六日目 ギラギラ光る商業寺院

「レイジさん、聞こえますか?」

リラの声だ。聞こえるよ、と念じる。

(確認したいことがあるんだ。伯爵は悪魔を召喚しようとしてるの?)

そう聞くと、リラは驚いた声で応えた。

「そうです、私に悪魔の召喚をさせようとしています」

ルソルさんの推測が的中してしまった。

(俺は仲間とカルゲノに向かってる。順調にいけば十日以内に着くはずだよ)

「十日ですか……。わかりました、それまでレイジさんを信じて頑張ります!」

(辛いと思うけど無理しないでね)

「ありがとうございます。こうしてレイジさんとお話できるようになって、私、だいぶ救われています」

良かった。そういえば会話ができるようになってから泣いてる様子がない。何か優しい言葉をかけてあげようと考えているうちに夢から覚めてしまった。


 起きてすぐにルソルさんに伝える。

「カルゲノの伯爵は悪魔の召喚を目論んでいます」

「託宣があったのですね」

セラ姉は、魔物が増えてるのはそれが原因……。と考え込んでいる。カダーシャさんはといえば「悪魔と戦えるとはなんたる栄誉!」と一人で盛り上がっている。ブレない人だ。神官のルソルさんとカダーシャさんは悪魔をどうこうすることに積極的みたいだ。問題はセラ姉だよな。

「セラ姉、俺は行かなくちゃいけないけど、セラ姉が危険に向かっていく必要はないよ」

そう言うとセラ姉は明らかにムッとする。初めて見る顔だ。

「私がレイ君を見捨てるわけないでしょ!」

いや、いつの間にか姉と弟っていう関係を受け入れちゃってたけど、セラ姉は赤の他人だ。彼女には何の義務も無い。俺がそんなことを考えているのを見抜いたのかもしれない。セラ姉が厳しい口調で言う。

「私はレイ君を守るから、何があっても!」

弟さんを亡くしたトラウマがそこまでさせるのか……。これでセラ姉に本当に何かあったら死んだ弟さんにどうお詫びしたらいいかわからない。俺がしっかりしなくちゃ。

「わかったよ、魔術を覚えたての俺がどこまでできるかわからないけど、俺もセラ姉を守る、絶対に」

セラ姉の怒った表情が驚きの顔に一変する。そしてとても穏やかな、嬉しそうな笑顔に変わった。

「ありがとう、レイ君」

「弟、お前は見込みのある男だな。私の兄とは大違いだ」

「女神の使命、聖なる務めを必ずや成し遂げましょう」

みんなの気持ちが高まる。でも、まだ先は長い。リラは大丈夫かな……。焦りが顔に出ちゃったのかもしれない。ルソルさんが落ち着いた声で言う。

「気が急くのはわかりますが、道程は変わりません。魔物が多いのでは馬も使えませんから」

地道に歩くしかないわけか……。


 次の町マーヘスは大きな河をまたいでるそうだ。住んでる人口は少ないものの、河を使った東西の水上交通と、南北の街道の交差点で商業が発展してるらしい。

「マーヘスには歴史あるワンディリマ寺院があります。商業と幸運の神ワンディリマの寺院です。事情を話せば聖務に協力してくれるかもしれません。ワンディリマ神は他の主要な神々全員と良好な関係にありますから」

前にも神々の仲の良さのような話をしていた気がする。神様も人間関係のようなものがあるのかな。

「神々の仲の良し悪しって何が原因なんですか?」

ルソルさんはどう答えようか言葉を選んでる様子だ。それを待たずにカダーシャさんがあっさりと言う。

「そんなもの、人間が仲のいい者、悪い者がいるのと同じだろう」

ルソルさんが呆れたように言う。

「身も蓋もない言い方をしますね……。いえ、間違ってはいませんが。実際、知恵を重んじるシャナラーラ女神は感情に身を任せるフロルカロル神を嫌っています」

「フロルカロル神は魔術神のことが好きだがな! 戦神は強い者を好む」

「なんだか人間臭いですね」

「神々は己に似せて人族と魔族をお創りになられたので、我々が神々に似ているのです」

この世界の神々が創ったという人間と、地球の猿人から進化した人間、つまり俺に違いがないのはどうしてだろう。もしかして、元の世界にも本当は人間臭い神々がいたりするのかな。日本に帰ったら魔術はそのまま使えるのかな。そんなことを考えながら歩いていると、街道の先の方から大きな魔力が迫ってくるのを感じた。


 ガシャガシャと音をたてながら物凄い勢いで走ってくる四つ足の獣のような魔物。ケトゥですね、とルソルさん。見たことない魔物なのは心配だけど、ちょっと試したいことがある。

「カダーシャさん、お願いがあります、俺の幻術を試させてくれませんか?」

「面白い! では少々遊んでやるか」

カダーシャさんはそう言うと、斬りつけるのをやめてケトゥの引っ掻きをスッと避けた。俺は魔力の操作に集中する。動く相手に照準を定めるのが難しい。少し時間がかかったけどケトゥに〈視覚の封印〉を掛ける。カダーシャさんに噛み付こうとしていたケトゥの動きが止まった。戸惑うような動きを見せる。でも、すぐに攻撃を再開した。まさか――

「一瞬しか効果がない!?」

ルソルさんは俺が何をしたかわかったようだ。

「ケトゥは嗅覚に優れた魔物です。視覚を封じても、匂いで周囲を認識できるのではないでしょうか」

それなら! 〈視覚の封印〉を維持しながらケトゥの鼻に魔力を送り込む。嗅覚を塞ぐイメージが難しい。ならいっそのこと、色んな匂いで混乱させればいいのかも。でも、ぶっつけ本番でできるか!?

