6話
昨日使っていたエレベーターのチケットがまだ期限内だったので、あたしたち三人は、直通エレベーターで再び第二階層に向かっていた。
階段を使うのは時間がかかるし、なにより強盗やら人攫いやら、まあまあ出てくる。
あたしとセロだけならともかく、美少女のエルちゃんがいるしリスクも高い。
セロのエレベーター嫌いのポリシーなんか第六階層の廃品回収にポイだ。
最初にキャリーバックを受けた郵便局へ向かったが、そちらでは案の定、情報提供は受けられなかった。そりゃそうだ。顧客の情報を第六階層から来た得体のしれないあたしたちに言う理由がない。
他に手掛かりらしい手掛かりもなく、自然とあたしたちはダルバン白爵に会いに行くことにした。
「こんなに早く来て下さるとは! ゆっくりしていってください!」
普通は、下階層からの来客といえば不穏なものであると考えるだろう。
緊急時以外なら門前払いが当たり前、白爵といえば貴族の中でもかなり上位に位置する。
侮蔑やら不安やらの目で見られたが、当のダルバン白爵はテンション高く出迎えてくれたのがかなり意外だった。
まだ写真よりは細いが、昨日アラクネーに縛られていたときよりかなり血色がよくなっている。
あたしはセロが会話しやすいようにエルちゃんの頭の上に丸くなり、成り行きを見守ることにした。
たまには、あたしに頼らず頑張っていただきましょう。
「事件が終わってから、顔を出して申し訳ありません」
「いえいえ。私の方も何度でもありがとうと伝えたいと思っています。いつでもいらしてください。今日は? どういったご用件で?」
「率直に申し上げれば、天使の情報が欲しいんです。俺は……」
「……存じています。八年前の猛城
有名な事件だし、当然と言えば当然か。
猛城というのはこの地下都市でも珍しい苗字だし、セロ自身も隠していないからね。
と、下のエルちゃんがあたしをツンツンと触った。
「ねえ、ワトさん、コーシャク、って何?」
「ああ、貴族の階級よ。皇侯伯子男(コウコウハクシダン)。一番上にこの地下都市で一番偉い皇爵(こうしゃく)サマがいるわ。
その下に、賭け事を司る歓爵(かんしゃく)、ダルバンさんみたいに報道を司る伝爵(でんしゃく)とカ。
セロのお父さんは、戦いを司る戦爵(せんしゃく)で、その中で一番強い甲爵(こうしゃく)サマだったってわケ。侯爵に相当するワ
ふぅん、とエルちゃんはわかったようなわからないような、曖昧な返事。
ダルバンさんの白爵は伯爵に相当する。伝爵の中では二番目に偉い……まあ、面倒だし、覚えてない市民も多いくらいだから、どうでも良いけどね。
「あの事件に関しては、おそらくあなたより知っていることはありません。お役に立てずに申し訳ない」
「いえ。ありがとうございます。それでは……天使に関することは?」
「現代史の研究をしていても天使の情報はほとんどなく、今回の遺跡にも天使の記述は見られませんでした。
目撃情報や噂話程度でしたらお伝えできると思いますが、お役に立つかは……。
本当に噂話ですし、猛城甲爵家の事件まで私自身、天使は都市伝説だと思っていたくらいですから」
表面に出さないようにしているようだが、セロは肩が落ちている。
あたしじゃなくてもガッカリしてるのが分かるよ。エルちゃんも、ダルバンさんもそれを察している。
「何か、他にお役に立てることはありませんか?」
「ああ、いえ、それなら……第二階層で何か事件は有りませんか? 最近起きた変わったこととか」
「私の行方不明以外で、ですか? それなら……長瀬(ながせ)談爵(だんしゃく)の自殺ですかね。昨日、猛城さんが第六階層へ帰層されてからです」
「自殺?」
談爵は、伝爵グループの男爵ポジション。
爵位では一番下で、子に爵位が受け継がれないものだ。出版業界で功績を成した個人を指す。
それ以上の爵位ならば家族に財産だけでなく、地位も受け継げるけどね。
「遺書はないそうですが……直前に“死にたい”とか言っていたとかで。猛城さんの出番はないかと……ああ、そうだ、そこに飾ってある写真の……私の、左隣の男ですよ」
「事件性がないなら、個人の問題ですが……あれ? ワト、この男……」
「ン?」
慰安旅行か何かの写真だろうか、二十人かそこらの人数が写っている。
太っているダルバン白爵の左側、長身の黒髪でインテリっぽい印象を受けるが、あれ?
