5話
第六階層に犯罪は尽きない。
法律は存在しているが、その存在を知らない連中、捕まって初めてそれが違法であると聞かされるヤツもいる。
今回のふたり組の犯人たちは、明らかに知って犯したヤツらだった。焦りと共に悪意の臭いが染み付いている。
それを追う、顔見知りの路地を走る鬼刑事。例えではなく、本物の“鬼刑事”が追っている。
「止まれ! 止まらねぇなら撃つぞ!」
本当に止まると思っているわけじゃないけど、逃走犯への威嚇と周囲への注意喚起で言っているのだろう。
逃走犯のひとりが足を止めて振り返り、精神から魔力を編みだし、両手の中に抱きかかえるように炎の玉を出現させている。
「我に迫る狂人を穿て! 炎が精霊、今顕現せよ! 【廉火波(バーン・スプラッシュ)】!」
犯人は呪文を叩き込もうとするが、そんな低級呪文ではなあ。相手が悪い。
炎は犯人の手元から離れる瞬間、消えて無くなった。炎を上回る勢いで発生した冷気が両手を凍り付かせて。
呪文の失敗じゃない。それが追っている鬼刑事さんの武器、
「え、ちょ、これ、ああああ!?」
「うるせぇぞ、小僧」
歩みを止めることなく、鬼刑事は剛腕を犯人の首に叩きつけ、犯罪者ひとりをノックダウンさせる。ラリアット。
その犯罪者の片割れはといえば、足を止めずに逃げていく。あいつ、仲間をあっさり見捨てて逃げてる?
流石は犯罪者。言い訳のしようもなくクズだわ。
あたしの心の声が聞こえたか聞こえてないのか、鬼刑事さんも溜息ひとつ。
「仲間を見捨てるようなクズには――」
鬼刑事は右のガンベルトからリボルバーを抜いた。
彼の左腰に下げてある軍警察の制式拳銃は角ばった四角四面なブローバック拳銃であるが、右は彼の私物。
鬼刑事の構えている物は、第六階層で銃工(ガンスミス)が手作業で作っている丸い弾倉が回転するリボルー拳銃。
呪文が使えるならば拳銃を用いる必要はあまりない。
何せ呪文なら携帯せずに弾切れも心配ない。だが、鬼刑事の彼は呪文を扱えない。
魔力は“普通の人間”を大きく凌駕しているが、口と舌の構造がヒトと異なり、詠唱のための発音ができないのだ。
では、どうするか。
「――手加減しねぇぞ」
銃口内部には溝(ライフリング)が刻まれている。これが強固に尖っている。
特殊な加工が弾丸の表面に刻まれており、弾丸がその溝を滑るとき音が出る。
レコード盤が針と溝で音楽を奏でるように、鬼刑事は弾丸と銃口で一瞬のうちに音を組み上げ、それが詠唱となる。
【
弾丸は加工しやすいように樹脂でできており、発射の熱と魔力の共鳴で霧散する。
結果、銃口から放たれるのは、凝縮された冷気の魔力であり、相棒を見捨てた逃亡者の両足を凍結させ、決着がついたのを確認し、セロはひょっこりと顔を出した。
その手には愛用のドリルブレード、使われることがなかったそれを、あたしは体内に戻した。
「……手助け、やっぱり要りませんでしたね」
「先生! どうしたんですかぃ?」
「先生はやめて下さいよ、五郎丸(ゴロウマル)刑事。俺より年上なんだから」
「いえいえ。俺は先生に返しきれないほど世話になっちまった。先生と呼ばせていただきますよ」
鬼刑事……五郎丸さんは、大きなアゴからキバを覗かせながらセロに笑いかけた。
彼は五郎丸刑事。
背丈はセロと同じくらいに見えるが、オーガとしてのクセなのか、背を丸めて歩くクセがある。背筋を伸ばせば頭ひとつセロより大きいくらい。
その追跡中に遭遇したあたしたちは、その援護をしようと右腕のキャタピラで壁によじ登っていたが、無駄に終わったってわけ。
当のゴロウマル刑事は、以前に解決した事件でセロに借りが義理立てしてくれる。
その彼は、ふたりの犯罪者を拘束している氷は砕けないので、手錠を付け足してから尋ねてきた。
「で、なんですかい? 先生が俺に会いに来るときといえば、何か用事があるときだ」
「お見通しですか。話が早くて助かります。迷子を見つけたんですが……エル!」
路地裏にあたしを頭に乗せた美少女のエルちゃんがてくてくと入っていく。五郎丸さんは眉をひそめた。
この第六階層では、可愛らしい女の子というのは、それだけで犯罪の匂いを感じ取ってしまうだろうし、それが迷子で、しかも探偵のセロが連れてくる。
