七日目 クレイジーサイコお姉ちゃん

「レイジさん、聞こえますか?」

リラからの夢を通じた連絡だ。召喚術に慣れてきたのか、リラの姿がはっきり見えるようになってる。リラにも俺の姿が見えてるのかな?

(聞こえるよ、何か新しい情報はある?)

「私は今、召喚術の訓練をさせられています。目的は地獄から悪魔を召喚すること。でも安心してください。いざとなれば自害する手段が用意できました」

(自殺なんてダメだ!)

「悪魔が召喚されれば多くの命が失われます。私一人の命でそれが防げるのなら迷いはありません」

(そんな……)

「でも、信じてます。レイジさんが助けてくれるって――」

夢が途切れた。


 朝御飯は例の堅パンと宿で出している根菜のスープ。味が濃厚で、堅パンをしばらく浸すと美味しく食べられる。堅パンも食べ方次第ではいけるんだな。ただの水でふやかすのはもう嫌だけど。


 お腹を満たしてからワンディリマ寺院の前に行くと、セラ姉より年上に見える助祭服を着た女性が待っていた。明るい茶色の髪と目、白い肌、この辺りでは珍しい見た目。その人はルソルさんとカダーシャさんを見ると小走りに寄ってきた。

「あんたたちね! 余計な情報持ってきたのは。何が悲しくて私が悪魔絡みのやばい橋渡らないといけないのよ! それもよりにもよってあの狂犬と一緒にだなんて!」

いきなり怒ってる女性にセラ姉が驚いた声で「エトナさん!」と呼び掛ける。

「えっ、セラエナ? 傭兵ってあんただったの?」

ルソルさんがすかさず、「お知り合いですか?」と尋ねた。

「はい、前線にいた時に酒保の査察官として来られて知り合いました。マーヘスの寺院からの派遣だったんですね」

「エトナさん、よろしくお願いいたします。私はマデルのシャナラーラ寺院から来ましたルソルと申します」

セラ姉を間に挟むことで、怒りをいなしたみたいだ。

「エトナよ。言っておくけど私は実績のために同行するだけだからね。危険なことはしないわよ」

「狂犬のあだ名を知っているのなら自己紹介はいらないかもしれないが名乗っておこう、カダーシャだ」

カダーシャさんが普通に自己紹介してる……。

「お噂はかねがね。できればお知り合いにはなりたくありませんでしたよっ!」

「ははっ、活きがいいな、戦闘向きでは無さそうなのが残念だ」

なるほど、戦う気にならない相手にはある程度普通に話すんだ。

「はーい、そうでーす。しょぼい生命術とちょっとだけ治癒術が使えるだけの無害極まりない女ですよ。間違っても戦わせないように」

ころころと表情が変わる女性だ。神官というのはもっと厳粛な雰囲気の人たちだと思ってた。

「レイジです、よろしくお願いします」

「あんたはどっちの従者? って聞くまでもないか、狂犬の従者なんて、ね」

すぐさまルソルさんがややこしい訂正をする。

「レイジ様は私の従者ではありません」

「嘘!? 戦闘司祭の従者とか、あんた正気!?」

いや――

「いえ、レイジ様はシャナラーラ女神の託宣を受けた方で、旅に都合が良いためこの服を着ていただいているのです。むしろ私が従者です」

「どういうこと? 託宣受けたなら神官でしょ?」

「特例です」

話に入れない……。

「で、セラエナは雇われの護衛よね? 狂犬がいるなら必要無いんじゃないの?」

「違います、私はレイ君のお姉ちゃんです」

その言葉を聞いた途端、エトナさんは真顔になって黙った。きっと本当の弟さんのことを知ってるんだろう。ちらっと俺を見る。何か言いたそうだったけど話題を変えた。

「で、ルソルさん? 何か作戦はあるの?」

そういえば、寺院から借りた地図を見ながら考え込んでたな。

「ある程度は考えていますが、現在のカルゲノの状況が分からないので保留です。無策で突撃するような戦闘司祭じみたことはしないのでご安心ください」

「先制して正面を突破し、懐に潜り込むのが一番速くて確実なのでは?」

「狂犬の発言は無視してもいい空気?」

セラ姉がすぐに肯定する。

「はい、大丈夫です、対話の必要はありません」

「そうだ。私と語り合いたければ拳か刃で頼む。ああ、もちろん鈍器でも元素術でもいいぞ」

エトナさんの表情がとても分かりやすいものになった 。うわあ本物の狂人だ、と思っているに違いない。なんだか可哀想になって、戦いに関しては頼りになりますとついフォローしてしまう。

