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雲岡中学校の一部の男子生徒の間では一年ほど前から、あるムーブメントが起きている。エロ本収集である。物心がついたころにはすでに当たり前のようにユーチューブで動画を楽しんでいた世代の中学生にとっては、アダルトコンテンツはネット上に転がっているものという認識だった。紙媒体のものは、パソコンやスマホも満足に扱えず、時代の流れに取り残された老人たちのための古臭い代物でしかなかった。
四月から三年生に上がる竹平陽介が学校帰りの夕方に、飾利川の河川敷にエロ本が捨てられているのを初めて見たのは二年前の四月か五月のことだった。近所で生まれ育った陽介にとって河川敷は馴染みの遊び場だったが、このようなモノが落ちていることはその時まで知らなかった。小学生に上がる前から遊んでいたこの区画は隅々まで知り尽くしているはずだった。最近になって突然出現した可能性もあるが、陽介には詳しいことはわからない。大事なことは、この河川敷にエロ本が捨てられているということだ。
目的の物が、おおっぴらに通行人の目に触れるような捨てられ方をしていることは少ない。だいたいは人目を忍ぶようにしてそっと日陰に置かれている。東西にのびる飾利川の河川敷は横に細長く、ちょっとしたアスレチック遊具が点在する公園のような作りになっている。近所の人間が「河川敷の公園」と呼ぶ平和な空間に、毒々しい色合いの雑誌類が点在しているのだ。端の下や植え込みの陰で見かけることが多い。また水路には、堆積した砂利が陸地を形成している箇所もいくつかあり、それらの洲に生い茂る背の高い葦に囲まれ、身を隠すように置かれている場合もあった。
この公園では、小学生も遊ぶ。いたいけな小学生にこのようなモノを見せてはいけない。小学生の健全な発育を阻害する邪悪なモノの存在を知ってしまった自分には、小学生たちの目に触れる前にこれらの悪しき物体を回収する義務がある。これは自分にしかできない使命なのだ。
ついこの前まで自分が小学生だったことを棚に上げて、陽介はエロ本を集める言い訳をこしらえたのだった。
しかし、三月も終わりに差し掛かったある日の午後、河川敷での「清掃事業」開始以来、最大のピンチが訪れる。
学校はまだ春休みで部活もないが、多少遅い時間帯まで外出していても両親からとやかく追究を受けることはない。学校がある期間は放課後に帰宅する道のりを少し遠回りして、河川敷を歩き、横眼をフル活用し、怪しい場所を見つけたら何気ない風を装って近づき、周囲に不審がられないように獲物をさらうのだ。人並みに羞恥心を持ち合わせている陽介は「清掃事業」を毎日しているわけではなく、せいぜいが週に一度ほどの活動である。当たり前だが陽介の生活は「清掃事業」を中心に回っているわけではない。それなりの大きな比重を持ってしまってはいるものの、陽介にも友人と過ごす時間もあり、なんとなく入部してしまった写真部の活動もあり、勉強もたまにはする。その合間を縫って「清掃事業」をしているのだから我ながら大したものだ、と、なんだかよくわからない自負もないではない。それはともかくこの春休みに入ってからは「清掃事業」の他にも楽しいイベントはそれなりにあり、近頃は河川敷にもあまり来てはいなかった。だからアキが犬を連れて河川敷に現れるなんて一ミリも想定してはいなかった。
飾利川に架かる小さな橋の下、「清掃事業」を開始するにはまだ早い時間帯だという自覚はあった。しかし陽介の横眼は今日の獲物をすでに捕捉してしまっていた。いつもの陽介ならばその場で奪取したりはしなかっただろう。横眼でちらりと確認した後、何事もなかったかのようにその場を離れ、河川敷から土手に上がり、そのあたりを適当にぐるりと歩いて時間を空けて、通行人がいないか確認してから素早く任務を遂行する。だが今日は拙速に過ぎた。最後に「清掃事業」をしてから三週間ほどが経つ。そのブランクが陽介の勘を鈍らせたのかもしれない。大丈夫だ、土手を歩く人影もまばらだ。今は春休みで、学校帰りの制服姿も見かけない。不審がられないように、そうっとやれば大丈夫だ。
橋の下の洲は背の高い葦が生い茂っている。その草むらの影から、獲物の姿が垣間見える。ここは高い頻度で獲物が狙える「狩り場」の一つだった。立ちションをする場所を探している風を装って洲に乗り込み、実際に律儀に小便を草陰で済ませた後、ここでようやく陽介は、獲物を持ち帰るための入れ物が無いことに気が付いた。通学鞄があればよかったのだが、あいにく今は持ち合わせていない。獲物は数冊まとめて置かれているが、そのうちの一冊だけを服の中に押し込んで持ち帰ることにする。雨にぬれたりもしていない、良好な状態だ。一冊だけ……いや、もう一冊……。三冊はさすがに服の中に隠しきれないので、結局二冊を選んで腹側に押し込んだ。――よし。任務完了。あとはこの場を離脱するだけだ。
狩りをしたのだ。そんなことは、全くはじめてであった。準備不足の割にはよくできた方かもしれない。しかし、戦いというものは多くの場合において戦闘行為が開始されたときにはすでに勝敗が決しているものである。作戦立案、敵情視察、自己分析。それら事前に突き詰めておくべきことを、この時陽介はすべてにおいて中途半端にしたままだった。「清掃事業」のキモは離脱にある。獲物を手にした状態で、いかに手際よく戦場を離れることが出来るか、その脱出の手順やルートの構築に脳内リソースを割かねばならない。たとえ戦歴がどのようなものであれ、獲物を腹に隠しただけでわずかだろうと緊張を解いてしまった陽介に戦士を名乗る資格は、今はない。
「よーすけ? こんなところで何してんの?」
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