9話
今までセロが戦ってきたモンスターの中で、あたしが知らないものはなかった。
かつてこの地下都市に封印された者たちのはずで、封印されたときにあたしはそれを知っているはずだ。
だが、タコの足で四角いボーリング球を繋げたような塊が、ウネウネともたげている。
今、ヴザライの首が弾き飛ばされていなければ、全員がシュールなギャグだとしか思わなかっただろう。
血煙が鼻を突いたとき、現実感が吐き気を伴いながら襲ってきた。
「走れ! 逃げるぞ!」
セロの叫びで、軍警察たちの時間が動き出した。
相手の姿も見えない中で戦ったら、あたしとセロはともかく、軍警察の人たちまでは守れない。
悲鳴と共に彼らが走り出し、その後ろからセロとあたしが続いて走り出したとき、その塊は小さな出口から現れようとしていた。
大蛇のように見えていたものは指だったのだ。続いて這いだしてきたのは巨人。指一本が人ひとりよりデカイ。
【ヴァアアゥォオオオヲおおおぉぉッッ!】
頭も見えないまま、巨人は吼える。
不愉快なまでに無機質で、おぞましいほどに有機的な威容が這いだしてくる。
あたしたちを追ってくるわけではない、ただその場で立ち上がろうとしている。
ここはそれなりに大きな空洞では有るが、あんなバケモノが立ち上がればこの空間は崩れ落ちるだろう。
「止まるな! 振り向くな! いつ天井が落ちるか分からないぞ!」
混乱すると人間は何をするか分からない。セロは恫喝するような口調で軍警察の人たちに明確に命を守る行動を強いた。
既に天井からは異音がし始めている。既にあの巨人の姿を見えない位置まで走ってきた、天井を砕きつつあるのは間違いないだろう。
亀裂があたしたちより早く天井を走り、生き埋めカウントダウンをしている。
そんなとき、あたしの広い視野に、“天使”という題目が付いた本棚が目に入った。
天使のことが書いてある本が! このままだと埋まる! あたしなら本を拾える。体内の亜空間に何冊か入れられる!
「セッ……」
数秒の逡巡。あたしがセロの名を呼びながら、本棚から意識を戻すと、セロは既に倒れた警察官を担いでいるところだった。
警察官は頭から血を流し、その血液は足元の瓦礫から繋がるように噴き出している。
既に天井が崩れ始めている。不幸にも当たってしまった警察官がいたんだ。
「ワト! 俺の懐に! お前がその姿で当たったらマズい!」
「でもセロ、本が有った! 天使の本!」
「――要らん!」
セロは、腹の底から声を出し、あたしに早く来るように訴える。
……ああ、もう! なんで! なんでセロは! 手段を選ぶ! 目的を優先できない!
神なんてものがいるなら――天使なんて率いているヤツという意味でなくて本物の――なんでこんな子の家族を殺したんだ。
この子は、自分のために他人を犠牲にするという選択肢すらない子なのに。なぜこんな子の家族を奪ったんだ。
「早くしろ! 崩れる!」
セロはあたしを懐にかかえ、意識を失った警察官を左側の腕で支える。ドリルブレードは右の義手に任せ、前を走る軍警察たちを追った。
いつだってこうなんだ。セロは、誰かのために動いてしまう。
「出口だ……っ!」
屋敷に戻ると、一拍先に到着していた軍警察たちが大声を張り上げ、避難を始めていた。
そんな軍警察のひとりにセロは抱えていた男を任せ、セロは豪邸の裏手にある道路を凝視した。
ヒビ割れる道路の中、崩れ落ちる破片を花吹雪のように散らし、巨人が立ち上がっていく。
地下では見えなかった巨人の頭部は正方形のヘルメットのようだった。目も鼻も口も前後すらない、生命を冒涜的にデフォルメしたような、不愉快な形状。
それは第二階層の二〇階建ての高層マンションより高く、第二階層の天井をこすりそうになっていた。
「あのサイズに、通じそうな武器は……」
「“B”しかない、と思ウ」
「俺もそう思う。軍警察の装備じゃ無理だ。対応する前に第二階層は壊滅しちまう」
セロ、第二階層キライって言ってたよね。こだわりもないじゃんね。メチャクチャになっても別に困らないじゃん。
生まれ故郷でも家なんてないじゃん。セロはただの探偵でしょ。斬殺探偵って呼ばれるのだって嫌がってたでしょ。探偵って戦う仕事じゃないんだよ。
エルちゃんを探しにいけばいいじゃん。エルちゃんが心配だからって言って、第六階層まで一緒に逃げればいいじゃん。
しないよね。ここで倒すのが、他の人と一緒にエルちゃんを守ることにも繋がるもんね。
セロは怖くない? あたしは怖いよ。
――訊いたりしないよ、それは、セロがセロだから、行くんだもんね。誰かの家族が、壊されそうなんだもんね。
「悪いなワト。“B”は俺一人じゃ扱えない。付き合ってくれ」
セロはあたしと一緒ならあんな巨人倒せる。そう思ってくれてるんだもんね?
