十六日目 世界の転換点

 セラ姉より先に目覚めた。それもそうだ。セラ姉はカダーシャさんと一緒に一晩中戦ってたんだ。今は寝かせてあげよう。中庭で井戸を使おうと思って廊下に出る。階段を降りようとしたところで背後に魔力を感じ取った。振り向くと、リラが少しだけ扉を開けて様子をうかがっている。たぶん音をたてないよう、こっそり行動したんだと思うけど、魔覚で察知してしまった。目が合う。

「おはようリラ。中庭に行くけど、少し話さない?」

リラは控えめに頷くと、おそるおそる部屋から出てきた。昨日の夜にエトナさんが近所の家から拝借してきたらしい服に着替えてる。髪も綺麗に整えていて、〈夢の言伝て〉で見ていた姿とはだいぶ印象が違う。女の子らしさに、少しどぎまぎしてしまう。


 変わったのは見た目だけじゃない。なんだかよそよそしい。中庭に着くまでの間、リラは黙って俺の後ろをついてきた。警戒しているような……? なんでだろう。ちょっぴり寂しい気分。

井戸で水を汲んで、手ですくって飲む。リラにも勧めたけど、思いつめたような顔をして動かない。

「どうしたの? 心配事があるなら何でも言ってほしい」

そう言うと、リラは少し迷った後に、髪をかきあげてみせた。耳の上に何かある。

「ツノを切った跡です」

リラはそう言った。ツノ? ああ、そうか。

「リラって魔族だったんだ。ツノは誰かに切られたの?」

ツノの跡は髪の毛に隠されていた。リラの髪も目も人族でも珍しくない色だから魔族だとは思ってもみなかった。

「ツノは私の住んでいた町、エリノークが人族の軍隊に攻められた時に姉さんが切ってくれました。魔族だとばれなければ奴隷にされずに済むって」

そういえば、奴隷を手にいれるために戦争をやってるって聞いたな。

「でも、結局ばれてしまって、奴隷商人に売られたんです。魔術の適性を調べられて、生命術と召喚術しか使えないから安い値段が付けられて、キエルケの奴隷市場で鎖に繋がれていました」

キエルケ……最初にリラが召喚術を偶然発動させた町だ。

「そこでミリシギス伯爵に買われました」

悪魔を召喚したい伯爵は、高い召喚術適性を持った奴隷を探してたのかもしれない。

「大変だったね……」

そう言った俺をリラは不思議そうな目で見た。

「私はてっきり、レイジさんも魔族だと思ってました。レイジさんが私の姿が見えるって言った時には、ツノが無いから仲間だと思われないんじゃないかって心配したんです」

ああ、それで地下牢で俺とセラ姉を見て驚いたんだ。セラ姉なんて魔族には絶対いない髪と目の色だもんな。……人族と魔族は敵対してるから、リラは俺たちを警戒してるのか。

「リラ、俺はこの世界の人間じゃないんだ。リラの召喚術で異世界から呼び出されたんだよ。だから、俺にとっては魔族とか人族とかどうでもいい」

そう言うと、リラは戸惑う。

「私が召喚術で異世界から……??」

「シャナラーラ女神は、強い想いで偶然召喚術を発動させたって言ってたよ」

そう言うと驚いた顔をする。

「私を助けるためだけに異世界から来てくれたんですか!?」

「〈夢の言伝て〉は不完全だったのかもしれないけど、リラがキエルケにいた時から続いてたんだ。返事の仕方がわからなくて、ずっと泣いてるリラを見てただけだったけどね。あっ、俺の世界には魔術が無いんだ。だから魔力の操り方がわかんなくてさ」

リラの目が泳ぐ。

「レイジさんは、私が魔族でも、気にしないんですか?」

「だから、俺はこの世界の常識なんて関係ないんだって。リラはリラだよ」

そう言うと、リラは少し涙ぐんだ。

「ありがとうございます。本当に。私を助けてくれて、ありがとうございます」

「いいって。それより、帰還の儀式ってできるかな? すぐにじゃなくていいんだけど、俺が元の世界に帰るのに必要なんだ」

「帰還の……儀式ですか?」

リラは首をかしげる。まずい。これは知らない反応だ。女神に騙された。

「召喚した対象を元の場所に帰す魔術ということですよね? ごめんなさい。伯爵に読まされた魔導書には書いてませんでした」

ルソルさんの、すぐに帰れないのではっていう予想的中だ。どうしたらいいんだろう?