「えっと、レイジ? キミ、優しいなあ」

エトナさんがそう言って俺の頭にポンと手を置く。するとセラ姉がムッとした顔をした。あ、分かった。昨日の不機嫌も今のこれも、嫉妬だ。多分。お姉さん的な言動がトリガーだ。リアクションに気を付けよう。エトナさんも察したらしい。さっと手を離す。

「まあ、いつまでも立ち話してるわけにもいかないし、さっさと行こうか?」

エトナさんは空気を読むのに長けたコミュニケーション能力の高い人っぽい。さすが商業神の神官だ。それにしてもよくしゃべる。



「うっわ、化け物じゃない」

というのがカダーシャさんの戦闘を見たエトナさんの感想だった。

「ふっ、その手の褒め言葉は聞き飽きている」

今回はラゴが相手だった。俺の幻術修行の一環として、カダーシャさんの幻影をラゴの周囲に配置する〈幻像の投影〉を試してみた。ラゴは術をかけた直後に周囲を見回したので、とりあえず成功はしたと思う。カダーシャさんがすぐに倒してしまったので、どのくらい有効だったのかはわからない。ちなみに事前にルソルさんに対して試させてもらった時にはカダーシャさんの姿が再現できていた。何か言いたそうにしてたセラ姉が口を開く。

「カダーシャさん、次に現れる魔物は譲ってもらえないですか? 私も体を動かさないと戦闘勘が鈍ってしまいますし、レイ君との連携も練習する必要があると思います」

たぶん、後半が主目的だ。カダーシャさんが俺との連携を深めていくのが羨ましいんじゃないかな、きっと。

「そうか、姉と弟の連携を相手に戦う方が刺激的だな。存分に鍛練してくれ」

セラ姉に負けたことがあるはずなのに、すごい自信だ。


 しばらく歩くとヴィルムが現れる。こいつは必ず始めに威嚇してくるから、その間に〈視覚の封印〉をする。あとはセラ姉が頭を一方的に殴り続けて終わった。エトナさんが妙な目で見てくる。

「キミ、えぐい速度で妨害飛ばす幻術士だったのね、怖っ」

まさか人から恐れられる日がくるとは思ってもみなかった。やっぱり俺が幻術をかけるスピードは速いらしい。

「レイジ様、次は幻影を動かしてみませんか?」

動かす!? 一気に難易度が上がったような……。

「少し試してみましょうか。……あぁ、そうだ、レイジ様。視覚と嗅覚に同時妨害ができるのなら、ここにいる四人全員に幻影を見せるということも可能なのではありませんか?」

更に高度なことを要求される。エトナさんが「私も!?」と驚いてる。

「やってみます」

慎重に魔力を操作しよう。ルソルさん、セラ姉、カダーシャさん、エトナさんそれぞれの目に〈幻像の投影〉を試みる。とりあえず慣れてきたカダーシャさんの姿だ。位置は俺のすぐ前に調整する。幻術発動。四人がそれぞれ感嘆の声を上げた。よし、まずは成功だ。続けて、このイメージ上のカダーシャさんの腕を動かして……。

「腕が動いたよレイ君!」

うまくいったみたいだ。よし、それならこういうこともできるんじゃないかな。四人の耳にも魔力を送って……。幻影の口を動かして、戦闘司祭だ、という言葉を〈聴覚の撹乱〉で送り込む。

