別人のように優しくなった榊さんは、負傷したミリアムをしばらくのあいだ気遣っていた。

 ついさっきまで仲が悪そうな二人だったけれど、印象がすっかりと変わった。榊さんが親身にミリアムをいたわる様子は母子かもしくは姉妹のそれで、暴力を振るっていたのがまるでウソのようだ。

 ミリアムは、剥がした爪をまた傷口に貼りつけていた。痛々しいけど、テイッシュや絆創膏がないから、なにもしないよりはマシなのだろう。


「こんなはずじゃなかったのよ。あたしがバカだったわ……助けてくれて本当にありがとう、勇者様」


 血が止まったのを確認した榊さんは、

「あとはよろしくね」とわたしたちに言い残してから、去り際にミリアムの腕に触れて部屋の隅っこに一人移動していった。


「ミリアム、どうして彼女を助けたんだ?」

「……榊は関係ない。ペナルティを受けるのが貴様たちの誰かでも、同じことを吾輩はしただろう。理由はそれだけだ」


 視線をそらしたまま、途切れ途切れのかすれそうな声でミリアムが答えた。


「博愛主義者だったとは、意外だな」

「いや違う、ドMなだけだ」

「そうか……ここを出れたら、ボクも虐めていいかい?」


 榊さんと入れ替わるかたちで寄り添っていた唯織さんは、泣き腫らした顔を隠すように垂れていた長い髪を簡単に手櫛で整え、言葉の最後で耳に掛けてあげてからほほんだ。

 ミリアムはなにも答えなかったけれど、伏し目のまま顔を紅くしていたから、照れてはいただろう。 


 わたしはわたしで、ヤスカちゃんの手のひらに指文字を書きながら、唇も動かしてルール説明に奮闘していた。

 どうしても長文になってしまうため、想像以上に伝えるのが難しい。わたしの手もヤスカちゃんの手も、汗がにじんで滑りが悪くなっていた。


〈な、ん、で、こ、ん、な、こ、と、を、す、る、の?〉


 わたしもそう思う。でも、どうしようもない。

 現状で命が助かる方法はカップルになることだけ。

 そもそも、恋人の判断基準ていったいなんなんだろう?

 恋愛感情なら知っている。わたしの初恋は幼稚園の頃だし、小学校や中学校でも、好きな男の子は何人かいた。だけど、残念ながらどの恋も成就はせずに、誰とも付き合った経験はこれまでの人生で一度もないままだ。


〈か、な、こ、ち、ゃ、ん、わ、た、し、と、キ、ス、し、て〉


 えっ……?

 突然の、予想外のお願いに困惑する。


〈こ、い、び、と、っ、て、キ、ス、す、る、ん、だ、よ、ね?〉


 ああ、そうか。そういうことか。

 ヤスカちゃんは、わたしとカップルになってくれようとしているんだ。


 そうだけど──唇の動きだけで答える。


 いやいやいや、キスなら恋人以外もするでしょうに。ヤスカちゃんて、そうとう奥手な女の子なのかな? それとも、ただ単に世間を知らなさすぎるヒト?


〈し、よ、う、よ〉


 真っ直ぐなまなざしが、キラキラと宝石みたく輝いていた。

 瞳がハートの形になったヤスカちゃんが前のめりになった瞬間、両肩を反射的に掴んで押し留めたわたしは、唯織さんに助けを求めようと顔を背けながら話しかける。


「あ、あの……唯織さん、脱出するために必要なカップルになる件なんですけど……!」


 キスをしていた。

 唯織さんがミリアムの肩を抱き寄せて、しかも、大人のキスを。

 まったく予想外の展開に固まったわたしの唇も、膝立ちで飛びついてきたヤスカちゃんにあっなく奪われる。

 そのキスは女友達同士の、おふざけ程度の挨拶みたいな軽いヤツで済んだからまだ良かったけど、なんで唯織さんとミリアムが本気のキスをしているの? 頭がもうパニックだよ!


 混乱するわたしの目の前で、照れ笑いを浮かべるヤスカちゃんがモジモジと身体を可愛らしく揺らす。唯織さんとミリアムも唇を重ねたままだ。

 壁を背にしてすわっていた榊さんは、そんなわたしたちの様子をじっと見ていて、結果的にはこの密室の中で、奇しくも二組のカップルが表面上・・・生まれた事になっていた。


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