第2話2

「遅れまして」

 ひと言きりで謝罪を述べるでもなく、言訳すらもせずに歩みを進めるひきの背中に続いて座敷の中に足を踏み入れた環が目にしたのは、尋常じんじょうな眺めではなかった。

 坊主の僧衣や神主の装束はまあまだ良しとして、頭襟ときんを頂いた修験者あり、平安朝の烏帽子狩衣姿あり、その他形容しがたい異装いそう有象無象うぞうむぞうがぞろりと座を占めている。ともかく得体の知れない連中が勢揃いしていた。

 一体どこの芝居小屋か。さらに言えばこの顔ぶれでの演目は一体何なのだ?

 そんな事を考えている当の環の出で立ちも、千早ちはやの下に白衣びゃくえ緋袴ひばかまを身にまとい、丈長たけながまで結ってしっかり巫女みここしらえなのだかららちもない。大体、かもじの手配に手間取てまどって遅参ちさんしたのである。

 せいぜい手弱女風たおやめふうつくろった環が座に付くと、それを見澄みすましたように上座かみざの小男が立上った。

「これで皆様が揃いましたな。我が町の存亡そんぼうの危機に際しまして、快く手を差し伸べようと応えて頂きました皆様の温情おんじょうには、この鍛冶延正かじのぶまさ、感無量であります」。ごちゃごちゃと喋り出した小男は、昨夜から環の顔見知りである。

 チラチラとこちらを盗み見る鍛冶の視線をとらええ、取って置きの微笑を向けてやると一瞬、鍛冶が押し黙った。

 小者こものなんぞには構うな

 蟾の声だ。―との認識はあるが耳から聞こえた音というよりも、直接頭の中に言葉をねじ込まれたように頭蓋ずがいに響いた。蟾の口元も決して動いてはいない。

 わかったよ。環も頭の中で応えてみた。

 隣に座った蟾は環に見えている側の横顔の中で口角こうかくをキュウと引き上げた。どうやら了承されたようだ。

 蟾は小者呼ばわりしたが、鍛冶延正と名乗った男は、正真正銘この町の町長である。

 昨夕ゆうべひとりの男が宿を訪れ、彼は深町と名乗った。「本当に、こんな田舎町に御出でいただけるとは…。誠にありがとう御座います」嘘鳥と蟾に向かって畳に頭をこすり付けるようにして平伏した。

 深町の差し出した名刺の肩書きには、町役場の用途ようど係とあった。

 町長が“我が町の存亡の危機”と言ったのは本当であり、この一見出鱈目でたらめな有様も大真面目に検討された結果なのである。

 こんな長閑のどかな田舎町で、一体何事が起こっていると言うのか。

「―奇禍きか…。と、申し上げるのが、恐らくは一番正確かも知れません」 

 奇禍。思いがけない災難?何とも曖昧であるが、眉をひそめて訥々とつとつと語る深町の話を聞いていると、なるほど。そうかも知れないと、納得がいった。

 始まりはいつとも知れないが、それは確実にこの町を侵食していったのだ。

「わたしが知る限りの最初は、お隣のン坊でした」

 深町の隣家に住む夫婦の長女、須美すみはお転婆ですばしっこく、小学校でも一番足が速いので有名だった。その彼女がある日を境に足がえ、今では立ち歩く事さえ困難なのだと言う。

 そのうち方々から似たような話が、深町の耳に入って来るようになった。

 病気や怪我といった直接的な発端となるような故障もなしに、ある日から急に手がしびれて箸をつかむのもままならないだとか、耳が聞こえなくなった、目が見えなくなった、声が出せなくなったといった事が立て続けに起こり、今では町の誰もがどこかしら不調をうったえている。

「医者には診せたのか」蟾が口を開いた。

勿論もちろんです。ですが、まったくの原因不明で、医者はとっくの昔にさじを投げました」

「ふぅん。それでお次は神佛かみほとけの出番ということなのかい?」昨日の朝の事があって、環は嘘鳥や蟾の生業なりわいを知る事となった。嘘鳥たちは主に祈祷を行うことを方便たつきとしている、所謂いわゆる拝み屋だった。「それじゃあ今度は町の人間が、医者に向かって匙を投げ返したようなもんだね」

