7話
「刑事さん、この方たちは?」
屋敷の三階、大広間にトルアキフ光爵とお腹が大きい奥さん、使用人の人たちが集められた。
トルアキフ光爵は、写真で見た通り、まだ三十代だろうが、ヒゲを蓄え、モミアゲを三つ編みにしている。
貴族階級は皇侯伯子男の順で、光爵は侯爵階級なので、伯爵相当のダルバン白爵より上の階級、印刷関連の貴族の中では最も位が上。
もっともな質問をしたのは、この家の主、トルアキフ光爵だった。
――見ず知らずの男と、美鴉を抱いた美少女がいたら、それは質問するわよね。
普通、探偵というのは事件が起こる前からいて、調査をするんじゃないのか?
それどころか、セロ……エルちゃんもだが、事件の真相の仮説に到達するの、早すぎではないか。
本来の頭脳労働はあたしだけど、今回、あたしは仕事じゃないと思って途中から気を抜いてたからね。推理はセロに任せることにする。
「まず、最初にお断りしておきますが、証拠はありません」
「はあ?」
「探偵小説でもない現実において絶対に確実である、ということは有り得ないということです。それはこの幾魔学都市において顕著です。
例えば、瞬間移動できる魔術師が現れて殺して立ち去った、そんな可能性もゼロではない」
「瞬間移動はレア魔術で、数メートル移動できる術者もザラにいないがな」
先ほど、セロに密室殺人だったと言い当てられた刑事さんが補足した。
テレポートが実用化されてたら、馬車やエレベーターなんて要らないわよね。
「俺ができるのは瞬間移動ができる魔術師、という可能性は極めて低いと考えていいでしょうね。ではもっと確率が高い犯人とは……密室殺人において犯人になれるのは……どんな魔術師でしょうね?」
「魔術師ならできるかもしれんが……執事が殺されたときにはこの家の中には居なかった」
「どのような検査を?」
「検査? 必要ないだろう。それだけ大掛かりな魔術師となれば無免許でやれるはずはない。ここに居た人間には魔術歴がない! 修行も研究もしていない、それなら魔術は使えないということだ!」
なるほど。
貴族の中でも最高位に近い光爵サマの家では、調査もそんなもん、と。
死んだのが貴族さんたちならともかく、執事さんだから強行して調べるのも怖いしね。
話が変わりますが、と前置きをし、セロは指を立てた。
「あくまで俺から見えている範囲ですが……これが真実だと、俺は考えています」
疑問と違和感、そして知り合いが死んだばかりで、さらにその事件の真相が明かされようとしている。
部屋の中、様々な感情が渦巻いている。
「そうですね。まず……三日前、トルアキフ光爵、あなたはペガサスから落馬しましたね?」
「……は?」
なんの話をしているのか、そう言わんばかりの疑問をトルアキフ光爵自身が呈した。
突飛な質問ではあるが、刑事が止めようとしていないことから、声を荒げるには至らず、しぶしぶとうなづくのみに留まった。
「さて。トルアキフ光爵に限らず、誰かが天馬から落下した。そうなったら、周囲の人物が取るべき一番確率の高い方法はなんでしょうね。ワトはどう思う?」
「そんなの、病院に直行でしョ」
「それが一番“確率が高い”よな。しかし……そのとき、誰も病院に行っていない。下階層へのエレベーターへ向かった。
――そうですよね。トルアキフ光爵」
「……さあな。落ちたときは……意識がなかったから……知らない」
「そうですか……ですが、気絶しているならば、確率が高いのは病院にいくこと、それは確かですよね?」
「……一理はあるな」
「では、もうひとつ。第六階層でひとりの情報屋が行方不明になっています。ヴザライという情報屋でして、彼女は壁抜けと変化の達人でした……どこに消えたのが一番確率が高いでしょうね?」
「知らんよ、なんの話だ?」
……ん?
本当に突拍子のない質問だが、ん? あれ?