「レイジさん。私はまた奴隷として売られてしまうんでしょうか?」

「えっ!? そんなことは絶対させないよ」

「でも、お仲間の人族の皆さんに私が魔族だとばれたら……」

ああ、そういう心配をしてたのか。でも、それならたぶん大丈夫だ。

「リラは神官だけが知ってる、この世の真実って、わかる?」

わかりませんという答え。

「この世界の神々は人族と魔族が互いに争う時に生まれる力で、この世界を維持してるんだって。奴隷を欲しがってるのは王公貴族で、神官は人族と魔族の違いなんて無いと思ってるみたいだよ」

そう言うと、リラは何か思い当たることがあったらしい。

「そういえば、私の町の神官様も、人族は本当は魔族と変わらないって言ってました」

俺は頷いてみせる。

「そう。俺の仲間はセラ姉以外、神官だからね、リラを売り飛ばしたりしようなんて思わないと思うよ。セラ姉も、人族と魔族の違いなんて無いって考えの持ち主だし。俺たちと一緒にいる分には大丈夫だ」

リラの表情から少し安堵の色が見てとれる。

「話し込んじゃったね。そろそろみんな起きるんじゃないかな。朝御飯を食べよう」

「あのっ」

リラがまだ何か言いたいみたいだ。

「もう一度! お礼を言わせてください。……レイジさん。本当にありがとうございました。レイジさんだけが心の頼りで、私、レイジさんと〈夢の言伝て〉でお話しできたことで本当に救われたんです。それだけでなく、実際にこうして助けてくれました。いくらお礼を言っても足りないぐらいです」

俺は心が暖かくなるのを感じた。

「そう言ってもらえると、ここまで来た甲斐があるよ」

誰かのヒーローになれるなんて、そうそう無いんじゃないかな。すごく、誇らしい気分だ。


 不意に、地響きのようなものを感じた。遠くから、どどどっと何か音が押し寄せてくる。魔力の反応も多い。ブクゼの方角からだ。リラが怯えた表情を見せる。

「これ……騎馬隊が走る音です!」

なんだって!? 住んでる町を攻め落とされたことがあるリラが言うんだから間違いないだろう。カルゲノからの音じゃないから追手といわけじゃない。それでも、何かわからない以上は警戒した方がいいだろう。

「食堂に行こう! みんなと一緒にいた方がいい!」

リラの手を引いて建物の中に入る。


 食堂には全員揃っていた。

「レイ君! どこにいたの!?」

「井戸の前でリラと話してたんだ。それよりこの音は?」

どこかの軍勢ですね、と険しい顔のルソルさんが窓から外を見る。

「近付いてきます。旗印が見えてきまし――あれは!?」

そう言って、ルソルさんは慌てて宿の外に出てしまった。みんな顔を見合わせる。ルソルさんが軍隊の前に出ていく理由がわからない。

「戦か? 魔術神官。私は喜んで戦うぞ」

そう言いながら、カダーシャさんも出ていってしまった。

「どうしよう?」

「私たちはここで様子を見ましょう」

クレイアさんの提案に乗って、窓から外をうかがう。


 騎馬隊はノルカルゲノに入ってくると、速度を緩め、止まった。エトナさんが「バラダソール軍だ」と言う。

立派な兜をかぶった、隊長っぽい人がルソルさんの前に進み出て馬を下りる。固唾を飲んで見守る中、隊長はルソルさんに向かってひざまずいた!