そういえば……。
「見たことあるよね、セロ? ……確か、ほら三日前。白爵の依頼をダモンから受けたときだヨ。
あたしたちがカルダモンから出るとき、すれ違って入ってきた乗馬着の二人組のひとりじゃなイ?」
ダルバン白爵を探しに行くとき、あたしがセロの食べ残したオムライスを片付けているときに見た顔。あのときは大分慌てていたようだが、こんな顔だった。
あたしは自分の記憶を疑ってもいないが、白爵はそれを肯定するようにうなずいた。
「三日前……それで乗馬着だったら間違いないと思いますよ。彼は週末にトルアキフ光爵(こうしゃく)と乗馬に行っていましたから」
「そのトルアキフ光爵というのは、この写真に写っていますか?」
「ええ。写真の中央の金髪が彼です」
揃えたようにあたしとセロは写真を覗き、そして目を見合わせた。
光爵は侯爵相当であり、地位でいえば皇爵に告ぐはずだが、かなり若い。三〇代だろうか。ヒゲを生やしているがそれでもなお、他に写真に写っている人物たちより相当若く見える。
あのとき見た男はヒゲを生やしてなかったし、それに、えっと……。
「違うよネ? セロ。一緒に居たのは、もっとこウ……」
「背丈は一五五センチから一六〇センチの小男、黒髪をマッシュして福耳、左目の下にほくろが有った。
あのときは焦っているようだったが、笑いジワが目尻にあったから普段は笑い顔。
歩き方からして腰痛の傾向があるが筋肉量からして肉体労働者ではない。座る時間が長い事務仕事をしている……どうかしましたか? 白爵?」
「……すれ違っただけですよね?」
「そうです」
「三日前に?」
「ええ」
「……すごいな、そんなに見ているんですか」
「視界に入ってしまうだけです。ただの職業病ですよ。それより自殺したという長瀬談爵の近くに、そういう男は覚えていませんか?」
「そうですね、それなら……ああ、確かトルアキフ光爵の執事がそんな感じだったような……ええ、確か。そうだ、彼は耳が大きかったな」
「なるほど。その執事の名前はわかりますか?」
「そこまでは……なんと呼ばれていたかな、申し訳ない」
――ダルバン白爵は、本当に親切なんだとあたしは感じた。
分かることを丁寧に語るが、分からないことをしっかりと分からないと伝える。
適当に喋ればいいはずだが、真摯に応対してくれていると分かる。報道関係の貴族というと密主義なのかとも思ったが。
あたしはエルちゃんの頭の上から、抱きかかえられるように移動し、屋敷をあとにした。
「で、次はどこに行くの?」
「第五階層の乗馬クラブ」
「……って、さっきの話? 自殺したナントカ談爵と、福耳の執事がいるカントカ白爵が行ってたていう?」
「長瀬談爵とトルアキフ光爵だよ、ワトさん」
「ありがとエルちゃン……で、その談爵と光爵って人たちを追って、なにをするの?」
「わからないが、ちょっとした可能性が有る」
「そ・CHAPTER6
・【怪事件(ファイリング)】
・【真実を見つめよ。それが真実であると錯覚しているならば】――八日異稿より抜粋。
昨日使っていたエレベーターのチケットがまだ期限内だったので、あたしたち三人は、直通エレベーターで再び第二階層に向かっていた。
階段を使うのは時間がかかるし、なにより強盗やら人攫いやら、まあまあ出てくる。
あたしとセロだけならともかく、美少女のエルちゃんがいるしリスクも高い。
セロのエレベーター嫌いのポリシーなんか第六階層の廃品回収にポイだ。
最初にキャリーバックを受けた郵便局へ向かったが、そちらでは案の定、情報提供は受けられなかった。そりゃそうだ。顧客の情報を第六階層から来た得体のしれないあたしたちに言う理由がない。