おおっ! と四人が盛大に驚いた。うまくいった! でも、なんだかものすごく疲れた、知恵熱が出そうだ。

ルソルさんがとても上機嫌な顔をしている。

「なんという才能! 類い稀なる感性です!」

褒めすぎですよ……。

「しかし口の動きと声はずれていたな」

カダーシャさんからの指摘。ああ、やっぱりまだ課題があるみたいだ。

はい、質問、とエトナさんが言う。

「レイジの幻術の才能は分かったけど、それだけの技量があるのに何で初めてやりましたみたいな空気になってるわけ?」

ルソルさんが答える。

「初めてだからですよ。レイジ様には魔覚障害があったので、魔術を使えるようになったのは数日前です」

「成長がえげつない!」

先行きが楽しみだなとカダーシャさん。自分でも着々と力を付けてるのがわかる。自信を持っていいかも。

「レイジ様、そろそろご忠告しておきます。慣れてきた頃合いで、自分の力を過信してしまう者を多く見てきました。初心を忘れずに修練に励んでください」

心を見透かされたようでドキリとした。


 その後は次々と迫る魔物に色んな幻影を見せてみた。途中で気付いたのが、戦うセラ姉の姿をそのままコピーする感覚で〈幻像の投影〉を使うと、難しいイメージをせずとも再現できた。本物と同じ動きしかさせられないけど、少しタイミングをずらすことはできたから、魔物を混乱させるには十分だった。ルソルさんに、それは〈鏡像の投影〉ですねと言われる。


 ここまで色々と試してみてわかったことがある。

「もしかして幻術って、魔物より人間を相手に使った方が効果的じゃありませんか?」

ルソルさんが嬉しそうに「どうしてそう思われるのですか?」と聞いてくる。

「まず、魔物は体の構造が違うので幻術が掛けにくいです。人間が相手なら、目や耳の位置は感覚的に捉えやすいように思います」

「もっともです。ケトゥのように嗅覚が優れている例もありますしね」

「あとは魔物の知能が低いのも気になります。苦労して幻影を見せて混乱させるよりも〈視覚の封印〉だけの方が効率がいいように思います。倒す前提なら少しの隙さえ作れればいいので」

「まったくもってその通りです。元素術士が魔力を変換する時間が稼げればいいわけですから」

「相手を殺してしまわないようにする必要がある時に幻術が活きるんじゃないでしょうか。なので人間相手に使うものなのかなと」

「はい、無用な戦いを避けたり、間違った情報を与えたりといった、知恵を使った運用こそが幻術の肝です。シャナラーラ女神はカルゲノ城への潜入を想定してレイジ様を遣わされたのでしょう」

いや、そこは偶然だと思う。あの女神、全然興味無さそうだったから。


 エトナさんが話に入ってきた。

「博打のイカサマに使う奴も多いよ。変な間があるからバレバレだけど。その点レイジなら速いから試してみる価値はあるかも」

そう言ってニヤっと笑う。セラ姉が呆れたように言う。

「エトナさんの賭け事好きは相変わらずですか。レイ君、エトナさんに何か賭けようって言われても乗っちゃダメだからね。兵士から色々巻き上げて駐屯地を追い出された人だから」

あ、ギャンブル好きなんだ。……神官なのに。

「やっ、あれは兵隊さんたちがどうしても、もう一勝負って引かないから……」

「最初わざと負けてみせたり、言葉巧みに煽ったり、引けないようにしておいてよく言いますよ。うちの部隊だけでどれだけ迷惑かけられたと思ってるんですか」

駆け引きが上手いのか。確かにそんな感じがする。

「過ぎた話じゃない。それに隊長辞めるいいきっかけになったでしょ? 感謝してくれてもいいぐらいだと思うけど?」

「隊長?」

セラ姉が、しまったという顔をする。

「若くして部隊長だったのか人狩人、なかなかの家柄のようだな」

「しーっ! それ、言っちゃダメなやつ!」

エトナさんがわざとらしく言ってみせる。

「薄々そうではないかと思っていたので大丈夫です。傭兵に身をやつしている理由などを聞く気は無いので安心してください」

焦っていたセラ姉はルソルさんのこの言葉で落ち着きを取り戻した。

「エトナさん、そういうの本当にやめてくれませんか?」

「お互いに命預けるなら秘密は少ない方がいいんじゃない?」

そう言ってルソルさんと俺をチラッチラッと見てくる。この人は危険かもしれない。

「なるほど、マーヘスの司教殿がエトナさんを派遣したのは情報収集能力を見込んで、というわけですか」

「こっちの手札を見せたんだからルソルさんの背景も知りたいなー、なんてね」

常識のあるムードメーカーだと思ってたけど、気を付けないと召喚のことがバレそうだ……。

「託宣の特例も気になっちゃうよね」

そう言って笑顔を向けてきたと思ったら、すぐに態度を変える。

「ごめんごめん、ギスギスさせるつもりは無いんだ。ほんとごめん。司教からはミリシギス伯爵のことを調べろって言われただけで、みんなの秘密を知りたいのはただの私の好奇心。火傷しそうなのでこの辺でやめときまーす」