「殿下、火急の事態です。国へお戻りください」

殿下……? ルソルさんがいつもの柔らかい物腰ではなく、威厳を感じさせる言い方で応えた。

「なぜこのような軍勢でやってきた?」

「対魔族の前線に向かう体で出発いたしました。殿下の捜索が目的だと悟られるわけには参りませんでしたので」

「なるほど……。少しここで待て」

「要件はお聞きになられないのですか?」

「まずは旅の仲間と話がしたい」

隊長はかしこまって返事をすると、立ち上がった。ルソルさんは宿の中に戻ってくる。カダーシャさんもついてきた。

「皆さん。お騒がせして申し訳ありません。少々困ったことになってしまいました」

いつものルソルさんだ。

「レイジ様。申し訳ありませんが、リラさんと共に、私の故郷、バラダソールまで来ていただけませんか? もちろん、セラエナさんも来ていただいて構いません」

困惑が広がる。

「私はレイ君が行くならどこにでも行きますが……」

セラ姉はそう、意見を表明した。エトナさんが口を開く。

「私としてはルソルさんには貸しがあると思ってるんだけど、一度マーヘスに帰ってからバラダソールに会いに行ってもいいかしら?」

構いません、歓迎しますよ、とルソルさん。カダーシャさんは憮然としている。

「魔術神官、貴様何を隠していた?」

「……バラダソール王国の国王は私の兄です」

王族!? ルソルさん王族だったのか! 難しい立場ってそういう……。クレイアさんが眼鏡をくいっと上げる。

「リラさんを連れていくというのは聞き捨てなりません。バラダソールは召喚術を我が物にしようというのですか?」

「それは現時点ではお答えできかねます」

クレイアさんは舌打ちをした。

「どのみち軍隊を前に今の私では何もできない。カルゲノ城の魔導書回収のために動く必要もある。みすみす見逃さざるを得ないとは……!」

睨み付けるクレイアさんを恐れて、リラが俺の後ろに隠れた。

「ルソルさん。俺たちを連れていく理由を教えてください」

ルソルさんは真剣な顔で答えた。

「これからこの世は転換点を迎え動乱の時代が始まります。魔族が力を盛り返し、人族が攻め立てられる時代が来ます。私は祖国を守らなければなりません。レイジ様、リラさん。どうか、お力をお貸しください」

力を貸せと言われても……。

「リラさん。レイジ様を元の世界へ送る帰還の儀式の方法をご存じですか?」

リラは小さく首を横に振って、いいえと答えた。

「では、共に行きましょう。帰還の儀式が記された古文書を探すなら、私がお力になれます」

嘘をついてる雰囲気じゃない。

「わかりました。リラ、セラ姉、行ってもいいかな?」

「私はレイ君とどこまでも行くよ」

「私は……私には……レイジさんを元の世界にお送りする義務があります。行きます!」

「ありがとう。……ルソルさん。俺たちは一緒に行きます」

ルソルさんは微笑んだ。

「レイジ様、ありがとうございます」

クレイアさんは相変わらず敵意に満ちた表情だ。カダーシャさんは興味無さそうに荷物を拾い上げる。

「人狩人、勝負はお預けだな。近いうちにバラダソールまで行く。腕を磨いておけよ」

クレイアさんがくいっと眼鏡を上げる。

「次に会う時は敵同士かもしれませんね。さようなら」

そう言って荷物を背負い、一足先に宿を出て行った。

「セヤロカまで一緒に行けばいいのに」

エトナさんが呆れた様子でそう言うと、ルソルさんに笑顔を向ける。

「私もマーヘスまで連れてってくれるよね?」

「構いませんよ。カダーシャさんはどうされます?」

「一度、大寺院に戻る。お別れだ」

そう言って、宿を出て馬に乗ると、カルゲノの方へ走っていった。

「あっさりしてるわね。じゃあ、私たちも準備しようか」

エトナさんが部屋に荷物を取りに行く。

「レイ君、私たちも準備しよう?」

「うん。リラもおいで」

「わかりました」


 こうして、俺たちはルソルさんの兄が王様だというバラダソール王国を目指すことになった。日本に帰れるのはまだ先になりそうだ。


第一部 完

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