく匂いがキツいみたいで…これで増強剤を使用する度に吐きそうになりながら食べるポトフの可哀想な姿を見なくて済む思えば、安い物ですよ。」


『…コルク…』


そんなコルクの言葉に、止まり木の上にいるポトフは瞳を潤ませながら、クルルルと小さな声で喉を鳴らした。


「とりあえずこの凍結石の効果もいつまで持つかは分からないので、オーナーの薬品で凍らせておいて下さい。」


「…了解。すぐに薬で凍らせて倉庫の奥に入れておくよ。」


そう言ってオーナーはコルクからその氷の塊を受け取ると、そのまま奥の部屋へと消えていった。


「…さて、僕はこのままひと寝入りでもするとしますか。」


そう言ってコルクはその場で軽く背伸びと欠伸を済ませると、うつらうつらとした表情を浮かべながら、イザベラのいるソファの隣ソファへと倒れ込んだ。


…どうやらコルクはまだイザベラの存在に気がついていないようだ。


『…ソウイエバ、コルクにお客サンが来テイルヨ。』


そんなコルクの様子を察してか、ポトフがコルクにそう声を掛ける。


「…勘弁して下さい。もうかれこれもう4日も寝ていないんです。接客はまた起きてから…」


そこまで言い残して、コルクはまるで力尽きたかのようにソファの上に沈んでしまった。


それを見ていたイザベラは、コルクの元へと移動すると、その寝顔を静かに覗き込んだ。


イザベラにとって初めて見るその少年は、雪のように白く、そして陶器のように艶やかな肌をしていた。


コルクのすぅっとした小さな寝息がイザベラの元へと届く。


ずっとコルクの寝顔を見つめていたイザベラだったが、目の前にあるその肌の美しさにそっと手を伸ばすと、コルクのその柔らかな頬に触れてみた。


その瞬間…


「…なんですか、このハレンチな娘さんは。」


撫でられた頬の感触に驚いて飛び起きたコルクが、すぐさまイザベラの細い腕を掴むと、なんとも不機嫌そうな表情でそう言った。


「…は…はははは…ハレンチ!?ハレンチだなんてっ!わ…私はただ…!!」


コルクのその言葉に思わず掴まれた腕を振り払うと、後退りしながら慌てて訂正をしようとするイザベラ。


「…寝ている人の頬を無断でいきなり触るなんて、ハレンチ以外の何者でもないでしょう。」


そう言ってじっとりとした眼差しをイザベラに向けるコルク。寝起きという事もあってか、その声はかなり不機嫌そうだ。


『…ソノ人が例ノお客サンだヨ。ズットコルクの帰りヲ待ッテイタンダ。』


ポトフのその言葉に、コルクはターバンの上から頭を掻きむしりながら未だにきちんと開ききらない瞳のままけだるそうな声でこう答えた。


「…お客さんねぇ…待たせていたのは大変申し訳ないですが、こうも徹夜が続いてしまうと流石に頭がまわらなさすぎて正常な判断が出来ません。だから商品の販売は僕が起きてからと言う事で…」


そう言って再びソファの上で丸くなるコルク。


「そんなぁ!」


そんなコルクの姿を見て、イザベラが小さな叫び声を上げた。


『諦めた方ガイイヨ。コウなったコルクハ、多分3日は起キナイ。』


「大変!それは困りますぅ!私ずっと困っているんです!早く助けて下さい!」


そう言って再び眠りについたコルクの胸元を両手で掴むと、ガクガクとコルクの体を揺らしながら騒ぐイザベラ。


そんなイザベラの事になど全く構う様子もなく、幸せそうな表情で眠り続けるコルク。


「大変だ!助けてくれ!!」


そんな二人の元に、突然店の扉が開かれ、血相を変えた中年男性がなだれ込むかのように店の中へと入ってきた。


その表情はかなり焦っている。


「…妻の…マリーの様子がおかしいんだ…」


その男のただならぬ雰囲気に目を覚ましたコルクは、思わずソファから身を起こしたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る