あたしがふと気付いたとき、使用人のおばちゃんがトルアキフ光爵から、光爵夫人の肩を出して一歩二歩、距離を置かせた。
「それが?」
「一体彼女はどこに消えたか? なぜ長尾さんと瀬蓮さんは第六層に向かったのか? それを関連付け……飛躍させると、不思議とパズルが収まる……確率が高い回答があるんです。
――落馬したとき……
「セロ、それマジで言ってル?」
「トルアキフ光爵は即死だった。そして亡くなったとき、一緒に居た瀬蓮執事と長尾譚爵は、こう考えた。“なんで今なんだ”と」
「奥さんが身重、ネ」
先ほど、乗馬クラブでおしゃべりな担当さんが言っていた言葉を思い出した。
子供さん、というか後継ぎがいない状態で貴族が亡くなれば、爵位は取り消され、家は取り潰される。
跡取りさえいれば法的に爵位を継げるというのに、あと数か月で産まれるというのに。なぜ今なんだ、と。
それなら、あと数か月、いや、あのお腹なら数週間だったかもしれない。
「御恩がある光爵さまの家を守るためという大義名分。
実利的にも執事は自分の職場、譚爵は後ろ盾になる上司、どちらも光爵家が消えたら困ります。
執事と譚爵のできる中で、最も確率が高い解決策はアンダーグラウンド――つまり……替え玉」
セロはトルアキフ光爵を真っ直ぐ見据える。お前はニセモノだ。そう視線でなじるように。
当のトルアキフ光爵は、目を見開き、唇をかみしめ、少女のように身体を震わせる。
ヴザライは少女という年齢ではないが、まだまだ確か若い女だったはずだから、そういうこと、だろうか。
「ずっとじゃない。お子さんが産まれるまでで良い。そのために第六階層一の情報屋、カ・ル=ダモンを尋ねた。そこで口が堅くその上で変身能力の高い人物……ヴザライを紹介されたはずです」
「想像だろう。仮定の話だ、見てきたみたいにいうな!」
威厳あるヒゲに不釣り合いすぎる青いヒステリーをトルアキフ光爵が撒き散らす。
光爵の言葉が否定すればするほど、周囲の人々はセロの推理に信憑性を見出す。
すでに、夫人はその場にへたりこみ、使用人たちが介抱するように、それでいてトルアキフ光爵から引きな話すべく、距離を置く。
セロも踊るように、言葉を選びながら歩き回り、光爵と夫人の間に割って入るように絨毯に足跡を残す。
「見て来たんですよ。全くの偶然ですが三日前、俺はその情報屋のカルダモンに居たんです。俺は長尾さんと瀬蓮さんとすれ違った」
「仮に、仮にそうだとしても! ふたりは医者を探していただけかもしれないじゃないか!」
「医者なら第五階層にだっているでしょう。第二階層在住の人間が、第六階層に医者を求めるなんてのはどう錯乱していても確率が低いんですよ」
「お医者さんの数も上の階層より格段に少ないからネ」
医者の数は住民の収入に左右される。
それは自然なことではあるが、セロや五郎丸さんがちょくちょくボヤいている。
専門医はもちろん、衛生管理も怪しいモグリ医者も珍しくないくらいなのだ。
「推測だ! 探偵の証言なんて! 信じられるものか! でっち上げだ!」
「最初に言ったでしょう? 証拠なんてなにもない。推測ですと。だから……ワト、“S”」
なるほどね。あたしは“S”を低速で発射し、セロはそれを左手で受け取る。
物理的な破壊力はないことをセロは右手をすかしてアピールする。
魔封などを破るためのエネルギー状の刃であり、このままでの殺傷力はペーパーナイフやピーラーより低いくらいだ。
「この剣は魔力だけを斬れます。魔術的影響がないなら、ただすり抜けるだけです。
もし、変身(シェイプシフト)しているなら……その術だけ部分的にでも切断できるはずですがね」
「なぜ、この私が……トルアキフ光爵が! そんなことを! しなければならないだ!」
「……全部言わないと伝わらないか? “お前”はトルアキフ光爵じゃない。
