第4話4

 晩春ばんしゅん初夏しょか境目さかいめの、この季節のいろひど曖昧あいまいだ。ななめにかしいだ陽の光の中には白く輝く雲がまだまだのんびりと浮かんでいるし、空色にも一向いっこうおとろえる気配けはいがない。一日千秋いちじつせんしゅうの思いで日暮れひぐれを待つ環は、今日も白衣と千早に緋袴を身にまとい、薄化粧で嘘鳥の替え玉作戦を続行中である。

此度こたびの件、どのような見解けんかいをお持ちか。ひとつ意見をお聞かせ願いたい」

 対面たいめん話者わしゃ烏帽子狩衣えぼしかりぎぬ姿と時代錯誤じだいさくごはなはだしい形をしている。

 が、あまりに堂々どうどうとしているせいか違和感いわかんはまるで感じられない。他のやからもこのてん一致いっちしている。最初はおがみ屋というめった多にかかわることのない人々の様相ようそう物珍もんめずらしかったが、さすがにそろそろきてきた。

 この二、三日入れ替わり立ち代わり、拝み屋がひっきりなしと深町家を訪れては何やかやと探りを入れてくる。

 嘘鳥は喉を痛めて声を出せない事になっているから、連中の相手をするのはもっぱらひきである。環はもくして座っていれば良いのだから、楽と言えば楽なのだが、これがなかなかに苦行くぎょうだった。

「お疲れさまでございました」

 お重のねぎらいは、最後の客が帰っていった事を知らせる合図あいずになっている。

 ―待ってました!

 環は急ぎ千早を脱ぎ去りそこらに放り出すと、座布団ざぶとんの下に隠しておいた手ぬぐいをつかんで深町家の裏庭へ飛び出して行った。

 裏庭の先にある丈高いやぶの中を走り抜け、山裾やますそからちょっと上がった辺りに素朴そぼく造作ぞうさく四阿あずまや風の小屋が在る。正面に下げられたすだれいきおいいよくね上げると、先に居た深町が環の姿に驚愕きょうがくの表情を向けて硬直こうちょくした。

「…失敬しっけい。知っているはずなのに、本気で驚いた」深町はうつむくとざばり両手りょうてで湯をすくい、強張こわばりを洗い流す様に顔をすすいだ。ここは深町家の浴室で、勿論もちろん深町はぱだかである。「でも、環君。せめて化粧ぐらいは落としておいて欲しかった」

 一瞬であれ、環を天女の如き容貌を持った美女の出歯亀でばがめと錯覚した彼は、心底震しんそこふるえ上がったのだった。



 深町家の風呂はささやかながらも本物の出湯いでゆである。

「祖父が見つけて誰にも秘密で整備したものです。ウチの地所内ちしょないでもありますし、ここには家の者以外他の誰も来ませんよ」

 入浴用の湯壺ゆつぼから少し離れた場所に、もうひとつ小ぶりな湯壺がしつらえられている。そちらには青菜あおなったざるが浮かび、卵を入れた網袋あみぶくろが沈めてある。畢竟ひっきょう、食にさとい蟾が目をつけないはずもなく、温泉卵はすでに彼の手に落ちていた。

「美味い。いくつでも食えるな、これは」蟾は湯にかりながら、いくつめなのか分らないゆで卵をほくほく顔でぱくついている。そうして時たま、「それ、お前も食え」殻をき去ったゆで卵をふたつに割り、湯壺の周りをわしわし歩き回っている漆黒の鳥に気前良きまえよく分け与えていた。

 八咫は一瞬だけ環の顔をうかがうと、小首こくびかしげながら蟾の差し出す半欠はんかけのゆで卵に近づき、ぱくり受け取ると一飲ひとのみに飲みくだした。

「いいぞ、お前は本当に食いっぷりがいい」蟾が満足げな声を上げる。どうやら蟾は八咫を気に入っているらしい。

 八咫にしても、不思議と蟾に対して何の抵抗もないようなのだ。

―まぁ。それはさておき。

「深町さん。かくりょのさわりって言う話は、本当なんですか?」環にとっては、とある田舎町の奇禍きかなんぞ、まったくのよそ事であり、そもそも興味もない対岸たいがんの火事である。気になるところは、一体いつまで拘束こうそくされなければいかんのか?の一点いってんのみだ。

「…わたしには正直、分りません。嘘鳥は何かを見たか感じたようではありますが」

 嘘鳥は目下のところ、かくりょの生き残りが眠る座敷に詰めてその後の経過を見守っている。しかし、特段とくだん確信があるわけではなく、なにかよすがをつかめる「かも」知れないと、手さぐりをしているに過ぎないのだから、他の拝み屋連中と変わるところはひとつもない。

 もとただせば、かくりょの障りなる言は地域住民の風聞ふうぶんでしかなく、根拠も曖昧あいまいなら確証だってひとつもない正体不明の、文字通り雲を掴むような話だ。

 依頼主である役所は今回の奇禍については原因希求ききゅうにんも含め、一切いっさいの責任を拝み屋連中に丸投まるなげしたところで一件落着と、あがりを決め込んでうそぶいている。