他に手掛かりらしい手掛かりもなく、自然とあたしたちはダルバン白爵に会いに行くことにした。
「こんなに早く来て下さるとは! ゆっくりしていってください!」
普通は、下階層からの来客といえば不穏なものであると考えるだろう。
緊急時以外なら門前払いが当たり前、白爵といえば貴族の中でもかなり上位に位置する。
侮蔑やら不安やらの目で見られたが、当のダルバン白爵はテンション高く出迎えてくれたのがかなり意外だった。
まだ写真よりは細いが、昨日アラクネーに縛られていたときよりかなり血色がよくなっている。
あたしはセロが会話しやすいようにエルちゃんの頭の上に丸くなり、成り行きを見守ることにした。
たまには、あたしに頼らず頑張っていただきましょう。
「事件が終わってから、顔を出して申し訳ありません」
「いえいえ。私の方も何度でもありがとうと伝えたいと思っています。いつでもいらしてください。今日は? どういったご用件で?」
「率直に申し上げれば、天使の情報が欲しいんです。俺は……」
「……存じています。八年前の猛城
有名な事件だし、当然と言えば当然か。
猛城というのはこの地下都市でも珍しい苗字だし、セロ自身も隠していないからね。
と、下のエルちゃんがあたしをツンツンと触った。
「ねえ、ワトさん、コーシャク、って何?」
「ああ、貴族の階級よ。皇侯伯子男(コウコウハクシダン)。一番上にこの地下都市で一番偉い皇爵(こうしゃく)サマがいるわ。
その下に、賭け事を司る歓爵(かんしゃく)、ダルバンさんみたいに報道を司る伝爵(でんしゃく)とカ。
セロのお父さんは、戦いを司る戦爵(せんしゃく)で、その中で一番強い甲爵(こうしゃく)サマだったってわケ。侯爵に相当するワ
ふぅん、とエルちゃんはわかったようなわからないような、曖昧な返事。
ダルバンさんの白爵は伯爵に相当する。伝爵の中では二番目に偉い……まあ、面倒だし、覚えてない市民も多いくらいだから、どうでも良いけどね。
「あの事件に関しては、おそらくあなたより知っていることはありません。お役に立てずに申し訳ない」
「いえ。ありがとうございます。それでは……天使に関することは?」
「現代史の研究をしていても天使の情報はほとんどなく、今回の遺跡にも天使の記述は見られませんでした。
目撃情報や噂話程度でしたらお伝えできると思いますが、お役に立つかは……。
本当に噂話ですし、猛城甲爵家の事件まで私自身、天使は都市伝説だと思っていたくらいですから」
表面に出さないようにしているようだが、セロは肩が落ちている。
あたしじゃなくてもガッカリしてるのが分かるよ。エルちゃんも、ダルバンさんもそれを察している。
「何か、他にお役に立てることはありませんか?」
「ああ、いえ、それなら……第二階層で何か事件は有りませんか? 最近起きた変わったこととか」
「私の行方不明以外で、ですか? それなら……長瀬(ながせ)談爵(だんしゃく)の自殺ですかね。昨日、猛城さんが第六階層へ帰層されてからです」
「自殺?」
談爵は、伝爵グループの男爵ポジション。
爵位では一番下で、子に爵位が受け継がれないものだ。出版業界で功績を成した個人を指す。
それ以上の爵位ならば家族に財産だけでなく、地位も受け継げるけどね。
「遺書はないそうですが……直前に“死にたい”とか言っていたとかで。猛城さんの出番はないかと……ああ、そうだ、そこに飾ってある写真の……私の、左隣の男ですよ」
「事件性がないなら、個人の問題ですが……あれ? ワト、この男……」
「ン?」
慰安旅行か何かの写真だろうか、二十人かそこらの人数が写っている。
太っているダルバン白爵の左側、長身の黒髪でインテリっぽい印象を受けるが、あれ?