本物の光爵は三日前に天馬から落馬して亡くなった。そして瀬蓮執事と長尾譚爵がそれを隠蔽するために、お子さんが産まれるまでの替え玉としてヴザライという壁抜け・変身能力を持つ女を雇った。
しかし“お前”は気付いた。“瀬蓮執事と長尾譚爵が死ねば自分がニセモノであると知っている人間はいない”と。
光爵としての財産や地位を奪うため、長尾譚爵を自殺に見せかけて殺して、瀬蓮執事を密室殺人に見せかけて殺した。
壁抜けと変身能力を持つ情報屋、ミア・ヴザライ、それが“お前”だ」
「くそ……! くそぉ!」
周囲の人々の悲鳴が重なる中、昆虫の脱皮のように光爵の身体が剥がれ落ちた。
散って床に積みあがっていくそれのあとには均整のとれた顔を歪ませ、女がメガネの奥の瞳に怒りを燃やしていた。
「何度か第六階層で見かけたことがあるな、そうか、お前がミア・ヴザライか」
「もう少しで、もう少しで真実にたどり着けるはずだったのに……よりによってお前が邪魔をするのか! 武城セロ!」
「ジャマをされたくなければもう少し慎重に計画しろ。俺じゃなくても誰だって解くだろう」
セロが自分に注意を引き付けているのは、ミア・ヴザライの近くにいるこの屋敷にいる人たちに下がる時間を与えるためだ。
逃がさないために関係者を集めたのは仕方なかった。あたしもエルちゃんに下がりなさいとくちばしでつついて伝える。
「私が! 私が本当に! 光爵家の財産や地位を目当てだと思ったのか! 猛城セロ! お前が!」
「? なんの話だ?」
「知っているぞ猛城セロ! お前は八年前の猛城甲爵の事件を追っている! 天使を追っているはずだ!
私も同じだ! この閉鎖された世界からの脱出を求めて! 光爵という地位を手放せなかった! 伝爵の最高峰! 真実を! 真実を得るために!
そう、真実を得るために……私は、捕まるわけにはいかない!」
光爵……いや、ミア・ヴザライは壁抜けを発動して床下に抜けた。
逃亡経路、残しておいた道だ。
セロはそれを見届けて窓に走り、振り子のように下の階層へ飛び移る。
「じゃア、すぐ戻るけど、オマワリさんと一緒にいてネ。エルちゃン」
「うん! ワトさんもがんばってね!」
あたしがエルちゃんの腕から飛び出し、セロの後を追って下の階へ滑り込むと、既に状況は極まっていた。
壁抜けという面倒な相手を捕まえるために、そして奥さんや使用人の人たちの危険が及ばないように推理をするときにセロは一か所に集めたのだろう。
壁抜けと変身を使える人間を捕えるなら罠が一番。
最初から足元という逃げ道を残しておくことで、セロは袋のネズミにしてみせたのだ。
下には半信半疑ではあるが集められて武装した軍警察と、魔封じのブルーシートを床一面に引いていた。
だが、ミア・ヴザライは下がった。ふらつくように壁に背をあて、そのまま背後に融けるように消えた。
「エ? セロ!? あそこ抜けられるノ!?」
「いや、あそこは分厚い壁で抜けられないはず……ワト! “D”!」
セロは“S”を放り投げ、その手にあたしが“D”を発射する。
テンポよく道具を持ち変え、セロはそのままの勢いで壁にドリルブレードを叩きつける。
「隠し通路、か」
元が工具だけあって、壁を破壊するのはお手の物。
ドリルブレードが切り拓いた先には、下へ下へと階段が続いていた。
また地下遺跡? 第二階層、地下遺跡多すぎでしょ。
あたしはセロの肩に乗り、軍警察の皆さんの戦闘を駆け抜ける。
ただの女、戦闘力はセロに比べるべくもなく低いだろうし、騙し合いでもあたしとセロが注意していれば防げるはず。軍警察の人たちもいるしね。
ただの悪あがき、そのはずだが、がっぽりと口を開き地下へと続く道が、幾魔学の闇を象徴しているように見えた。
“この闇の中にはなにかいる”。
あたしの女の勘は、あたしの美しさに比例するように、よく当たるのだ。
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