そんなセロを助けないわけがないじゃん。あたしもセロとならアイツを倒せるって思えるから。
あたし“たち”が持っている五本の剣のうち、最大の破壊力を持つ“B”なら。
「いくゼ! セロ!」
這いだした巨人は、風に揺れる陽炎のように揺らめいた。
だが、あれだけの質量がが風ぐらいでどうなることはない。あれは巨人。
その揺らめきを止めず、
広がった。関節を繋いでいるタコのような部分が伸びて、砲弾のように腕が伸びた。片方は市街地へ、片方は――こっちに来た!?
「セロ! ヤバイ! 避け……」
「避けたら! 屋敷に当たる! エルたちが脱出しているかわからん! 止める!」
セロは半身を引き、右半身を前に左足を振り上げ、ドリルブレードを大きく振りかぶり――打った!
ホームラン間違いなしのフルスイングだったが、打ったのがボールではなく巨大な魔神の腕である以上、その場に落ちるだけ。
そして、ドリルブレードは中ほどでバッキリと折れた。
打ち落としたのは手の甲の部分だったが、そこから先ほどヴザライの首を弾き飛ばした五本の指がヒュドラか何かのようにうねり、鎌首……ていうか、鎌指? を上げているる。
「ワト! “R”を頼む!」
「はいヨ!」
あたしが射出したのは腕一本分の長さがある柄の、両側に剣の取り付けた両頭剣。
セロはそれを受けとると、右の刃で指を弾けば、左の刃で他の指を巻き取り、そのまま右の刃で叩く。
カヌーのオールをさばくのように両側を連動させ、セロは五本の指を払いのける。セロも練習中の武器だが、目覚めたての魔神よりは速い!
「やはり、軽すぎて使い難いな、Rは……」
セロは巨人の手の平へ回り込み、刃を魔神の手首へ奥深く地面まで貫き、刀を中心に凍結していく。
片方の刃は熱を吸収していき、どんな物体でも許容限界までカチガチに凍結させる。これが竜双牙(リュウソウガ)の魔力。
本来はその蓄積した熱を逆側で放出して炎にして操作する武器だが、セロは使いこなせてないし、そもそも今はその機能は必要ない。
巨人の腕を一本、地面に氷で縫い留めた。大きく息を吸い、そして吐く。
上下していた肩は整い、セロの視線は巨人を真っ直ぐに射抜いている。そして。
「いくぞぉおおおおあッッ!」
ブヨブヨした皮膚に足を取られそうになりながら、あたしを肩に乗せ、セロは走る!
巨人もそれに気付いたのか腕を振るう。もしかしたら凍てつき繋ぎとめている腕を外そうとしているのかもしれないが、引いた分だけ腕が伸びてしまって固定が外せない。
だが、巨人が動けば動くほど、縄跳びの紐のように揺れる! 揺れる! 揺れる!
普通の人間だったら百回は落ちてそうだが、吹き飛ばされるときにその勢いを利用して前に飛び、セロは足の裏に磁石でも付いているように着地する。
【ヴぁああああああああッッ!】
巨人が縫い留められていない方の腕を振るおうとしているが、戻すよりあたしたちが肩まで登る方が早い!
――そのとき、口もなく目鼻もない巨人の真っ黒い頭部が、虫の羽音のような神経に障る音を出し始めた。振動音?
「……ヤバイ! セロ! 避けテ! あれは五郎丸さんのと同じだ!」
「なにっ?」
「声帯を使ってしない詠唱ダ! 五郎丸さんの刻魔弾と同じッ……」
言葉も途中、魔神の顔面周辺で火花がスパークした。
詠唱が、終わってる!
【
巨人の言葉にならない絶叫と同時に、黒い電撃があたしたちに殺到する。
電撃を見てから避けては間に合うわけはない。セロは先んじてあたしを抱きかかえて腕の陰に入るように飛び降り、右手のキャタピラで張り付いた。
頭上を電撃が光速で通過し、その後に遅れて音速で衝撃音が響く。トレンチコートの耐魔性能を明らかに超えており当たったらあたしもセロも即死だった。
巨人の振動音が再び始まってしまっている。次の呪文をもう詠唱している!
「セロ! これヤバイ!」
「行って! ふたりとも!」
そのとき、地上から聞き覚えのある幼い声が聞こえた。
かなり後ろ、かなり下だが、エルちゃんが小さい脚で懸命に走って何かを呟いている。
「いやエルちゃん! これで前に行ったラ……」
「行くぞ、ワト! 迷っている時間はない! エルを信じろ!」
「……だよネー! 行くヨっ!」
出会ってまだ一日も経ってないけど、エルちゃんはこんなときに冗談を言う子じゃないっ!