「落ち着いてやれ弟、私は余裕だ」

カダーシャさんの言葉に励まされて、ゆっくり確実に〈嗅覚の撹乱〉を試す。ケトゥの動きが止まった。明らかに戸惑っている。そして、やみくもな攻撃を始めた。

「レイ君すごい!」

「ははは、これは恐ろしいな。弟と戦うのが楽しみだ!」

そう言ってカダーシャさんはケトゥを斬り捨てる。ガシャンと音をたてて、金属板で覆われた獣がくずおれた。俺も戦える。確かな手応えを感じた。でもまだまだだ。

「時間がかかってしまってダメですね。敵に狙われながらじゃきっと使えません」

「大丈夫、レイ君は一人じゃないから。お姉ちゃんがついてるよ」

そうか、仲間がいるからこそ活きるのが幻術なのか。カダーシャさんが嬉しそうな顔で近付いてくる。

「いいものを見せてもらった。戦場で幻術士は珍しいからな」

「どうしてですか?」

戦場ならそれこそ隊列を組んで、守られた状態で幻術が使えそうだけど。

「弟は魔覚が鋭敏だから素早く正確に幻術をかけられる。だがほとんどの幻術士はもっともたもたしているものだ」

今のが素早かったのか……。そう言われると、なんだか自信が湧いてくる。

「せっかく練習台に事欠かない状況だ。弟を鍛えながら進むぞ」

俺は嬉しくなって、「はい!」と大きな声で応えた。ふと見るとセラ姉が不服そうな顔をしている。どうしたのセラ姉? と聞くと、何でもないと言って横を向いた。

「先を急ぎましょう。レイジ様の幻術訓練をしながら進むとなると、想定より時間がかかるはずです」


 その後、マーヘスに着くまでの間にヴィルムが2回、ラゴとケトゥが1回ずつ襲ってきた。どれも幻術で動きを止めることに成功する。

「初等幻術はほとんど体得したも同然ですね。明日は幻影を見せる訓練をしてみませんか?」

ルソルさんが妙に上機嫌だった。魔術神の神官は専業魔術士の育成もすると初日に言っていた気がする。もしかしたら、教師として教えるのが楽しくなってるのかもしれない。

最初にケトゥを倒した後、なぜか不機嫌になっていたセラ姉はというと、いつも通りに戻っている。

「少し遅い時間ですがワンディリマ寺院へ行きましょう」

日が傾いている、そういえば寺院では日没後はすぐに就寝するんだった。


 ワンディリマ寺院は金色だった。夕日に照らされてギラギラと輝いてる。

「あれって全部金なの!?」

「いいえ真鍮です。ただ、頻繁に磨いているのでかなりお金がかかっているのは事実です」

さすが商業神。中に入ると年配の女性司教が迷惑そうな顔でやってきた。びっくりしたことがある。この司教……眼鏡をかけてる。この世界に来てから初めて見るものだ。思わず、眼鏡!? と声に出してしまった。司教はなんだか憐れみと苛つきの混ざったような複雑な表情をしたので、慌ててごめんなさいと謝った。後からルソルさんに聞いた話では、透明なガラスのレンズを作るには高い技術が必要で、眼鏡はすごく高いらしい。だから、持っていることは自慢できる。でも、それは〈視覚の強化〉が使えない強化術適性の低さを意味することでもあるそうだ。だから、人によってはコンプレックスらしい。軽率だったと思う。


「魔術神と戦神の神官が何の用でしょうか?」

言い方にトゲがある。ここからはルソルさんの交渉次第だ。

「カルゲノ周辺から魔物が大発生しているという話はお聞き及びですね?」

司教の表情が変わる。

「カルゲノから? 魔物の大発生は確認していますが原因については存じ上げません、どのようにしてそれをお知りになったのですか?」

「シャナラーラ女神の託宣です。ミリシギス伯爵が悪魔召喚に関わっている疑惑があります」

司教は考え込んでいる。そして、慎重に言葉を選びながら語り始めた。

「三ヶ月ほど前からです。カルゲノ向けの武器の流通が明らかに増えました。続いて魔族の奴隷、大量の食糧がカルゲノ向けに取引されています。私はミリシギス伯爵が戦乱を起こすと読んでいたのですが、悪魔召喚ですか……」

戦乱を起こす……!?

