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「……で、なんだっけ、ユリカさんは、県外に出ていきたいんだっけ。どうして?」
「どうしてって、そんなの当たり前じゃん。こんな、右を見ても左を見ても年寄りばっかりの街が楽しいはずがないじゃない。」
「たしかに」
「だよね」
「ユリカさんは東京の大学に進学する方がいいと思う」
「そのつもりだけど、どうして?」
「鷹見市っていう田舎の地方都市に住んでいる身にしてみれば、県外に出れば都会と呼べる場所はいくらでもあるように思えるかもしれないけど、でも、『まだここよりも栄えている場所があり、その場所を自分はまだ知らない』っていう意識がある限り、次の場所へ、次の場所へっていう気持ちを捨てきれないんじゃないかな」
「それでいいじゃない。何が問題なの? 人生の段階ごとにステージを乗り換えていくことはおかしなことじゃないと思うけど」
「ステージっていうのは、何も場所に限ったことじゃないでしょ。今までできなかったことができるようになって、世界が違って見えたり。思いもかけないものに熱中して、その道に進んでみたり。小さいとき、まだ小学生に上がる前はひらがなとカタカナしか読めなくて、漢字なんかほとんど読めなかったけど、でもそれでよかったでしょ。あのころ、ボクらの世界には漢字がなかった。小学校に上がって、漢字を習って、教科書の文章にも漢字がだんだん増えていって。学年が上がるにつれて、読める文章の種類が増えていったよね。マンガや小説も読めるようになって、中学校に上がると新聞なんかも読んでみたりして、どんどん世界が広がっていったよね。他にも、例えばこれはボクの友達の話なんだけど、その子は水泳が得意でね。もともとはそんなに運動神経も良い方ではないし、ドッジボールとかサッカーとかもうまくないんだけど、小学生のとき、泳ぐのだけはなぜかいつもクラスで一番だった。泳ぐときなんて、右手をこう動かして、次に左手をこう動かして、みたいにいちいち動作を考えないでしょ。でもその子が言うには、水の中に入ると、自分でもなんでかわからないけど、自然に体が動くんだって。まあその感覚はボクにもわかる気がするけど、結果はタイムが証明してるから、やっぱり他の人とくらべるとちょっと違うんだろうね。その子は学年水泳大会でもトップの成績をとって、泳ぐのがますます面白くなったみたいで、中学校に上がってからは水泳部に入って。今では全国大会でも上位争いをするほどまでになってる。将来の目標は競泳選手になることらしいけど、夢で終わらない可能性は充分にありそうだ、って思う。話を戻すと、世の中にはいろんな価値観があるわけで、今自分が見ているものが世界のすべてではないってことがボクは言いたい。世界の見方を固定したまま、今自分が住んでいる地域がつまらないから、もっと楽しい場所へ、もっとは都会へ、っていう風に、左から右へ首を振り向けるように横方向にステージを切り替えてゆくのも一つの方法だけど、でもそれだけじゃあ、なんというかもったいないような気がしているんだ。それだけじゃないと思うんだ。だから、ユリカさんには都会の中でもいっちばん都会の東京に行って、横方向へのステージ移動を振り切ってみたらどうかな、って言ってる。もうこれ以上の都会はないぞって、ところが東京だよね。まだ横に振り向ける、もう少し横に振り向ける、っていう意識にとらわれていては、世界は立体的にできている、ってことに気付くのが遅くなるんじゃないかな。よけいなお世話かもしれないけど、ボクはユリカさんには東京に行って欲しい。そして、いろんなものを見て、いろんなことを感じて、後悔のない人生を送って欲しい。ボクらは若いんだから、何にだってなれるよ、きっと。そのためには、まずは明日の入試を頑張ってね」
実を言うと、その後のことは記憶が飛んでいる。気が付けば辺りはすっかり夜になっていて、親が家に帰る時刻はとっくに過ぎていた。と言うより、訥々と語り始めたサクラの話に聞き入っているうちに、明日が試験だということすら忘れていた。どうやって別れたのかも覚えていない。しかし、体が冷え切るまで冬の夜風に身をさらしていたにもかかわらず、翌朝の体調はむしろ優れていた。百合花は試験に危なげなく合格した。
これが三年前のことだ。あの日出会った少女には、その後は一度も見ていない。百合花の自宅を起点にすると、河川敷の公園と月山女子高校は反対方向にある。もともと河川敷の公園にはあまり馴染みがなかった百合花は、月山女子高校に入学した後、件の地域に向かうことはほとんどなかった。
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