6
右腕にヤスカちゃん、左腕にミリアム。
今のわたしは、こんな状態で立っている。
空調のない部屋で両側から──とくに左の人から強く──抱きつかれ、暑苦しくて頭がのぼせてしまいそうだ。
「えーっと、そろそろ離れてもよくない?」
「ううう……うるさいぞJK! これはだな、超覚醒の狂暴デカ尻眼鏡女から吾輩を守り抜く緊急クエストを貴様に与えてやっているところなのだ! 心から感謝しても、嬉ションは絶対にするんじゃないぞ!」
「…………」
ペナルティ事件からすっかりと
唯織さんは、打開策が浮かぶまではルールを厳守するように提案をしたけど……榊さんはそれを無視して、部屋の壁に不審な箇所がないかを調べていた。
調べているといっても、その様子は美術館で順路にそって芸術品を鑑賞している姿にも似ていて、画面に
自力で逃げ出せる可能性の低さを理解してはいるけれど、それでも、期待せずにはいられなかった。なにかを見つけてほしかった。そう願うことで、わたしの不安な気持ちは多少なりともやわらいでいた。
〈こ、こ、を、で、れ、る、の?〉
指文字のくすぐったさに、思わず笑みがこぼれる。
ここを出れるかなんて、こっちこそ知りたいよ。でも、ヤスカちゃんにルールを具体的に説明するのは酷だし……だからといって、教えないのも薄情だし……うーん……やっぱり、教えるにしても、なるべく刺激を抑えた表現にしようかな。
「待ってください!」
大声がした。
右手から顔を上げれば、履いていた片方のハイヒールを投擲のポーズで握り構える榊さんの腕を、唯織さんが掴んで引き止めていた。
狙う先にあるのは、シーリングライト。
まさか、たったひとつしかない照明器具を壊すつもりなの!?
「お願いですから、犯人を刺激するような真似はやめてくださいよ!」
「キミってさぁー、攻めまくってる髪型のクセに、とことん保守的よね。壁のどこにも穴が見つからないってことは、きっとあそこに隠しカメラとかがあるのよ。ちょっと天井が高過ぎるけど、命中させてみせるから任せなさいって」
「壊してどうするんですか!? ペナルティになったら、みんなに迷惑がかかるんですよ!? 誰かが罰を受けるんです、もう忘れたんですか!?」
「だったら、今度はあたしが罰を受けるから問題解決ね」
「そういう意味じゃない!」
二人の押し問答が続くなかで、わたしは考えていた。
誘拐されて、閉じ込められて、きょう初めて会った同性とカップルになれって無茶を言われて、おまけに、なにもしなくても部屋の酸素が減りつづけてるから死が間近に迫ってる。
そんな危機的状況下でも、わたしは不思議と冷静に、いつもどおりに今夜の夕飯の献立を考えていた。
冷蔵庫の野菜室の中には、一昨日買った小松菜が手つかずで残ってる。広告の品じゃなかったけど、タイムセールで税込み価格が八十円もしなかった。
でも、腐らせては結局高くつく。こんなことになるのなら、その日のうちに作り置きのおかずにするべきだったんだ。
言い争う二人に近づこうとすると、左腕が急に重くなる。
ミリアムが腰を少し落として踏ん張っていた。
「おいJK、なにをするつもりだ? 触らぬデカ尻眼鏡女に厄災なし。古来より伝わる教訓を知らんのか?」
「……あの二人を止めなきゃ。それに
「うーむ、そうか。ブラインド・ラブ……闇鍋プレイも悪くない」
不意にヤスカちゃんが、次々と右手のひらに指文字を走らせる。
それはあまりにも速くて、目で追ってみても飛ばし飛ばしでしか読み取れなかったけれど、最後の〝やめさせて〟だけはハッキリとわかった。
「わかったわよ、やめるわよ。だけどキミ、そう言うからにはいいアイデアがあるんでしょうね? 五人の命がかかっているのよ?」
「それは……まだありませんけど、ここは様子見もかねて、犯人が望むようにおとなしく恋愛関係を──あっ!」
唯織さんが気をゆるして腕を離した途端、勢いよく投げられたハイヒールの踵がシーリングライトに直撃してカバーを半分くらい破壊した。
「きゃあああああああ!?」
飛び散った破片をよけようと、わたしが仰け反った拍子に三人そろって一緒に倒れる。
お尻と背中、それと肘の痛みをこらえながら片目を開けると、猛獣に
そして、天井からまた、あの声が聞こえる。
『ルール違反だ。ペナルティとして、おまえたち五人のなかから一人を選んで爪を剥がせ。これは、おまえたちがルールを破った罰だ。繰り返す、おまえたち五人のなかから一人を選んで爪を剥がせ』
「そんな……爪を剥がすって、なによ? 平手打ちじゃないの?」
「満足しましたか? アレをよく見てください。ボクには普通の蛍光灯にしか見えませんけど」
カウントダウンが始まる。
ヤスカちゃんに助けられて身体を起こす。わたしたちは寄り添ってすわり、事の成りゆきを静かに見守った。
やがて、榊さんがうつむき、なにもしゃべらずに左手の甲を上にして唯織さんに差し出した。
「約束は守るわよ。その代わり自分じゃできないから、あなたがやってくれる?」
「……わかりました」
二人とも正気とは思えないけれど、誰かがやらなければいけないことだった。
これは、ペナルティだ。
五人のなかから、一人を選ぶ。
その候補のなかにはもちろん、わたしも含まれている。
はじめは平手打ちで、つぎは爪剥ぎ。徐々にエスカレートしているペナルティを受ける順番は、わたしにも確実にまわってくるだろう。それなら、まだ爪で済まされるのなら、今のうちに立候補したほうがいいのかもしれない。
『6……5……4……』
「どの指がいいですか?」
「キミも残酷ね。面積がいちばん狭い小指に決まってるでしょ」
まるでこれから手を取り合って踊るように、唯織さんが差し出された左手を受け取る。
「やめろ!」
そう叫びながらミリアムが立ちあがり、自分の左手中指の爪を手こずりながらもむしり取る。
そしてその爪を、よく見えるように高く掲げた。
『1…………ペナルティが実行されたので、ゲームを再開する。さあ、隣人を愛すのだ』
音声が消えるのとほぼ同時に、泣きすする声が室内に響く。
ミリアムだ。
わたしからは、彼女の震える後ろ姿だけが見えていた。
「うぐっ、クゥゥゥ……
呆気に取られていた唯織さんが手を離すと、榊さんはミリアムのもとへ吸い寄せられるように向かっていって左手首を掴んだ。
「どうしてあたしを助けたの?」
榊さんが中指の出血を気にしながら、もう片方の手でスーツのポケットを全部探っていた。けれど、なにも取り出されなかった。
「ハンカチも盗られていたわ。ゴメンなさい」
そうつぶやく声が、わたしにも聞こえた。
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