廃工場の規模は思っていたよりもかなり大きくて、わたしたちが閉じ込められていたのは、そのほんの一部だった。

 頭上にある赤錆あかさびに侵食された巨大な配管の影にそって、隠れるように走る。ほかに見える景色といえば、乗り捨てられた重機やグシャグシャに潰された車と無数のドラム缶ぐらいなもので、まだ敷地の外には出れそうになかった。


「ここで少し隠れよう!」


 唯織さんに手を引かれるまま、倉庫らしき建物に入る。

 中はさっきよりも広いけれど、屋根は全部落ちてしまっていて骨組みだけしか残ってはいない。機材らしい物もなにも無いから殺風景だ。もし誰かに襲われたとしても、走りまわれば──脚力と体力に自信があるのなら──逃げきれそうではある。


「はぁ……はぁ……唯織さん、あの……」

「ああ、わかってる。次のゲームはもう始まっているんだよ。だからボクたちは・・・・・、逃げた」


 そうだった。ゲームがまた始まったんだ。今度は最悪の、殺し合いをするゲームが。


「でも、わたしたちはさっきと違って、自由なんですよ? 無理に参加する必要なんて──」


 言いながらわたしは、視界の隅に違和感を覚える。

 この廃墟には似つかわしくない真新しい監視カメラが天井近くにあって、しかも、ゆっくりと動いてこちらにレンズが向けられたからだ。


「ああ、わかってる。監視カメラのことも、ね。いいかい加奈ちゃん、よく聞くんだ」


 今度は唯織さんに両腕を掴まれる。

 真剣なまなざしに、わたしは目を逸らせなくなる。


「たしかにボクたちは自由ではある。でもそれは、この敷地の中だけでなんだよ。きっと外に出ようとしても、なんらかの罠が仕掛けてあるか、もしくは、犯人に殺されてしまうだろう」

「じゃあ、わたしたちどうすれば!? 殺し合いをするんですか!?」

「そうだ」


 唯織さんのことだから、きっとまたなにか妙案があって助けてくれると思っていたけれど、望みも虚しく違っていた。


「そんな……嫌です、嫌ですよわたし! 人殺しなんてしたくない!」

「加奈ちゃん、これは生きるためなんだよ! 殺さなければ、ボクたちが殺されて死ぬんだ!」


 唯織さんの掴む手の力が強まって痛みが走る。そんな表情を無意識にしてしまったのか、すぐに「ごめん」と謝ってから手を離してくれた。


「殺すって……榊さんとミリアムを殺せば、ゲームが本当に終わるんですか? もし二人を殺したとしても、今度はわたしたちが殺し合えって要求してくるかもしれないじゃないですか!」

「そのときは……ボクを殺して生き抜いてくれ」


 その言葉を聞いて、とうとうわたしは涙を流す。

 こんな非現実的で最悪な状況でも、わたしは泣かなかった。涙なら、お母さんが亡くなった時に全部流したつもりだったから。お母さんの分まで、ひーちゃんを守って生きていこうって、そう誓ってからずっと泣いた事なんてなかった。

 それなのに──今のわたしは、涙するしかできなかった。

 そんなわたしを、唯織さんは優しく抱きしめてくれた。


「大丈夫だよ、加奈ちゃん。あの部屋から出れたんだ。今回だって、ちゃんとおうちに帰れるさ」


 わたしはハッとした。

 唯織さんは人を殺せる。

 ヤスカちゃんを殺してくれたから、今の自由がある。窒息死しないで助かった。

 唯織さんは人間ひとを殺せる人種──このとき、わたしの舌に血の味がよみがえっていた。


「てぇてぇ」


 ミリアムの声だ。

 鉄パイプを片手に、いつの間にか追いついていた。


「まさか、合法的に・・・・人間をぶち殺せる日が来るとはのう。先ずは手足を打ち砕いてから、じっくりと料理してやるぞい」


 ニタリと不気味な笑顔を見せつけながら、歩一歩ミリアムが近づいてくる。そのには生気がない。まるで、何者かに操られているようだ。


「加奈ちゃん……ボクがミリアムの相手をするから、その隙に逃げるんだ」

「逃げるって……一人でどこへ!? スマホも無いし、はぐれちゃったら、また会える保証なんてないですよ!?」

「それじゃあ、ボクがミリアムを殺すまでそばにいるかい?」

「あ…………わかりました。それじゃあ、すぐ外で隠れてます」


 わたしの返事を聞いた直後、唯織さんはミリアムめがけて突進する。ミリアムも鉄パイプを構えて奇声を発しながら迎え撃つ。そしてわたしも走った。


「ほぉえぁぁああああああああ!!」


 大振りの攻撃を難なくかわした唯織さんの無事を確認しつつ、建物の外へ出る。


 と、待ち構えていたのは──


「ウフフ。せっかくカップルになれたのに、おうちに帰れなくて残念ね」


 幽霊のあの人だ。


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