うるさいぞ小僧。えきもない事を口にするな」静かな声音で蟾が一喝いっかつした。

「それが、噂が立ちまして。これは絶対にかくりょの障りだろうと」

「かくりょ?」嘘鳥が大きな眼をまたたいた。

 かくりょとは、すなわち隠世かくりよ。あの世の事であるが、この町では少し意味合いが違う。

 町の玄関先である駅前がいくらか繁華はんかだとはいえ、町屋の立ち並ぶ辺りを少し外れれば、すぐと田畑の広がる田舎町では都会と違って異界いかいが隣り合わせに存在している。それは例えば森や山といった、昼日中ひるひなかであっても常に闇をとどめた場所だ。

 この先には隠れ里があるよ。

 山の奥、林の奥、大滝をくぐったその先か、果たして獣も通わぬ暗い谷底なのか、正確にはどことも知れないが、人の行き来する道も尽きたその先には、ひっそりと住まう人々のさとが有る。なんとなく、いつの間にか皆が知っていて、あの人たちの邪魔をする理由も必要もないからと、放って置こうとの不文律ふぶんりつが出来上がっていた。関わると、ろくな事にならないとの共通意識から出たものだったのかも知れない。

「ほう。それで、そんなものが本当に在ったのか?」

「それが本当に在ったのです。ですが今はもう在りません。わたしが生まれるよりもずっと前に山津波やまつなみに呑まれて地の底に沈みました」

「それで、かくりょなの。でも、どうしてそこがそうだとわかったのかしら?」

「生き残りがひとり、居りました。近隣きんりんの町や村にも問い合わせましたが、その人を知る者は誰もいなかったのです。祖父から聞いた話ですが、その人はそれなりの身分を持っていたらしく、身なりも良く身体つきもしっかりしていたそうです」

「そいつと関わったばかりにこの有様ということか。しかし、それから随分と時が経っているようではないか。その時は何でもなかったのであろう?」

「はあ…、それは、そうなのですが」

「理由が欲しいのよ、蟾。誰だって何もわからないままでは落ち着かないわ」

 そのような行く立で、この町唯一の貸席かしせきの座敷に集められているのは、残らず嘘鳥たちの同業者なのである。それにしても数が多過ぎるように感じられるが、数打ちゃどれかひとつがきっと当たるに違いない、と考えるのが人情というものだろう。

 そうしてこの場は、恐らくは壮行会そうこうかいというヤツなのだ。

 町長のふところから振り出したものなのか、町の予算から捻出ねんしゅつしたものなのかは知らないが、それなりに遜色そんしょくの無い仕出し弁当に酒なども付いて体裁ていさいは整っている。が、しかし役場の勤務時間に合わせて昼日中のうたげという事であれば、いまいち座も振るわない。しかも、集まっている面々の生業の内容からして、どうしても賑々しくはなり得ないのであった。

 故人を偲ぶ通夜の方がまぶしく華やかに感じられるほどに、この場は陰鬱である。

「これは美味うまいな」

 場の空気などそっちのけで、蟾がスイスイ箸を進めて弁当の中身をどんどん詰め込んでいく。環もつられて箸をつけてみると、本当だ、自然と顔がほころぶくらいに美味い料理だった。



「別に、理由の無い事でもないのです」肩を落としつつ目の前を歩む深町の背中を追いながら嘘鳥は息を上げていた。ひと足ごと、歩むたびに深町の背が遠のくようだ。思わず膝に手をついて立ち止まる。

後れがちな嘘鳥に気付いた深町がおもむろに振り返る。「ああ、失礼。気が利かなくて申し訳ありません。…本当に、ほんとうだったんですね」枯れ枝の様な嘘鳥の手を取った。



 奇妙な宴席も会食かいしょくが進むにつれ座が温まって来たのだろう、ぼちぼち取り外す者が現れ始めた。

ねえさん。あんたさんみたいのが、わざわざこんな辛気臭い処に関わる事も無いだろうにね」すっかり良い機嫌に出来上がって、真っ赤な顔をした坊主が環に近寄って来た。

 鍛冶以上に環の存在を気にしている様子があからさまだったから、これは予想の範囲内ではある。

「あんたさんの器量だったら、もっと儲かる商売だって選べるだろうによぅ?」妙にきらびやかな袈裟けさを纏った肩先を揺らしながら、ヒヘヘと野卑やひな笑い声を漏らした。

 コイツは生臭坊主と呼ぶ以前に、ニセ坊主の様だ。

 蟾の顔を見た。

 彼はすでに食後の甘味まで堪能たんのうし尽くして、満足げに渋茶をすすっている。こちらにはまったく関心を向けていないようだ。

 それなら好きにやってやろうか。

 匂やかな笑みを浮かべた巫女はスッと袖を上げ、節くれだって染みの浮いた坊主の汚い手を取った。と、坊主の身体は半回転しながら宙に舞い、そのまま畳の上に打ちつけられた。