どこまで信用していいのかわからない。カダーシャさんはどこ吹く風といった感じだけど、元々知り合いのセラ姉すら警戒した顔をしてる。そしてルソルさんは脅しのようなことを言う。

「では釘を刺させていただきます。私の立場を知れば火傷では済みませんよ」

エトナさんは真面目な顔で何回も頷いた。

「私は危険のわかる女です! はいっ、この話おしまい! さっさとジグニッツァに行きましょう!」

この後、ケトゥが襲撃してくるまでは誰も一言もしゃべらない気まずい状況が続いた。どうしようかと思ったけど、ジグニッツァの町に到着する頃にはひとまず変な空気はなくなっていた。



 ジグニッツァは放浪と音楽の神マルネリクの寺院の門前町だそうだ。普段は音楽家や詩人が集まって、町のあちこちで即興の演奏会が開かれているらしい。今は魔物の大発生の影響か、静かな町という印象を受けるけど。

「マーヘスとジグニッツァは姉妹の都市と言われており、共に発展してきた歴史があります」

「ここの寺院にも協力を頼むんですか?」

もっと人が増えるのかな?

「いえ、情報の流布を依頼したい場合には頼りになりますが、今のような密かに動きたい時に関わるのは不都合です」

エトナさんが補足する。

「うちの寺院がここに相場情報とか流してもらって物価を変動させたりするんだ。えげつない姉妹だよね。世界情勢を操ってるのは王公貴族じゃなくて各地の寺院だってよくわかる例かな」

なんか、話を聞いてると、神々の意思とかじゃなくて、寺院の思惑で神官たちは動いているような気がする。シャナラーラ女神は人間社会にいちいち口出しするような性格に見えなかったし。というよりも、人間にあんまり興味が無さそうだった。聖界の政争、か。ルソルさんが言ってた言葉が染みみたいに心に残ってる。


 宿の部屋は二人部屋にルソルさんと俺、四人部屋に女性陣ということで決まった。まぁ、そうなるよね。晩御飯は質素に干し肉スープと堅パンだけを食べる。これで寺院の堅パンは最後だ。

食後にセラ姉が少し二人きりで話したいと言ってきた。

「狂犬と二人きりは精神衛生に悪いから早めに帰って来てね」


 人通りの少ない路地裏。遠くから綺麗な歌声が聞こえてくる。ここに来るまでセラ姉は思いつめた顔で、一言もしゃべらなかった。

「セラ姉の身分が高いって話?」

セラ姉は首を横に振った。

「私、レイ君に謝らないといけないことがあるの。嘘をついてることがあって……これを聞いたらレイ君、お姉ちゃんのこと嫌いになるかもしれないけど、正直に話すね」

セラ姉の嘘……? エトナさんに暴露されそうだから、自分から打ち明けようとしてるのかな。メンバーの連帯感が生まれてきたなと思ってたところに降って湧いたお互いへの疑念。エトナさんは秘密が無い方が仲間として信用できるって言ってたけど、本心かどうかはわからない。なんにせよ、セラ姉が嘘を明かしてくれるなら、俺も秘密はやめよう。

「待ってセラ姉、それなら俺が先に、みんなに黙ってることをセラ姉にだけ明かすよ」

「……レイ君の秘密?」

「うん、実は俺、リラの召喚術でこの世界に呼び出されたんだ。召喚術は禁術だって聞いたからルソルさんにも言ってない。シャナラーラ女神に助けられたのは事実だけど、女神の使命じゃなく、俺が元の世界に帰るためにリラを助けないといけないんだ」

「レイ君が元の世界に帰る……?」

世界の終わりのような顔をするセラ姉。召喚術の禁忌なんかよりも、再び弟を失うことの方が重大って事か。セラ姉の目が泳いでる。俺の顔を見ようとしない。はやまったかもしれない。セラ姉にリラの救出を妨害される可能性すらあることに気付いた。セラ姉はとうとう、うつむいてしまった。