そういえば……。
「見たことあるよね、セロ? ……確か、ほら三日前。白爵の依頼をダモンから受けたときだヨ。
あたしたちがカルダモンから出るとき、すれ違って入ってきた乗馬着の二人組のひとりじゃなイ?」
ダルバン白爵を探しに行くとき、あたしがセロの食べ残したオムライスを片付けているときに見た顔。あのときは大分慌てていたようだが、こんな顔だった。
あたしは自分の記憶を疑ってもいないが、白爵はそれを肯定するようにうなずいた。
「三日前……それで乗馬着だったら間違いないと思いますよ。彼は週末にトルアキフ光爵(こうしゃく)と乗馬に行っていましたから」
「そのトルアキフ光爵というのは、この写真に写っていますか?」
「ええ。写真の中央の金髪が彼です」
揃えたようにあたしとセロは写真を覗き、そして目を見合わせた。
光爵は侯爵相当であり、地位でいえば皇爵に告ぐはずだが、かなり若い。三〇代だろうか。ヒゲを生やしているがそれでもなお、他に写真に写っている人物たちより相当若く見える。
あのとき見た男はヒゲを生やしてなかったし、それに、えっと……。
「違うよネ? セロ。一緒に居たのは、もっとこウ……」
「背丈は一五五センチから一六〇センチの小男、黒髪をマッシュして福耳、左目の下にほくろが有った。
あのときは焦っているようだったが、笑いジワが目尻にあったから普段は笑い顔。
歩き方からして腰痛の傾向があるが筋肉量からして肉体労働者ではない。座る時間が長い事務仕事をしている……どうかしましたか? 白爵?」
「……すれ違っただけですよね?」
「そうです」
「三日前に?」
「ええ」
「……すごいな、そんなに見ているんですか」
「視界に入ってしまうだけです。ただの職業病ですよ。それより自殺したという長瀬談爵の近くに、そういう男は覚えていませんか?」
「そうですね、それなら……ああ、確かトルアキフ光爵の執事がそんな感じだったような……ええ、確か。そうだ、彼は耳が大きかったな」
「なるほど。その執事の名前はわかりますか?」
「そこまでは……なんと呼ばれていたかな、申し訳ない」
――ダルバン白爵は、本当に親切なんだとあたしは感じた。
分かることを丁寧に語るが、分からないことをしっかりと分からないと伝える。
適当に喋ればいいはずだが、真摯に応対してくれていると分かる。報道関係の貴族というと密主義なのかとも思ったが。
あたしはエルちゃんの頭の上から、腕の中に抱きかかえられるように移動して屋敷をあとにした。
「で、次はどこに行くの?」
「第五階層の乗馬クラブ」
「……って、さっきの話? 自殺したナントカ談爵と、福耳の執事がいるカントカ白爵が行ってたていう?」
「長瀬談爵とトルアキフ光爵だよ、ワトさん」
「ありがとエルちゃン……で、その談爵と光爵って人たちを追って、なにをするの?」
「わからないが、ちょっとした可能性が有る」
「それはまあ、可能性は常に無限大でしョ」
「ああ。もしかしたら杞憂かもしれない。ダモンの行方不明も急に旅行にでも行きたくなっただけかもしれないし、談爵の自殺というのもなにか悩みかもしれない」
「ていうか、それが一番自然じゃなイ?」
「ああ。だが、もし……俺が考えている通りなら、もう少し調べてみる必要がある」
「ノーギャラだけド?」
「……悪いな、付き合わせて……だが、談爵と執事があのときカルダモンに現れたのは不自然に思える」
「ご飯でも食べに来たんじゃないノ。第六階層って第五階層に近いし」
「第五階層にも飯屋はあるだろ。それに執事が雇い主である光爵を放置して飯屋に、って有り得るか?」