普通じゃなくても身構えるが、五郎丸さんはしゃがみ込んでエルちゃんと視線を合わせた。
「こんにちは。エルです」
「挨拶ができるのかエルちゃん。俺は五郎丸だ。よろしく頼む」
「どうにも記憶喪失らしいんです。静脈を読んで欲しいんですよ」
「それはもちろんは構いやしやせんが……それなら俺でなくても、警察署でもできるでしょう?」
「警察署だと預けることになりますよね」
「親御さんを探しますからね。それまではうちの宿舎で保護しやすが……」
「多分だが、肉親は見付からないと思う」
「……何か、事件絡みですかぃ」
「しばらく、俺に預からせてほしい」
立ち上がり、セロと目を合わせた。
五郎丸さんは良い刑事さんだ。知り合いだからという理由で何かを怠ることはない。
見ず知らずの女の子を、保護したいと男が言い出している。それは警戒する。
相手が恩義のあると思っている探偵のセロだとしても、例外にしない。
「どうしてか、聞かせてもらえますかぃ?」
「俺が天使を探しているのは話しましたよね。その手掛かりをこの子が持ってるかもしれない」
「なるほど。確かにベッピンさんだ。天使かもしれない……で、この子に危険はないんですかぃ?」
「危険は……あるかもしれない。だが、恐らくそれを一番身近で守れるのは俺だと思う」
「……どこにいても危険は同じ、ってことですかぃ……細けぇとこは署に戻ってから聞きやすよ」
五郎丸さんは後部座席に犯罪者ふたりを放り込み、あたしたちに手を振った。
そしてここまで移動してきたセロの愛機まで戻る。
セロのバイクは、後輪がふたつあるチョッパーハンドルの赤いフルカウルのトライク。三輪バイク。
ハンドルの下にあたしようの座席があり、エルちゃんは座席のうしろでセロに掴まってくる。
乗ったところで、あたしは思ったことを口にした。
「ねエ、セロ」
「ん?」
「エルちゃんを守るっていうのウソじゃないよネ?」
「ああ……自然に、言葉が出たな。そういえば」
「じゃあ、お姉さんかお母さんか仇が見付かるまでは守るってことよネ」
「……まあ、そうだな」
「お世話になります」
「お世話しまス!」
守る、という言葉が馴染む。
そういうヤツだと気付いて、少しだけ安心するあたしがいた。
上階層には持っていけないトライクの上、あたしたちは第六階層のおとめ分界警察署に向かった。
第六階層おとめ分界警察署。
七階建てと第六階層ではかなり背の高いレンガの壁は、何カ所もコンクリートやモルタルで塞ぎ、そこに結界して補強してある。
そこまで古い建物ではないはずだが、しばしば襲撃されたり、逃走犯が穴をあけるのでかなりくたびれて見える。
先月に酔っ払ったミノタウロスが壊して新調したからだろう、真新しい出入口から中に入っていく。
中では、嵐のように警察官が走り回る。
犯罪と戦う最前線であるが、第二階層に比べると人数は驚くほど少ない。
高額な税金のある上階層に比べれば、人数も少なくなる。だが犯罪件数は反比例して多くなる。
端が剝がれた革張りの椅子に腰かけ、あたしはエルちゃんの膝の上で丸くなる。
「ねえワトさん、じょーみゃくにんしょー、ってここでしかできないの?」
「そういうわけじゃないヨ。宅配屋さんとかは持ってるし、銀行とかにもあるかラ」
「それでも、ここでするの?」
「行方不明のデータがここにしかないからネ」
「――お待たせしちゃいましたかね、先生方」
そんな中、先ほどの氷漬けの犯罪者を檻に入れる手順を終わらせてきた五郎丸さんが黒いタッチパネルの付いた機械を手に現れた。
静脈認証用の端末だ。
「エルちゃん。右手の指、どれでも良いから入れてくれや」
「これ、わたしのってわかるの? 魔法とかで変えられたりしないの?」
「頭の良い嬢ちゃんだな。そいつはできなくはねえ。手術で他人の指と付け替えるとかね。ただ人間がやると傷が残ったり、魔法の痕跡みたいなのが残る……該当ねえな」
ある程度予想していたらしく、五郎丸刑事もセロも大して驚いていない。
エルちゃんには悪いけど、あたしもそうだと思ってた。
「該当がない……って、わたし、いない人なの?」
「別に珍しい話じゃあない。産まれたときに登録するが、捨て子とかだと登録されないケースも多いな。俺もそうだったしな。