「レイ君はお姉ちゃんのこと好き?」

かすれた声でそう言った。好きか嫌いかで言ったら、断然好きだと思う。

「初めは戸惑ったし正直怖かった。でも今は本当のお姉ちゃんができたみたいで、毎日楽しい。うん、セラ姉のこと、好きだよ。黙っててごめんね」

「もし、お姉ちゃんが、本当のお姉ちゃんじゃなくても、お姉ちゃんのこと、お姉ちゃんだと思ってくれる?」

言っていることがおかしい。そもそも赤の他人だっていう事実はセラ姉の中でどうなっちゃってるんだろう。すっかり忘れてたけど、この人は最初からどこかおかしかったんだった。……もう、毒を食らわば皿までだ。

「本当の弟さんに悪いなと思ってるんだ。でも、うん、セラ姉はもうセラ姉だよ」

そう言うと、そわそわし始めた。

「それじゃあ……私の嘘を告白します」

真剣な表情で真っ直ぐと目を見つめてきた。目を逸らしたい気持ちをこらえて見つめ返す。

「弟が二年前に流行り病で死んだという話、あれは嘘です」

え?

「本当は私には元々弟がいません。でも、ずっと、弟が欲しくて欲しくて、両親が死んで家督を継いでからはもう、弟のいる婿を迎えるしかなくて、でもそれだと弟と暮らせるわけじゃないし――」

何を言っているんだこの人は!?

「――架空の弟を考えて、私に弟がいたら、こんな感じかな、とか、ずっと考えてて、そしたら、私の理想の弟にすごく近いレイ君をみつけて……」

衝撃的すぎて言葉が出ない。

「気持ち悪いよね? 嫌いになったよね?」

気持ち悪いとか嫌いとかはちょっと違うと思う。なんていうか、怖い。

「正直、怖いです。でも……嫌いにはなれないよ。たった数日間だけど、一緒に過ごした時間はすごく、なんていうか、貴重で……」

「本当?」

そう言いながら、ずいっと顔を寄せてくる。近い……。後ずさると背後は壁。心情的には壁ドンされている。

「セラね――セラエナさん、あなたの目的を教えてください、俺を弟ということにして、最終的にどうしたいんですか?」

弱気にならずに、はっきりさせておこう。

「私はただ、弟がほしいだけで、仲良くしたいだけで、そんな最終的にどうこうみたいなのは特に考えてなくて……。あ、しいて言えば、ずっとお姉ちゃんでいたいから、死ぬまで近くにいてほしい。弟が誰かと結婚するとかも全然反対する気は無くて、むしろ立派になった姿を結婚式で見て涙を流すとか是非体験したいし――」

なんか、脱力した。顔を赤らめたりしながらそんなことを言っている様子は、本当にただ弟が欲しいだけで他に打算が無いっぽい。カダーシャさんの非常識を言える立場じゃないだろう、この人。ちょっと呆れていると、不意にセラエナさんが真顔になる。

「レイ君が帰るなら私もついていく」

え? 日本に? ……いや、そもそもそんなことができるのかな。召喚と帰還ができるなら送り込むこともできる……? いや、考えてわかることじゃない、いっそのこと今は考えるのをやめよう。リラを救出してから考えよう、そうしよう。

「それは俺が元の世界に帰る手助けをしてくれるってこと?」

「だってレイ君は帰りたいんでしょう? 私はレイ君のためなら何でもするよ。その代わり、そばにいさせて、お姉ちゃんとして」

これがゲームならきっとエンディングが変わるレベルの重要な選択肢が出てるに違いない。今さら弟であることをやめると言い出せばセラエナさんは何をしでかすかわからない。この点についてはもう諦めよう。俺は日本に帰りたい。

「わかったよセラ姉。これからもよろしく」

嫌なわけじゃないんだ、ちょっと怖いだけで。セラ姉の表情がぱぁっと明るくなる。そして、ふふっ、レイ君の生まれ育った場所ってどんなところだろうと上機嫌になる。本当に、弟が欲しかっただけらしい。別にいいよね、自称お姉ちゃんがいたって。実害は無いはず。

「セラ姉、俺が召喚された存在だっていうことはくれぐれも秘密でお願い」

「うん、わかったよ。でもルソルさんは気付いてるんじゃないかな。異世界からどうやって来るのかって考えたら、召喚術なんじゃないかって。女神に召喚されたって思ってるのかもだけど。あ、雨だ、珍しい」

