帰郷
朝の匂いが開けた窓から入り込んでくる。
午前五時前、東向きの窓の外では暴力的閃光を放ち、太陽が雲を薄紫に染めている。文字通り、お手本の東雲色である。ほんの数秒見ているだけで起き抜けの私の眼は奥の方からヒリヒリと痛い。早朝ランナーが元気に走っていく足音が、車の少ない裏路地に軽快に響いている。普段であればもう一時間は布団の中であるから、なんだか新鮮だ。
私も無意味に早起きするわけではない。そりゃあ、老人や反対に幼い子供は無闇に早く目覚めることだってあるかもしれないが、私にとっては無意味な早起きなど愚の骨頂だ。我が愛しき睡眠と密接にリンクした布団世界にできるだけ長くとどまっていることは、食事を抜いて至上の喜びであり幸福といっても過言ではない。そんな私が渋々と早起きしたのは、朝一番の列車に乗るためであった。電車ではなく、あくまで列車である。
我が故郷は困った田舎であるから、二十一世紀の今でも電車が走っていない。走っているのは汽車だ。もしくはディーゼルだ。そうではないのかもしれない。私は列車に明るくはないが、車両の上にひし形の金属枠がついていないので、あれはきっと電車ではない。
さておき朝一番の特急列車は朝の七時三〇分ごろに最寄りの一番大きな駅を通過する。しかし、私のうちの最寄り駅から特急列車の出る駅まで、ローカル線に一時間ほど揺られなければならない。すぐ隣の大きな駅から出ている列車は、京都や大阪といった大都会につながっているものばかりだった。日頃は便利のよい土地であるが、帰省のそういう段取りのためにこの時間に起きたのである。加えて、私は幼い折から荷造りというのが大の苦手で、学校の研修旅行などでも決まって当日の朝急いで荷詰めするような癖があった。よって、朝食、身支度、荷造り、戸締り四つ揃えるための早起きでもあった。
ずいぶん昔から使っているスーツケースは角の塗装が剥げ、もとの金属の灰色がちらちらと覗いている。ジッパーではなく、二か所の金具を動かすことで開く仕組みの物で、スーツケースはこの方式と決めている。ただ外周一周、腕を伸ばしてぐるりとジッパーを引き開ける動作が好かないだけで、そうでなければ、このがちゃりと開く型のものでなくとも構わないのだけれど、百貨店の売場にジッパーと金具の二種類しかなかったから、つまりは必然的に、私のスーツケースはこの方式となったのだった。
そんなことはどうでも良い。
誰一人として到底知る由もないが、私の主食は食器である。ただ単に皿を割って食うばかりではなく、漆塗りの椀に陶器の小皿を入れて食べるようなこともする。漆器というのは大概木か樹脂で出来た器に漆を塗り上げて乾かしたもので、作っている最中に陶器のように火にかけないから、その歯触りは生もののように大変柔らかい。
艶の出た食器はより美味い。
生来食器は食べるものと信仰してやまない私であるが、時には使用することもある。一般の食事についても、ウイスキーやワインの年代物がちやほやされるように、年月を重ねれば重ねるほど美味い食器があるのだ。 エイジング、などとカタカナ言葉を使うのはどことなくむず痒いが、要するにそれら種々の、使えば使うほど味の深くなる食器の味を思う存分深めるために、すぐ食べても美味いところを我慢して育てているわけである。使用といえど、肉やら野菜やらを進んで食べる訳では無いため、もっぱら水を飲むか、そうでなければ表面を撫で擦るばかりである。
この過程は、閉まっておくだけの単なる取っておきよりも尚辛い。なにせ垂涎ものの器を前にして、ひと舐めもできぬまま、表面の凹凸を削るべく表面を撫で続けるのだ。腹はぐうぐう唾液はだらだら、ぐうだらぐうだら我慢する。
そういうわけで、余っ程おめでたい事のお祝いか、反対に余っ程虚しいことの慰みかにしか実食の機会がないわけである。最後に食べたのは、昨年の正月、味のしないおせち料理を流し込みながら、親兄弟のありがたい助言とも世知辛い強制とも言い難い話を浴びて耐えた褒美に、商店街の裏手の我が家へ戻ってから食べた五寸皿であったか。備前焼というのは釉薬を全く使わないからどこか素朴な見た目をしている。だが侮ることなかれ。確かに出来たての備前焼には、釉薬付きの食器と比べあの円やかな照りは少ないものの、年月を重ねれば、その艶は釉薬以上、それどころか唯一無二である。芳しい土の香りは年月を経ても消えることなく、はじめは少し酸っぱい匂いがするが、徐々にえぐみが取れ、とても上品な香りへと変化する。酒と食器は熟成して然り、という格言なり名言なりが残っているような気がしないこともない。
もちろん、食器を食うとか言うのは己が知っての範囲では私だけであるので、そんな言葉は公にはない。これだけ食器の熟成の話をしておいて、今日の朝食はごく普通のパン皿であるから、飯を食うても腹の膨れぬ心地がする。物質的には腹は膨れるが、食道楽を満たす欲の意味での満足は出来そうもない。
列車の時刻に間に合うために早起きしたのに、荷造りの途中で遊んでいるからとうとう家を出る予定としていた時間になってしまった。もう随分日が高く昇ったようである。ごみ収集の車がサワヤカに音楽を届けて、遠ざかっていった気配がする。
プラスチックの車輪がアスファルトに擦れて、むやみやたらにがりがりと、周りの注意を引くあの音を立てるのが気に入らないから、スーツケースは持ち上げて運ぶ。肩が凝って仕様がないが、早朝の商店街の森閑を壊さないように持ち上げる。時折滑りのよいタイル張りの部分があるから、そこらは休みついでに引いて、また持ち上げて運ぶ。日中は歩行者専用のアーケードの下も、深夜早朝は車の独壇場だ。これ見よがしに軽トラックが走っていくので端を歩かねばならない。仕入れの車や件のゴミ収集車、その他さまざまな業務用の食品輸送車等々、許可を得て堂々と通行しているので、無許可でふらふらと経ち歩く私の方が、かえって粗忽者のようで肩身が狭い思いをした。地面は車の独壇場だが、空はカラスの独壇場である。歩行者信号や通りの名札をひっさげた鉄棒につかまっているのに目があった。カカァと一声だけ鳴くものだから、不吉なのかそうでもないのか判断しかねて参ってしまう。いっそもう少し思いきりよく鳴けばいいものを、騒音苦情に配慮しての対応ならば、奴らも肩身が狭かろう。ひょいと下をくぐると、知らんがなとでも言いたいか。ガーガー鳴かれてしまった。
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