 拝み屋と聞いて環が一番に思いつく言葉は、「いかがわしい」である。

とは言え、これは別に環自身の感慨かんがいというわけではない。

ぶぇんぶぇんぶぇん

子供の頃、遊び仲間と影踏みやら、かくれんぼにきょうじていると、どこからか聞きれない変な音が聞こえてくる事があった。

「あれ、なんの音?」

「おめえ知らんのか?ありゃあ、市子いちこ梓弓あずさゆみの音だ」環よりも少しだけ年かさの女の子がしたり顔で言った。最近つれあいを亡くした豆腐屋の主人が、市子に頼んで御霊みたまろしてもらっているのだと。「けど、あんなのはいんちきなんだよ。いかがわしい出鱈目でたらめさ」彼女のにくさげな口調くちょうがいまも記憶の中にくっきりと残っている。

 こまっしゃくれた子で大人の口真似くちまねばかりしていたから、あれは近所のおじさんやおばさん、爺っちゃんや婆っちゃんなど、世間一般せけんいっぱん大人おとな見解けんかいそのものをうつし出した言葉だったろう。

 市子が本当にいんちきで、出鱈目だったかどうかはわらない。

 ともかく拝み屋とは、見えないものをあつかっている以上、何はなくとも信用商売しんようしょうばいかと環は思う。

 この件を旨く仕留しとめれば看板にもはくがつき、今後の繁栄はんえいも約束される、のかも知れない。―しくじれば、それこそいんちき出鱈目の上塗うわぬりに終始しゅうしするだけとなるだろう。異装いそう面々めんめんはその道の専門家然せんもんかぜんとして、表面上ひょうめんじょうは堂々と落ち着き払っているように見えるが、本音ほんね戦々恐々せんせんきょうきょうたるものに違いない。それで思いつく限りをうろついては、当たるをさいわいと闇雲やみくもにあちこちっつき回してへびを出そうとしているのかも知れない。

「まあ、しばらくは互いの腹の探り合いというところだ」蟾はまるで、他人事たにんごとと言わんばかりの口ぶりでつぶやくと、せっせと几帳面きとうめんに卵の殻を片付かたづけて始めた。

 この余裕よゆうは絶対の自信から来るものなのか。それとも、ただ単純に美味うまい食い物さえあれば泰然自若たいぜんじじゃくとしていられるという蟾独自の特質とくしつか?

 …そもそも、蟾の役所やくどころがいまひとつ環にはわからない。この二、三日とっくり観察した拝み屋の中には、弟子らしき者をひとりかふたり引き連れている向きもあった。が、蟾が弟子ではトウが立ち過ぎてはいまいか。

 じかに聞いてみれば解決しそうにも思われるが、日々蛇取りに躍起やっきになっている先生方をうまけむいている蟾の手際てぎわ間近まぢかに見ている環としては、コイツを相手にしてもらちもない事は嫌と言うほど実感じっかんしている。

環は肩先どころか顎まで湯に沈めてほぅと息を吐いた。



「ふぅ…」

 嘘鳥はわざと声に出して溜息をついた。

 ここ数日、誰とも口をきいていない。せめて自分の声がまだ出るものなのかどうか試してみたい気になったのだ。

 要の眠る座敷で、彼の枕元に座して今日で三日目となる。が、彼の魂が那辺なへんにあるのかが一向いっこうに掴めない。人の形はあるものの、これはうろだ。

 眠りは死に似ている。―あるいは眠りとは、小さな死であるとも言えるかも知れない。

 死んでしまえば時が意味を失う。

 まず向かうべく未来が消失し、当人の記憶としての過去が失われ、現在が停止する。これは眠りについてもよく当てはまる。なぜなら、眠っている間はそれがつかの間であれ、一旦は現世から離れる事になるからだ。

要は本当の死と近いくらいにこの世を離れて久しい。

 かくりょの障りとやらがあるものなのか、ないものなのか、彼の魂に直接問いかけてみない事にはわからない。それには彼の閉じた目蓋まぶたの向こう側で、いつ果てるともなく続いているであろう夢のさとへ渡る必要がある。此岸しがん彼岸ひがんのあわい、どこにもない場所へ。

 ふぅ…。

 まさか要の係累けいるいとまでは言わずとも、せめて彼が現世げんせとどまっていた頃を知る人でも居ればまだしも、夢のかよを見つける助けにもなるだろうに。

 かそけき希望ではあるけれど、たのみのつなは先日不意ふいに現れた男の子ばかりだ。あの子が口にした“ばっぱぁ”という言葉の意味を知る人は、この土地に長い深町家にも居なかった。もしか。あれがかくりょの言葉ならば…。