それは、そうなのだ。
あのとき、すれ違った男はふたり。執事と談爵。
トルアキフ光爵の取りまきふたりだけで、当のトルアキフ光爵がいなかった。不自然だしそれに回答がない。
「なら……情報屋に用事があった、ってこと?」
「新聞屋の光爵や談爵が、第六階層のアングラ情報屋に乗馬の服のまマ? どういう状況ヨ?」
「それを調べに行く、ということだ」
そしてあたしたちは、第三階層へのエレベーターまで歩いて行く。
第二階層住民は自家用車や馬車を持っているので、第二階層には公共交通機関がないし、下階層からバイクを持ち込むと関税やら記入やら、手間が掛かる。
そのため、近場にある第三階層へのエレベーターを使い、そこから第三階層の路面電車に乗り換えて第五階層へのエレベーターに乗り換えるのが速い。
あたしたちは、何を探しているのか誰もわかっていなかった。
ダモンはエルちゃんの入ったバッグをどうしたのか、なぜそれを第二階層から送ったのか、そしてダモンはどこに姿を消したか。
そもそも、送ったのはダモンなのか? 考えがまとまらない。
「ねえ、あれ何? ワトさん?」
「馬車。引いているのはユニコーン。排気ガスは地下都市内の空気を汚すから、第二階層では馬車が流行ってるワ」
「あれはあれは!」
「多目的トイレ。ケンタウルスとかトイレに苦戦する人用に、上の階層では整備してあるのヨ」
「セロさんも、前はここに住んでたの?」
「区画はちょっと先だな……家ももう残ってないし、右腕がこれだとな」
あ、もう。
セロの説明不足をあたしがいつものように付け足す。
「セロは右腕が義手でしョ? 静脈認証は右しか入力してなかったから上の階層じゃ本人証明できないノ。左手は下の階層で新しく登録したヤツだシ」
「邸宅自体は燃えたが、甲爵家の財産となればな。裁判沙汰をするレベルだ」
「あるオカネは使えって言ってるけど聞かないのヨ。コイツ」
それのせいなのかなんなのか、食事はいつも喫茶店カルダモン。
毎日ステーキとか食べれるくらいお金あるくせに……今はそれも食えないくらいだから、早めにダモンを見付けないといけないんだけどね。
「天使を斬るのが優先だからさ。お家は取り潰しでも仕方ないさ」
「とりつぶ……?」
「だからセロ。エルちゃんが分かるように言いなっテ。上位の貴族は子どもに爵位の継承ができるんだけど、世継ぎがいないとか、セロみたいにやる気がないと取り潰しって言って、家がなくなっちゃうノ」
「じゃあ、今の甲爵さまって?」
「不在。最強の貴族が継ぐそうだけど、しばらく無理そうネ。前の甲爵さま……セロのお父さんが強すぎたかラ」
そんなこんなで、あたしたちは第五階層に向かって行った。
第五階層、農場の端っこで行われている乗馬クラブ。
セロはそのときの聞き込みをしたら、意外と早く辿り着いた。
どこの職場でも口の軽い、ヒマな職員さんというのは居るもので、ここではここの責任者さんだったりした。
まあ、責任者が一番ヒマっていうのもそこまで珍しくないんだけどね。
この乗馬クラブの責任者の彼女は“いいよね”と声を掛け、あたしたちが返事するより早くタバコに火を付けそうになった。
あたしが口を出すより一瞬早く、セロが申し訳ない、とエルを指差した。
子供がいるなら仕方ないと職員さんはタバコをしまい、話を始めた。
……いや、指摘されなくても吸うなよ。
「――落馬? 光爵が馬から落ちたのか?」
「ええ、あのときはビックリしちゃったんですよ。普段は大人しいペガサスなのに、急に暴れて」