あとは先生みたいに登録していた右腕が無くなったから左を再登録するケースとかだな。悪ィが正直……うちだと親御さんは探してやれんな」
「……どうして? ですか?」
「情けない話だが、第六階層の軍警察の人員不足だな。殺人や凶悪事件だけで手が一杯なんだ」
軍警察の人員は、人口比で第二階層の半分以下、だっけか。
第六階層は住民から税金を取っていない、というか、取れていない。それを軍警察や第六階層の修理修繕に分散するので、第二階層に比べて治安維持に回せる金額は減る。
エルちゃんは泣きだすでもなく、膝の上のあたしをギュウっと抱きしめた。
「……で、先生、この子は誰かに狙われているんですかぃ?」
「まだわかりません。ただ、この子は記憶喪失で、キャリーバッグに魔封された状態で郵送されてきましたよ」
「……事件性ナシとする方が無理がありますね」
「俺が八年前に見た天使と似すぎている。天使との繋がりも考えると、俺が預かりますずかります」
「先生にℋ悪ぃんですが、俺にはそれが安全とは思えませんがね」
「どこにいても安全ではないでしょう。五郎丸刑事と渡り合えるレベルの人間が、付きっ切りで守ってくれますか」
「それは……」
人員不足の第六層警察、その中で五郎丸さんのような人材が過重労働(オーバーワーク)がちなのは、予想するまでもない。
事件性が有るかもわからない子を、期限もわからず警護することはできないだろう。
「どこにいても危険なら、俺が守ります」
「言っては悪いですが、それは先生の都合でしょう?」
「そうです。だからこそ、俺は俺のためにも、エルを全力で護ると約束できる」
しばしの沈黙。
実際に五郎丸さんとセロは戦ったことはないが、この第六階層で屈指の戦闘力を持っているのは確かだろう。
それを五郎丸さんも知っているし、安全であると担保できる人員は、第六階層の警察署にはないのだ。
第六階層軍警察の仕事は治安を破壊する重大犯罪者との戦いなのだから。
「……分かりやしたよ。迷子を発見者が警察に届けた上で保護する、それ自体は問題ないですからね。エルちゃんもそれでいいかな?」
「うん。セロさんとワトさん、一緒にいます」
「もし困ることが有ったら、一一〇番して優理(ゆうり)に繋げ、と言ってくれ。すぐ繋いでくれるはずだ」
「……ユウリ、さんって?」
「俺の下の名前だ。五郎丸(ごろうまる)優理(ゆうり)。俺があまり人に教えたがらないのを警察はみんな知ってるからな。“イタズラじゃない”という前提で動いてくれるはずだ」
ハーフオーガの強面鬼刑事で名前が優莉って。
あたしは初めて名前を聞いたときはビックリしたけど。
「なんで言いたくないの? すてきな名前なのに?」
「まあ、今は俺も気に入ってるがね、ありがとう。」
「ありがとうございます五郎丸さん。お手数かけてすいません……昼飯食いました? カルダモン行きません?」
「すんません先生。今日はカミさんが弁当作ってくれやして……ん? 聞いてやせんか? 昨日からカルダモン、開いてないそうですよ」
「……今日もですか?」
「情報屋の行方不明が流行ってるんですかねぇ。ミア・ヴザライは三日前から音信不通と来たもんだ」
「ミア・ヴザライって……誰でしたっけ」
「行動派の情報屋でしョ。ダモンとかは情報交換でネタ作ってたけど、変身(シェイプシフト)と
「先生がご存知ねえのも仕方ないですよ。変身能力者(シェイプシフター)としてはかなりのもんですが、短慮で情報の扱いが雑でしたからね」
ダモンの方は火炎術師、散弾銃士、呪印士と色々と二流なスキルは有ったが、情報屋としては大して役立っていなかった。
直接使えそうなスキルでも、情報そのものの取り扱いが悪ければ、客は付かないということか。
だが、一番の問題は、その使える情報屋がいないということなんだよね。
「……行くしかない、か」
セロは、エルちゃんが入っていたキャリーバックに付いていた伝票を見直した。
なぜか第二階層から出されていた奇怪な伝票。
この不自然以外に、次に繋がるヒントが見いだせないのだから、第二階層にまた行くしかない。
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