 どん、とその時、嘘鳥の身体に強い衝撃しょうげきが伝わって来た。せっかくらした気が千々ちぢくだり、間も無く半鐘はんしょうの音が遠く聞こえてきた。

「火事!?」

 とっさに身体が動き、裸足のまま深町家の庭先に飛び出した。燃えるような夕映ゆうばえのあざやかな朱色あけいろに思わず立ちすくむ。

「慌てるな、よそ事だ」

「でも、どこかが火事には違いないのでしょう?」

 残照ざんしょうを背に、ゆっくりとこちらを振り向いた蟾の顔はかげまれてその表情はよく見えなかった。「あれはだ。それも町長をねらったものだからこちらには関係ない」

「そう…」

 千里眼せんりがんの持ち主が言うのだから間違いはない。



 町長の家がちにあった。

 そう聞かされて、それはご愁傷様しゅうしょうさまでございます。と、一応は神妙しんみょうに受け答えしたものの、正直、不謹慎ふきんしんながらも環の心はおどった。勿論それは町長の身が無事であったという事実が裏打うらうちされていたからでもある。

 ただでさえ人目ひとめに立つ容貌ようぼうでもあり、嘘鳥の代役だいやぃに立っている限り不用意ふよういに外出するわけにもいかない環は実質じっしつ軟禁なんきん状態にある。たまのお出掛でかけけ先はと言えば、深町家の地所内ちしょないにある出湯いでゆのみだ。その現状に派手な(?)動きがあったとなれば、いろめき立つのも道理どうりではないか。しかも、事件の立役者たてやくしゃである町長とその相棒あいぼう身柄みがら当面とうめん深町家が引き受けるというのだ。

「多分、深町の家はわたしの代でお終いだろうよ。でも、わたしが居る以上はまだ、ここは本陣ほんじんなんだ。何か事が有れば、ウチが引き受けない訳にはいかない」

 昔は栄えた家だったのかも知れないとの見立ては当たっていた。深町家が隆盛りゅうせいだった頃。ここは、公儀こうぎ要人ようじん定宿じょうやどであったらしい。それは深町家がこの地を代表する家柄であることを意味する。

「本陣の刀自様とじさまにこのように温かくお迎え頂き、至福しふくの限りで御座います」

 チョビ髭だけが飛び抜けて目立つ小男はたたみひたいこすり付けて菊枝の前に平伏へいふくしていた。

「平岩さん、大変でしたね」環はれ手ぬぐいを差し出しながらすすだらけのニセ山伏やまぶしをねぎらった。

「まさか私も、こんな目に遭うとは思いも寄りませんでしたな。昔ッからアイツにはあわて者のがありましたので、またぞろ杞憂きゆうかとめておりましたが、そうではなかった。今にして思えば、ぬかりなく妻子を実家に帰していた事は天晴あっぱれな判断です」言いながら、平岩は感無量かんむりょうといった顔つきで深町家の高い天井をあおぎ見た。「それにしても、この私が本陣にまねき入れられる事があるとは…」

 環は世代せだいことにするので、その心持の真意しんいはさっぱり解からない。

 そこへお重がかしましい声を立てながら、小ぶりな握り飯をぎっしりと乗せた大皿を運んで来た。「まあまあ、なにはともあれ腹ごしらえですよ。昔ッから腹が減ってはいくさは出来ぬと申しますでしょ。さあさ皆さん、まずはご飯にしましょ!」

 お重の号令ごうれいに続いて漬物つけもの盛大せいだいに盛った鉢やら汁物しるものの鍋、あらかじめ煮出したお茶を入れた大ぶりの薬缶やかんに、卵焼きを始めとしてちょっとしたおかずを乗せた皿が次々と運ばれてくる。いつもは静かな深町邸は急な食客しょっきゃくと、町長宅の火事を消し止めた町の有志一同ゆうしいちどうという大所帯|ルビを入力…《おおじょたい》を迎えて掃除そうじまかないにと近在きんざいの主婦が手伝いに入ってにわか活気かっきづいていた。

 環にとってここは異郷であり見知らぬ顔ばかりのはずなのだが、ふとその中に見知った顔があるのを見つけた。

「あら」相手も環に気がついたようだ。

過日かじつはおもてなしいただき、ありがとうございました」環はぺこりと頭を下げた。

「まあ、登紀子ときこさん。こちらはお知り合い?」

 ふたりの様子ようす見澄みすましてか、菊枝が声を掛けてきた。

「知り合いというほどでは…。お顔を見知っていたという程度で。先日、この方が父を訪ねていらした際にお茶をお出ししただけで、お名前すら存じません。何でも父の古い知り合いのお弟子さんだとかで」

「ほら、環さん。宅に来て早々に蟾さんが随分ずいぶんとお気にしたお菓子があったでしょう?あれをこしらえたのがこの人ですよ」

「え。でもその時確か、お重さんはきさらぎ先生とかなんとか…」アザラシ殿の苗字みょうじは確か落であったはずだ。

「ああ、それは父のごうです。先生なんて、そんな大層たいそうなものではありませんけど…」

「きさらぎ先生はね、この土地の歴史を研究なさっているえらい方なんですよ。それにしても、ちょうど良かったわ。顔見知りであればあらめてご紹介する手間てまはぶけましょう?ウチに居る人が増えましたのでねえ、すっかりいぼれ切ったあたくしとお重だけではとても手が回りませんよ。それで、明日からは登紀子さんにお手伝い頂くことにしましたから、環さんもよろしくお知りきくださいな」

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