「天馬(ペガサス)からの落馬って、空飛んでたの?」
「大して高くはなかったけど、三メートルくらいかな? それを一緒にいた譚爵さまや執事の瀬蓮(せはす)さんが連れて行って……そういえば、下の階層へのエレベーターだったから、変だなァ、とは思ったのよ」
「なら、その足で執事さんと譚爵って人が第六階層のカルダモンに行ったってことよネ?」
「……そういうことになるな。それで? 怪我しなかったのか?」
「トルアキフ光爵、奥様が身重だからって乗馬を控えてたんですけど、久しぶりに来てくださってアレですから。ビックリしましたよ。
うちも責任問題ですから問い合わせ……っていうか、お見舞い?に電話したんですけど、なんともなかったんですって。
いや、もう、ほんと助かりましたよ。執事さんが電話に出てくれたんですけど、お見舞いとかも来なくて良いって言ってくれて。助かりましたよ」
「……なんともなかった、ネ」
あのとき、すれ違った執事さんと譚爵さんは大分焦ってたように見えたけど、“何事もなく”?
んで、何事もなかったにも関わらず、そのあと、譚爵さまは自殺……と?
「ねえセロ、これってサ?」
「ああ、トルアキフ光爵の家に行く必要がありそうだな」
「……ねえ、あんた、あの有名な斬殺探偵でしょ? なにかあったの?」
「あるかもしれない、と調べている段階ですので、お気になさらず」
「ふうん、ところでさ」
タバコを消しながら、彼女は机の中から色紙を取り出し、セロに差し出してきた。
「有名人のサイン集めてるのよね。第六階層一の有名人のサイン、いただけるわよね」
第六階層のどんな人物よりも有名、とされていしまう探偵ってどうなのよ。
その有名人一行が、第二階層のトルアキフ光爵の豪邸の前に到着したとき、軍警察の車両が大挙して押し寄せていた。
そんな集まった警官より多いんじゃないかと思える。
セロは、あたしを抱いたエルちゃんを抱いて人垣を通り抜けていく。
こういうのは層を問わないらしく、輪をかけてヒマそうにしているおばさんに声を掛けた。
「……どうしたんですか?」
「殺人事件ですって! 執事さん……瀬蓮さんが殺されたらしいのよ!」
……それ、この前自殺したっていう譚爵さんや、ここの主人の光爵さんと一緒に乗馬クラブに行ってた人よね。
奇怪な事件の発生、ちょっとまた調査が長引いたってこと?
そこでセロは立ち入り禁止のテープの内側にいる、一番偉そうにしているオジサンを見つけ出して、手を振った。
ここでも捜査の協力でも申し出るんだろうなァ、セロは。
「すいません! そこの刑事さん! もしかして! 密室殺人か不可解な自殺じゃないですか!」
セロの突拍子のない質問は、刑事さんの分かりやすい表情が肯定していた。
――ちょっと待って。え? なに言ってるの? セロ? え? は?
「俺は第六階層で探偵をしている猛城セロと申します! 俺、この事件の犯人、知っていると思います!」
「猛城セロ……斬殺探偵か!? なにを言っている!?」
「証拠はありません、ありませんが――可能性が高い仮説を持っています!」
突拍子のない言葉に思えたが、エルちゃんもそりゃそうだ、という顔をしている。
え、ちょっと待って。あたしだけ? わかってないの、あたしだけ? え? どういうこと?
事件の調査、ではなく、真相を知っている、と? え? え?
わかってないの――あたしだけ?
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