ぽつっぽつっと雨粒が降ってきた。

宿に戻りながら尋ねる。

「雨が珍しいってどうして?」

「今、中央州は乾期だから。きっとすぐ止むよ」

 宿に戻って、二人部屋に入ると、ルソルさんは窓から外を眺めていた。雨ですね、と言ってくる。

「詮索するつもりは無いので詳しいことはお話しいただかなくとも結構ですが、セラエナさんとのお話は大丈夫でしたか?」

「はい、セラ姉はこれからも協力してくれるそうです」

「それは良かったです。……レイジ様、レイジ様は私に疑念を抱かれていますか?」

雨を眺めながらそんなことを言う。

「俺は、リラを助け出して元の世界に帰れればそれで構いません。ルソルさんは協力してくれるんですよね?」

「はい、尽力させていただきます。ただ……私が思うに、女神はレイジ様に更なる使命を下されるのではないかと思っています」

なんでそう思うんだろう?

「この世界では人族と魔族が戦い続けています、これは神々の意思です」

初日に聞いた話だ。世界の真実ってやつ。

「この戦いが終わることがあってはならないのです。しかし今、人族の版図は過去最大級となっています。魔族が敗れつつあるのです。神々は、魔族が勢いを盛り返すよう何らかの恩寵を与えるでしょう。そんな時期に、異世界からレイジ様が現れました」

「偶然ですよ、俺をこの世界に呼び寄せたのはリラの不完全な召喚術だと女神は言っていました。……召喚術のこと、黙っていてすみません」

「いえ、初日に禁術だとお話ししたのは私です。レイジ様がそれを気にされていたのは理解しています」

全部お見通しだった……。

「偶然だとおっしゃいましたが、シャナラーラ女神がそこに干渉したことは事実です。我ら女神の神官は託宣を受けているのですから。ただの召喚であれば、このような特例は無かったでしょう。……私は今回の悪魔召喚事件の解決後のことを考えて行動しています。きっとレイジ様はこの世界の動乱に巻き込まれることでしょう」

「そんな……リラを助ければ帰還の儀式で日本に帰れるって女神は言っていました」

「すぐに、とは言っていなかったのではありませんか?」

え……? 記憶を手繰り寄せる。召喚者に帰還の儀式をしてもらえば帰れるとは言っていたはず。すぐにとは確かに言っていなかったかもしれないけど……。

「いずれにせよ、我々は目の前の試練を乗り越えなければなりません。エトナさんはもう妙な勘繰りはしてこないでしょう。協力はしてくれるはずです。あとは他の神々の介入がどの程度あるか、ですね」

「寺院のではなく神々の介入ですか?」

「寺院の介入を防ぐために情報を伝える相手を厳選しています、問題は神々からの託宣という形で事情を知ってしまう神官が出てくる可能性です」

「神々の仲の良し悪しが影響するかもしれないということですね」

「はい、私には私の思惑があります。レイジ様を利用する形になってしまうかもしれませんが、その時はご容赦ください」

俺がこの世界について知っていることは少ない。この先どうなるかなんてわからない。ひとつ確実なのはルソルさんがこれまでずっと、俺を助けてくれたということだ。打算があるみたいだけど、それでも俺にはルソルさんが悪人には見えない。それなら恩返しをしてもいいんじゃないかな。

「俺は日本に帰ることを最優先しますが、ルソルさんから受けた恩はなるべく返したいと思っています」

ルソルさんは穏やかに微笑んだ。

「ありがとうございます」


 セラ姉とルソルさん。二人との絆は強くなったと思う。エトナさんのせいでなんだか引っ掻き回された気がするけど、ひとまず大丈夫そうだ。雨降って地固まるってやつかな。

「ところで、レイジ様、新しい幻術を覚えてみませんか?」

「覚えたいです!」

「実を言うと私は幻術が得意ではありません」

全ての系統に適性があると言っていたはず。どういうことだろう?

「私は歴史を紐解く者です。魔術については学びの時間の多くを元素術と治癒術に費やしてきました。なので私の幻術は初等止まりなのです」

なるほど、習得できるからといってすべて覚えるような時間は無いよなぁ。

「ただ、ひとつだけ中等幻術をお教えすることができます」

「ぜひ教えてください」

「これまでの初等幻術と違い、かけられれば酷く不快な体験をするでしょう。まずは魔力の流れに注意しながら、その身で効果を実感してください」


 この後、俺は吐きそうな思いをしながら新しい幻術を習得した。気分の悪さを落ち着かせようと、ベッドに横になって目をつむる。そのまま眠ってしまった。

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