 一瞬の出来事で、咄嗟とっさには何が起こったのか誰にもわからなかっただろうし、酒で頭の曇った当の坊主自身もキョトンとしている。美貌の巫女は涼しい顔で静かに坊主の顔を見下していた。

「御坊、これはこれは。多少きこし過ぎましたな。ささ、こちらへ。少し酔いを醒ました方が宜しかろう」すかさず脇から現れた山伏やまぶしが笑いをかみ殺した顔で坊主を座敷の外へ連れ出した。

 ああ、なんだそうかとその場も納得した様子だったが、座敷の向こう側では町長の鍛冶が肩を震わせて笑いを堪えている。彼は昨夜同様の災難にっているから、他人の不孝がとりわけ小気味良いのだろう。

 昨日のよいくちの事。深町が帰って行った後、表敬訪問と称して鍛冶と山伏のふたりが宿を訪れた。

 若い女の拝み屋と聞いて好奇心を沸かせたのか、或いは酒の勢いで思いついた軽い悪戯いたずら心だったのかも知れない。山伏は素面しらふだったが、鍛冶はへべれけだった。嘘鳥と取り違えて環にチョッカイを出した鍛冶は、小一時間ほども畳の上で伸びているはめになった。

「食事の席だ。なるべくほこりを立てるような事はするな」蟾が湯飲みを置きながら言った。



「コイツは多少軽はずみなところもありますが、決して悪い人間じゃありません。平にご容赦願います」気を失って倒れている町長の脇にかしこまり、深々頭を下げて謝罪した山伏こと平岩は、鍛冶とは竹馬ちくばの仲なのだそうだ。

「容赦も何も、当方には別に何があったわけではない。そこにいる小僧がたまたまかんを立てただけの話だ。そちらこそ悪い外聞がいぶんが立たぬよう気をつけて帰りなさい」

「それにしても、このような腕の立つ用心棒ようじんぼうを置かれているとは賢明ですな。どなたからか助言でも?」

「用心棒とは?」

「はあ…。ここいらは見ての通りの田舎町で、ふだんは退屈ばかりが名物のような長閑な場所なんですが、このところは物騒でして」

 一向に解決を見ない奇禍にれた町の住民があちこちでめ事を起こし始めているのだと言う。そしてその中には行政に不満をぶつけて気を晴らそうとする向きもある。

 身の危険を感じた町長、鍛冶は一等信頼の置ける人物に助けを求めた。

「この度は幼馴染おさななじみに泣きつかれて、いかにも恐そうな拵えをする為にこんなナリをしておりますが、私は拝み屋でも、そのたぐいの何でもありません、今は遠方えんぽうで商売をしておる米屋の主人です」日々、米を担いで商売をしているから力は強い。平岩の正体は鍛冶の用心棒なのだ。

 援軍を得て安心ついでにおちゃらけた鍛冶の行動からかんがみても、嘘鳥は前評判からして目立つ存在なのであろう。

「重々ご用心なさった方が宜しいでしょう」

 平岩からそんな助言を受け、急遽きゅうきょ環が嘘鳥の代役に立つ事となったのである。

 用心棒との名目めいもくなら環も悪い気はしない。嘘鳥からほどこされた薄化粧すら素顔を隠す仮面のように感じられるだけで、特に気にもならなかった。

 しかし、さすがに声だけは隠せない。かと言ってだまりの天神てんじんを決め込むのも不自然だろうと、喉を傷めているていで幅広く首を覆っている包帯が、ちと暑苦しい。

 と思いきや、どこから取り出したものか隣に座っている蟾が渋団扇しぶうちわで盛大に顔を扇いでいた。

 気が付けばいつの間にか座敷の中の頭数が増えている。人いきれのせいで本当に暑いのだ。

 最初から座敷に居た珍奇な面々それぞれを普通の身なりの人々が十重二十重とえはたえに取り囲み、なんやかやと相談を持ちかけている。

 但し環たちは例外で、若く美しい巫女姿にチラチラ目線を送って来る者はあるのだが、取りつく島もなさげな蟾の雰囲気に、おくして誰も近寄っては来ない。

「ふむ。もう何も出て来んようだ。そろそろ帰るぞ」

 蟾は団扇をそこらに放り出すと、さばさばと腰を上げた。

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