「戦争の準備とは穏やかではありませんね。つまり悪魔の召喚は戦いを有利にするための手段のひとつということか……」

「俗界で戦争を始めることは問題ありませんが、悪魔の召喚となると話は別です。あなた方はその調査に向かうのですね?」

「はい、可能であれば――」

「悪魔をこの手で討ち滅ぼす!」

「いえ、召喚を阻止します」

カダーシャさんは本当にブレないな。

「わかりました、当寺院からも助祭を派遣しましょう、同行させてください、明日の朝までに準備をさせます」

「ご理解いただきありがとうございます」

カダーシャさんは見事に無視されていた。


 寺院を出たところで、なんだか怖い人でしたねと感想を言ってみる。これまでに会ったシャナラーラの司教とはずいぶん雰囲気が違った。

「マーヘスの物流をすべて把握し、この地域一帯の商活動が頭に入っている方です。もし神官とならずに商いをしていたならば一代で財を築いたことでしょう。きっと大司教の座を狙っていると思いますよ」

もうひとつ上の位があったんだ……。

「ワンディリマ神は経済が活性化することを喜びとしているの。だから基本的には戦争が起こるのは賛成なんだけど――」

「えっ? 戦争なんか始まったら商売どころじゃないんじゃ?」

つい、セラ姉の言葉を遮ってしまう。そして、俺の疑問をカダーシャさんが否定する。

「何を言っている、戦争は稼ぎ時だろう、人と物が大量に動く。繁農期でなければ農民にとっても金を得る良い機会だ」

ルソルさんも黙ってない。

「被害を受ける人々がいるのも事実です。好ましいことではありませんよ」

意見が割れた。そういえば、日本でも戦争は儲かると言って炎上した人がいたな。異世界でも難しい問題らしい。セラ姉が話題を変える。

「それにしても損得勘定で動くワンディリマの神官が随分とすんなり協力してくれましたね」

「うまく行けば悪魔召喚阻止の功績でマーヘスの地位が向上します。そして、問題が起きた場合はシャナラーラ寺院の責任にできます。私が女神の託宣だと明言したので」

なるほど、損はしないという判断か。セラ姉がちょっと心配そうな顔をする。

「それにしてもルソルさん、助祭の立場でここまで独断で事を運んで大丈夫なんですか? シャナラーラ寺院に全面協力を仰いだ方がいいのでは?」

ルソルさんは一瞬言葉に詰まった。

「お恥ずかしいことですが、聖界にも政争があるのですよ。私は少し難しい立場にいるのです。申し訳ありませんが寺院には事後報告という形にしたいと思います」

意外な言葉に俺もセラ姉も黙ってしまった。ルソルさんは公平無私な人だと思ってたけど、何か思惑があるみたいだ。でも、これを正直に話してくれたってことは、少なくとも俺たちを信用してくれてるってことでいいのかな。

「ルソルさんはやはり……。わかりました、少数精鋭で動くのもそれはそれで利にかなっています」

セラ姉も納得したみたいだ。空気を読まずに、いや、もしかしたら読んだからこそなのか、カダーシャさんが口を挟む。

「よくわからないが、早く宿を取ろう。もう暗くなるぞ」


 晩御飯はセラ姉の希望で宿の食堂を利用した。気分でも変えたかったのかな? 川魚の香草焼きがとても美味しかった。その後、寝る前に井戸で水を飲んでいると、セラ姉がやってきた。

「ねぇレイ君、レイ君は呪術の適性もあるんだよね?」

すっかり忘れてた。

「お姉ちゃんね、人にはいつも強化術専門って言うし、実際普段は強化術しか使わないけど、奥の手があるの。実はちょっと呪術適性があるんだ、お揃いだね」

「呪術って何ができるの?」

魔力を毒にすると聞いてたけど、微妙にイメージしにくい。

「肉体をいろんな意味で弱らせることができるよ。お姉ちゃんの奥の手は〈疲労の呪い〉っていって、時間がたつほど体力が無くなって息があがっていくの。普通に戦って勝てない相手にはこれを使ってから、ひたすら時間稼ぎ。気付く頃には相手は動きが鈍くなってるから、あとはどうとでもなるよ。逃げるのもいいかもね」

「すごい! 今度教えて!」

もちろん、とセラ姉。そこでふと閃いたことがある。

「もしかしてカダーシャさんがセラ姉を好敵手扱いしてるのって、その方法で勝ったの?」

「うん、生きた心地がしなかったよ。体力も凄いんだもんあの人。動けなくなったところをフロルカロル寺院の前まで運んで置いてきたけど、また同じ方法で勝てるとは思わないなぁ」

カダーシャさんの攻撃を防ぎ続けられる時点でセラ姉もすごいです。でも、確かに同じ手は使えないよなぁ。

「対策考えてそうだよね。おかしな人だけど頭が悪いわけじゃなさそうだから」

「そうだよ、戦い方に関してはすごく頭の回転が速い人だよ。って、話し込んじゃったね、そろそろ寝ようか。明日も幻術の訓練するんでしょ?」

そうだ、確か幻影を見せるんだった。寝る前にイメージトレーニングしとこう。セラ姉と二人で部屋に戻り、さっさとベッドに入った。

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