2-3 覚醒

全身を黒いローブで覆い、その片手には短剣が強く握りしめられいる招かざる客はゆっくりと扉をあけると、まるで獲物を目の前にした猫のように気配と足音を消し去り、ゆっくりとダリルに話しかけるベロニカの背中へと近づく。


そして、2メートル程度の距離まで接近すると、黒衣の死神は音もなく羽根のように跳躍する──


狙いは後ろからの心臓ひと突き、凶刃は吸い込まれるようにベロニカの背中へ──


「!? えっ!」


ベロニカは僅かな殺気を感じて後ろを向くが、時既に遅し。死神の刃は最終加速を終え、もはや腰の剣で迎撃することも、避けることも不可能な段階であった。


(あ、これ死んだかも·····)


瞬時、ベロニカは自身の運命を悟ると、目をつむり二度目の走馬灯を視る──









「ひやっ!!」


時間すらもなく、自分の顔にかかる生温かい液体に驚きの声を上げ、恐る恐る目を開けるとそこには──


「うそ······」──



───同時刻、王宮内某所にて


部下からの通信を受けて隊長格の男ラーベは『聖骸』が所在する部屋へと急行していた。


(·····なんだ、この胸騒ぎは······)


歴戦の猛者であるラーベの長年の任務で培われた第六感はかつてないほど危険シグナルを鳴らし回していた。


この黒衣の男、否、部下も含め彼らには全員名前が無い、あるのは互いを判別するコードネームのみ。様々な出自を抱え親から捨てられた彼らはオストラインの暗部組織『グレンツェン』の手によって子供の時から、過酷な状況と修練を強いられ『選別』される。


そして選別を生き残ったとしても、彼らに待っているのは決して日の目を見ることが無い血生臭い任務のみ。


暗殺、誘拐、盗聴、扇動、強奪、捕縛、拷問、恫喝、殲滅───


中には捨て石の如き非常な任務も少なくもなく、彼らの平均寿命は3年もないと言われている。


だが、この男ラーベはそんな地獄の様な修羅場を10年近く生き残っていた。そして、この任務に参加させた部下も皆5年以上は生き残っている修羅達であり、少かれフランシアの衛兵達には遅れを取ることはないと見込んでいた。


(だが、何故だ!? 何故こうも、不安が胸に焼き付いてくるのだ!!!?)


ラーベの驚異的な直感力は誰よりも早く、正確に状況を把握し始めていた。


自分たちは眠れる獅子の尾を踏み込んでしまったことを──


たが所詮は誰かの思惑に利用されるだけの駒に、その先を予想することは出来なかった。


その行為によって自分たちのみならず、世界の運命の歯車をすら狂わせてしまったことには───



───ベロニカに、凶刃が突き立てられようとする僅か前


その男の状態を『車』で例えてみよう。その車は度重なる事故でボロボロになり、そして燃料尽きてガス欠となって、完全に『走行』することが出来なくなった。


しかし、どれ程壊れようと修理すればよいのだ、燃料が尽きたのなら給油すればよいのだ。こうして、ボロボロでガス欠の車は新品同様かつ燃料の満タンないつでも走行できる状態になったのである。


しかし、ここで重大な問題が発生する。そう、『鍵』がないのである。鍵がなく、走行出来ないという意味合いでは新品同様だろうがボロ車だろうか変わりがない───


ダリルも同様で、傷は癒され、体内のマナも充分に補充されているが、目を覚ます『動機』という名の鍵が無かったのである。


しかし、運命は今日この時、遂に鍵をダリルに授けることとなる。


健気にも千を越える思い出話を話したベロニカによってではなく、黒衣の死神が放ったごく僅かな殺気によってッ!


ダリルに向けられたものではなかったが三年越で久々に感じた明確までの殺意は、男の闘争本能と言う名のエンジンに火を灯したのであるッッッ!!!!


それが意味することはただ一つ───


「······随分とご機嫌な寝起きだな·····」


ダリル完全覚醒の時を迎えるッッッ!!!!!


ベロニカに死を与えるべく跳躍していた黒衣の死神は、自分でも訳がわからずに突如大量に吐血し、それがベロニカの顔に飛び散る。


だが、間髪入れずに鳩尾からこみ上げてくる激痛によって今置かれている状況に理解が追い付くッッ!!


(馬鹿なッッ! 『聖骸』のだとッ!)


彼の鳩尾に重い一撃を与えた足刀は、ベロニカの横顔数ミリを掠め『聖骸』もとい完全覚醒を迎えたダリルから放たれていたッッ!!!


三年前のダリルであったら、この一発で勝負はつけていただろう。だが、


(!? タイミングも間合いも完璧だったのに倒れんだと!?)


血を吐きながら吹き飛ばされつつも、空中で一回転して音も出さずに着地する黒衣の男を見て、ダリルは目を見開く。


自身の筋肉が長い年月をかけて衰えたことを理解して無かったダリルは、感覚と現実のギャップに困惑した。


しかし、黒衣の男『達』は待ってはくれないッッ!!


黒衣の男の着地と同時に仲間のもう一人が部屋に到着すると、言葉を躱すどころかアイコンタクトとをすることもなく、ダリルに向かって二人同時に駆け出すッッ!!!


彼らの目的は『聖骸』もといダリルの確保、そしてその生死は問わずッッッッ!!


ダリルの尋常ではない戦闘能力を察した二人は、ダリルの完全無力化ッッ! つまり、殺害すべく真っ直ぐと猛スピードで迫るッッ!!


「二人相手だと少々手強そうだな···· ベロニカ、ちょっと下がってろ」


「!? えっ? なっ!? ぎゃふっ!!」


驚きのあまり口をあんぐりと開け叫んで助けてを呼ぶことすら忘れたベロニカを自分の後ろへ軽く投げ飛ばすと、ダリルは迫る二者を迎撃すべく三年ぶりに戦闘の構えを採る。



───黒衣の死神二人とダリル激突の僅か数秒前


「見えたぞ! あの部屋かッッ!」


ラーベは部下から報告のあった部屋を視認すると、隠密作戦中にも関わらず声を荒げる。


彼の胸に抱く根拠なき不安は、焦燥へと変わり始め、心臓の音が不快に感じるほど高鳴っていた。


そして遂に『聖骸』が所在する部屋へと突入した時、ラーベが目撃したのは──


「!? こんなことッッ·····!」


自分が最高の精鋭達と評した修羅二名の獅子の如き猛攻を捌ききる痩男ッッ!!! そしてッッ!


「大したコンビネーションだな····· だが、もう見切った····ッ!」


一人は顎への猿臂ッ!! もう一人は水月への正拳突きで床へと沈む瞬間をッッッッ!!!


想定外の光景に思わず思考停止し、言葉を喪うラーベ···· やがて、他の三名の部下も部屋に到着するとダリルは顔にかかった返り血を拭い、未だ夢見心地な虚ろな目で彼らを見つめながらいい放つ。


「····退きな、アンタらじゃあ寝起きの運動にもならねえよ」───


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る