セロの仇がエルちゃんのお姉ちゃんでもお母さんでも、エルちゃんを信じない理由には、ならないもんね。
そしてセロのキャタピラが唸り、身体を腕の上へと跳ね上げる。
足を取られながら、セロは頭部を目指すが、やはり到着するより魔神の呪文詠唱が先に終わった。
「……を退けよ! 【
【
その詠唱は、ほぼ同時に空間を揺るがした。
電撃はあたしたちに届かず、呪文で出現した炎の壁に激突し、膨大な熱量にプラズマを撒き散らしながら相殺した。
……今の呪文、エルちゃん!? ウソでしょ!? 下からあたしたちの目の前に遠隔で発動、しかもこれだけの熱量を!
ありえない現象に対面しながらも、あたしたちは魔神の肩口まで走り切っていた!
「ワト! “B”!」
「わかってル!」
あたしはクチバシを空に向けてBを射出する。普通はセロに向けて発射するが、Bだけは例外。
遅く射出すると途中で落ちるし、速く射出するとセロの腕力でもキャッチできない。
“B”が落ちてきたところをセロは両手でキャッチするが、そのときに大きく身体がブレた。
柄だけでドリルブレードの全長に匹敵する長さを持ち、刃は陰に入ればセロはまるごと隠れてしまうほどに大きく広い。
他の四本の剣に比べても格別の破壊力を持つそれは、刃に“蛮”の一文字が大きく刻み込まれ、その名はそのまんま“
セロは盤一文字を大きく振りかぶり、顔の横に鍔が来るように構える。
今、セロが放てる最強の一撃。これをセロに教えて蛮一文字をこれたおばあちゃんが“ジゲン流”と呼んでいた技。
一瞬の間に息を腹の底まで吸い、そして、吐き出すときに咆哮めいた掛け声とともに、振り下ろされる!
「チェストぉぉおオオオオッッ!」
大きな剣を大きな力で、大きな気迫で放つ。
二の太刀を放つこともできないほどの全力の一振りは、二の太刀を放つ必要がない一撃必殺。
魔神の頭部をスイカのように叩き割り、そのままクルリと空に放り投げようとするのを、あたしがクチバシで体内の空間に飲み込む。
「……ンがぁああああっ!」
頭を失って魔神が、自分が死んだことに気付いたように崩れ落ち始めた頃、セロも一緒に崩れかけていた。
この一撃は、セロの人間離れした筋力でも足りていない。振り下ろした瞬間、背筋から腰までの筋線維が断続的に断裂する。
つまり、動けなくなる。
教えてくれたおばあちゃんは使いこなしてたけど、セロにはまだ早い技なのだ。これ。
「……セロ! しがみついテ! この魔神、倒れル!」
「動けそうにない……ワト、お前は飛んで逃げろ」
「言ってる場合カ! 右腕を動かセ! へばりつけ!」
「無理……かな」
「敵討ちするんだロ! 天使を殺すんだロ! 諦めるナ!」
「……正論だな。まったくもって」
「あ?」
「誰!?」
唐突に、その人物は魔神の腕の上に現れていた。
緑色のフードを目深に被って顔も見えない。そもそもタコのような材質の腕の上を平然と走るなんてセロ以外にできるわけがない。
瞬間移動? 空中浮遊? なんにしてもあたしたちに気付かれずにここまで接近できるなんてありえない。
「あんたは、誰だ?」
「それよりも、降りるぞ」
緑フードの男は軽々とセロを抱きかかえ、倒れ行く魔神の体表を伝うように跳ねまわる。
鹿か何かが崖を下るように、それよりも軽やかな安定感がある。セロの体捌きに似ているが、それより安定しているように感じる。
土煙と血飛沫の中で魔神が倒れ伏す頃、緑フードの男は、平然とあたしとセロを地面に寝かせ終えていた。
「ちょっト! あんた何者ヨ!」
「カ・ル=ダモンの名前で天使が入ったカバンをプレゼントした本人、といえばわかるか?」
「もっとわかんないわヨ!」
「……ちょっと待て。お前、腰の剣……
写真で見たことがある。
確かに、謎の男が腰に差しているのは失われたはずの伝説の魔法剣。
この地下都市で確認されている中で史上最強の魔法剣であり、これが天使に敗れたからこそセロは未知の剣を探すことになった。
天使に襲われ屋敷が火事になったときに行方がわからなくなったはずの、セロのお父さんが使っていたセロにとって様々な意味で大切な剣だ。
「俺のことは
その男は立ち上がることもできないセロに不敵に言い放ち、騒乱とする第二階層を平然と歩いて行く。
あたしひとりでは、この男を追跡することはできない。悔しいけど、エルちゃんが来てくれるのを待つしかなかった。
「……まあ、謎が増えたけど……誰かを助けられたから、良いよネ? セロ?」
セロは既に意識を失っていた。
昨日の夜から追跡してダルバン白爵を助けて、それから第六階層に戻ってエルちゃんと出会って警察署に行き、第二階層に戻って調査。
そして、今、魔神を肉体の限界を超えた技で倒した。普通じゃないセロでも過労で意識ぐらい飛ぶ。
「エルちゃん、悪いんだけド……向こうで氷漬けになってる剣だけ回収に行くの、手伝ってくれル?」
セロの長すぎる一日が、やっと終わった。
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